▼農耕民族
(のうこうみんぞく)
生活の主体が稲作などの農業活動により形成されている民族とその文化をいう。アジアなどのモンスーン気候の地方に多く見られる。 遊牧民族や狩猟採集民族に対比していわれるもので、和辻哲郎の著作『風土』のなかで、比較文化論としてこの両者が対比されて語られたことから、よく使われるようになったもの。
但し、和辻哲郎の比較文化論の正否については地理学者などから批判もある。 旧約聖書の創世記でも、アベルとカインの兄弟の逸話として登場する。これはヤハウェが褒めた遊牧民のアベルを、農耕民のカインが嫉妬心から殺す話である。
■関連項目 村社会
▼村社会
(むらしゃかい)
集落に基づいて形成され、有力者を頂点とした序列構造を持ち、余所者を受け入れようとしない古くからの秩序を保った排他的な社会を指す。 同類が集まって序列をつくり、頂点に立つ者の指示や判断に従って行動したり、利益の分配を図ったりするような閉鎖的な組織・社会を村にたとえた語。談合組織・学界・政界・企業などに用いる。
村社会にはしきたりがあり、それを破ったものには村八分などの制裁が科せられる。そこから派生して、同じような悪習を持つ閉鎖的な組織や社会も村社会と呼ばれる。ムラ社会とも。
〔特徴と問題点〕
以下のような特徴を持つ。
・利権、入会権、漁業権などの産業上の権益の範囲と一致した広がりを持つ。
・長による支配、ボスと子分の上下関係が厳然と存在する。
・無条件に習慣を踏襲し、全体に一切抗わない。
〔関係する事件〕
・水俣病
・静岡県上野村村八分事件
・名張毒ぶどう酒事件
・山形マット死事件
・奈良県月ヶ瀬村女子中学生殺人事件(加害者家族が村八分に遭っていた)
・山口連続殺人放火事件
・関川村(村民が村八分の中止命令を求める訴えを起こし勝訴)
▼村八分
村八分
(むらはちぶ)
村落(村社会)の中で、掟や慣習を破った者に対して課される制裁行為であり、一定の地域に居住する住民が結束して交際を絶つこと(共同絶交)である。転じて、地域社会から特定の住民を排斥したり、集団の中で特定のメンバーを排斥(いじめ)したりする行為を指して用いられる。
〔概要〕
言語学者である楳垣実が説くところによると、「地域の生活における十の共同行為のうち、葬式の世話と火事の消火活動という、放置すると他の人間に迷惑のかかる場合(二分)以外の一切の交流を絶つことをいうもの」である。葬式の世話が除外されるのは、死体を放置すると腐臭が漂い、また疫病の原因となるためとされ、また死ねば生きた人間からは裁けないという思想の現れともいう。また、火事の消火活動が除外されるのは、他の家への延焼を防ぐためである。なお、残り八分は成人式、結婚式、出産、病気の世話、新改築の手伝い、水害時の世話、年忌法要、旅行であるとされる。 しかしながら「はちぶされる」という言葉自体が元々は村落生活とは無関係に江戸時代中期に発生した言葉であること、江戸期の村落共同体において重要な機能であり、また、実際の村八分においてなされた入会地の利用の停止が含まれていないことなどを考慮すると、語源俗解で後世の附会であろうと主張されており、「八分」は「はぶく」や「はじく」(爪弾きにする)の訛ったものなどの諸説も唱えられている。作家の八切止夫は村八分の語源を村八部にあると唱えている。
村八分の措置がなされ、入会地の使用が停止されると、薪炭や肥料(落ち葉堆肥など)の入手に窮する他、入会地に属する水源の利用ができなくなるなど、事実上村落社会における生活ができなくなった。
しかし、村落の中での掟や秩序は、合法的・客観的で公明正大なものとは程遠く、その地域の有力者の私的・主観的な利益に沿うためのものや江戸時代までしか通用しないような封建的・旧態依然とした内容のものも多いなど、公平な秩序維持活動とは言えず、明治以降は、人権を侵害し法に反するものと認識され、1909年の大審院判決で、村八分の通告などは脅迫あるいは名誉毀損とされた。
こういった村八分行為は、第二次世界大戦後になっても存続し、近年においてもしばしば問題となっている。戦後で有名になった事件としては、1952年(昭和27年)に、静岡県富士郡上野村(現・富士宮市)で起きた、参議院補欠選挙での村ぐるみの不正を告発した女子高校生が一家共々村八分にされた事件がある(静岡県上野村村八分事件)。
なお、現在、NHKをはじめ多くの放送局では、「村八分」という言葉を放送自粛対象としている。
〔ウィキペディアより引用〕