会いたいって思う相手こそ、いつも忙しかったりします。お互い忙しくて、ゆっくりグラスを傾けて話しをするっていうチャンスもめっきり減ってきました。一方で、それも仕方ないかな、と納得してたりします。だいたい、僕が会いたいと思う人は、必ず別のいろんなところに責任を負っていて、いろんな人から頼りにされていたりしますから。たまに会えれば、グチというには少しばかりかっこ良すぎる語りで僕との会話を盛り上げてくれます。また、この人(K氏)はいつもタイミングがよくて、どこで聞きつけるのか、必要な時や、僕がピンチの時に必ずあらわれてくれます。
僕は自宅で仕事するときには篭りきりが常なのですけど、どうしてもたくさんおいしいコーヒーを飲まないと仕事になりません。我が家の新築祝いにデロンギのエスプレッソ・マシンを贈ってくれたのがK氏で、おかげさまでおいしいエスプレッソが仕事のお供になってくれています。
クールなスーツ姿の印象が強い人なのですけど、プライベートで会う時は洒脱。それとは全く関係ない話だけど、いつだったか、僕の夢の中に白装束であらわれたことがあります。神主さんとか、刀鍛冶さんが身につけているような。それで、「いやぁ、お前にはこれが必要だと思ってさ」と一振りの日本刀を手渡してくれました。驚いたのは翌日のこと。現実のK氏からプレゼントされたのはランバンのダークスーツでした。仕事で人に会う機会を増やさなきゃいけないのに、手持ちのスーツはほとんどくたびれたのばかり。手元不如意で、困っていたのです。なんだか全部分かっているみたいで、腕を袖に通せばしっくりとくる、落ち着いた着心地。今でも、このスーツは大事なお客様に会うときには必ず着るようにしています。
仕事の関わりで出会ったので、出会いとしてはいたってありふれています。
下戸なのに、僕を飲みに誘ってくれたK氏との友誼はあれから数えて十五年近くになります。
以来、ささやかだけど特別な仕方で付き合いを重ねてきました。
いちばん些細なやりとりをあげるなら、まるで中学生か高校生の時の友達のように、最近聴いて面白かった音楽や、感動したりした本などをお互いに送り合う、とか。でも、他愛のないことでもそれなりの背景を持つ大人が十五年続ければ、少年の頃には想像もできなかった密度になります。
僕の人生の中でも、特別で得難い存在なのです。
久しぶりに会ったときのこと。やっぱり忙しいはずなのに向こうから電話をかけてきてくれて「急なんだけど、ちょっと時間空いたからさ」ということで、間に合わせで近所のcocosなんぞで食事をしました。以前の少しいきがってた僕らなら、天ぷら屋さんや鮨屋さんあたりで一杯飲んで、それからbarでじっくり話すことが普通でしたが、とにかくそういうことができる時間に仕事を切り上げられない立場になってしまった。それからというもの、リラックスできる空気からも遠ざかっていました。夜中に突然連絡があって、車でパッとよれる場所というのが、ここ最近なのです。
いまは食事よりむしろ、カーステを鳴らしながら、ちょっとしたドライブに出かけて、その間に語り合う方がいい。
その日も彼は鞄の中からCDを取り出して、ちょっと聴いてよとカーステにCDを挿しこみました。「誰が歌っているか、分かる?」。僕ははじめ、ナット・キング・コールかと思ったのですが、違うと言います。やさしい声で、でも力強い。よくよく聴いてみても、声の主が分からない。でも、彼の音楽の好みは知っています。ただ「歌う人」というイメージがなかったので驚きました。それはオスカー・ピーターソンの歌声だったのです。
I'm glad there is you (2)
I'm glad there is you (3)
I'm glad there is you (4)
I'm glad there is you (5)
I'm glad there is you (6)
I'm glad there is you (7)
I'm glad there is you (8)
I'm glad there is you (9)
I'm glad there is you (10)
僕は自宅で仕事するときには篭りきりが常なのですけど、どうしてもたくさんおいしいコーヒーを飲まないと仕事になりません。我が家の新築祝いにデロンギのエスプレッソ・マシンを贈ってくれたのがK氏で、おかげさまでおいしいエスプレッソが仕事のお供になってくれています。
クールなスーツ姿の印象が強い人なのですけど、プライベートで会う時は洒脱。それとは全く関係ない話だけど、いつだったか、僕の夢の中に白装束であらわれたことがあります。神主さんとか、刀鍛冶さんが身につけているような。それで、「いやぁ、お前にはこれが必要だと思ってさ」と一振りの日本刀を手渡してくれました。驚いたのは翌日のこと。現実のK氏からプレゼントされたのはランバンのダークスーツでした。仕事で人に会う機会を増やさなきゃいけないのに、手持ちのスーツはほとんどくたびれたのばかり。手元不如意で、困っていたのです。なんだか全部分かっているみたいで、腕を袖に通せばしっくりとくる、落ち着いた着心地。今でも、このスーツは大事なお客様に会うときには必ず着るようにしています。
仕事の関わりで出会ったので、出会いとしてはいたってありふれています。
下戸なのに、僕を飲みに誘ってくれたK氏との友誼はあれから数えて十五年近くになります。
以来、ささやかだけど特別な仕方で付き合いを重ねてきました。
いちばん些細なやりとりをあげるなら、まるで中学生か高校生の時の友達のように、最近聴いて面白かった音楽や、感動したりした本などをお互いに送り合う、とか。でも、他愛のないことでもそれなりの背景を持つ大人が十五年続ければ、少年の頃には想像もできなかった密度になります。
僕の人生の中でも、特別で得難い存在なのです。
久しぶりに会ったときのこと。やっぱり忙しいはずなのに向こうから電話をかけてきてくれて「急なんだけど、ちょっと時間空いたからさ」ということで、間に合わせで近所のcocosなんぞで食事をしました。以前の少しいきがってた僕らなら、天ぷら屋さんや鮨屋さんあたりで一杯飲んで、それからbarでじっくり話すことが普通でしたが、とにかくそういうことができる時間に仕事を切り上げられない立場になってしまった。それからというもの、リラックスできる空気からも遠ざかっていました。夜中に突然連絡があって、車でパッとよれる場所というのが、ここ最近なのです。
いまは食事よりむしろ、カーステを鳴らしながら、ちょっとしたドライブに出かけて、その間に語り合う方がいい。
その日も彼は鞄の中からCDを取り出して、ちょっと聴いてよとカーステにCDを挿しこみました。「誰が歌っているか、分かる?」。僕ははじめ、ナット・キング・コールかと思ったのですが、違うと言います。やさしい声で、でも力強い。よくよく聴いてみても、声の主が分からない。でも、彼の音楽の好みは知っています。ただ「歌う人」というイメージがなかったので驚きました。それはオスカー・ピーターソンの歌声だったのです。
I'm glad there is you (2)
I'm glad there is you (3)
I'm glad there is you (4)
I'm glad there is you (5)
I'm glad there is you (6)
I'm glad there is you (7)
I'm glad there is you (8)
I'm glad there is you (9)
I'm glad there is you (10)