■食のタブー
《飲料へのタブー》
▼酒
アメリカ合衆国では、禁酒法により1919年から1933年まで酒類の生産、取引と消費が違法となった。
その後、酒類規制権限は州に移管され、現在でも酒類の売買を違法とする禁酒郡(dry county)と呼ばれる郡が残っている。
また少数政党の禁酒党が19世紀より活動を続けている。
海上自衛隊では再軍備に関わった禁酒法時代のアメリカ海軍の流れをくんでいるため、艦内での飲酒は禁止されている。
イスラム教では戒律により飲酒は禁止されているが、実際には世俗的な地域では、飲酒がタブーでない場合もある。
アラブ首長国連邦では非イスラム教徒の外国人だけは飲酒を認められている(シャールジャでは外国人も飲酒は禁止されている)。
仏教は具足戒や十重禁戒で出家僧の飲酒を禁じ、在家信者についても五戒で飲酒が禁じられているが、現代日本などではあまり励行されていない(般若湯)。
キリスト教の多くでは聖餐式で葡萄酒を利用しているが、聖書エペソ人への手紙5章18節で酩酊することを禁じている。
カトリックの修道院が自活の一環としてビールを醸造して販売することは伝統的に行われている。
一方、救世軍はアルコール依存症者の回復支援をしている関係で飲酒をタブーとしている。
またラスタファリズムも飲酒を禁止し、末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン教)、セブンスデー・アドベンチスト教会は酒やカフェイン飲料などの精神昂揚作用のある嗜好品の摂取を禁止している。
▼茶・コーヒー
ラスタファリズムはコーヒーを禁忌としている。
末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン教)は茶とコーヒーを禁忌としている。
茶やコーヒーを禁忌とする理由としては、カフェインが含まれることが挙げられる場合があり、末日聖徒イエス・キリスト教会ではコーラその他カフェインを含む炭酸飲料を禁忌としている派もある。
▼乳
ヴィーガンは母乳を含む乳の摂取をタブーとしている。
《人肉食へのタブー》
今日の世界においては人肉食を許容している文化はないが、過去には人肉食を特定の形で許容する文化が世界各地に存在した。
《その他》
人体の健康や生態系に及ぼす影響への懸念から、アジアやヨーロッパ、アメリカ、アフリカには遺伝子組み換え作物から作られた食品を忌避する国や人々が存在する。
▼関連項目
ー ヴィーガニズム ー
ヴィーガニズム(英: veganism)は「自身の目的のために動物を利用する権利はない」とする主義。
《概要》
食生活においては菜食主義(ベジタリアン)とは異なり卵や乳製品などあらゆる動物由来の食物も避ける。
思想としてビーガンを徹底している人は、動物性食品の摂取のみならず、ウール、毛皮等の革製品など動物由来の製品の使用を避けることを実践している。
ヴィーガニズムには、動物の権利運動と深い関わりがあり、英国ヴィーガン協会が「屈強なヴィーガン」と評したトム・リーガン(Tom Regan)の著した「The Case for Animal Rights(英語版)」は、現在の動物の権利運動における重要なテキストと認識されている。
▼種類
食を含むあらゆる目的で動物搾取虐待をできるだけ排斥しようというヴィーガニズムの他に食の除去範囲や頻度による区分もあり、肉を意識的に減らしているが摂取するフレキシタリアン(セミ・ベジタリアン、準菜食主義)、乳製品や卵は摂取するラクト・オボ・ベジタリアン、魚肉を除いた肉のみ食べないペスコ・タリアンなどがある。
倫理を理由に完全菜食主義である場合は、エシカル・ビーガン(Ethical Vegan)と呼ばれる[13]。美容や健康に良いと考えているために菜食主義を行う「健康のためにプラントベース」(plant-based for health)の中には、ダイエタリー・ビーガン(dietary vegan)がいる。
彼らの場合は食事は完全菜食主義であるものの革製品などは用いる者もいる。
環境保全を理由に菜食主義を行う「環境のためにプラントベース」(plant-based for the environment[15])等があるが、各種を混同すべきではないという批判が強い。
ヴィーガニズムが動物の商品化を不可能でない限り排斥し、あらゆる目的での動物製品の使用を忌避するのに対し、プラントベース・ダイエット(菜食)は食事から動物製品を排除するだけにとどまる。
また、環境保全目的で部分的にヴィーガニズムを実践する人々は、畜産業が環境を破壊しているため持続可能でないという考えから拒否している。ただ彼らの主張は、ヴィーガニズムの定義と全く乖離しており、とくに日本では商業主義者がヴィーガニズムを「消費者が買うことのできる出来合いのアイデンティティー」としてモラルハイジャックしているという指摘が海外のヴィーガンから上がっている。
▼ヴィーガン協会設立と思想の拡散
ヴィーガン (vegan) という単語は、1944年にヴィーガン協会の共同設立者であるドナルド・ワトソン(英語版)によって造語され、ヴィーガン協会は卵や乳製品の摂取にも反対していた。
1951年、ヴィーガン協会は「ヴィーガニズム」の定義を拡大し、「人間は動物を搾取することなく生きるべきだという主義」の意味だとした。
1960年、H・ジェイ・ディンシャーはアメリカ・ヴィーガン協会を設立し、ヴィーガニズムをジャイナ教のアヒンサー(生物に対する非暴力)の概念に結びつけた。
ヴィーガン向けのレストラン ヴィーガニズ厶は年々拡大を続けている[23]。ヴィーガン向けのレストランも増加しており、ヴィーガンが運営するヴィーガン企業への出資も行われている。
全世界の人口がヴィーガンになると、食品関連の温室効果ガス排出量が2050年までに70%減少するほか、虚血性心疾患、脳卒中、2型糖尿病および悪性腫瘍の症例の減少により年間810万人が死亡せずにすみ、年間7,000億から1兆ドルの損失が防げるという研究がある。
《歴史》
▼ベジタリアンという言葉の誕生
菜食主義は古代インドや古代ギリシアまでさかのぼることができるが、肉食を避ける人々の呼び方として「ベジタリアン」(vegetarian、菜食主義者)という英語が使われるようになったのは、19世紀に入ってからである。
『オックスフォード英語辞典』では、この単語の初期の使用例として、1839年にイングランドの女優ファニー・ケンブルが米国のジョージアで使用した例を挙げている。
この時期のベジタリアンという言葉では、肉だけでなく卵と乳製品も避けたり、いかなる目的でも動物の利用を避ける人々を指す言葉として使われ、より厳格な完全な菜食主義者も指していた。
このころ、ヴィーガンまたは厳格な菜食者のコミュニティを設立しようという試みが何度もあった。
1834年、ルイーザ・メイ・オルコットの父で超越主義者として知られるエイモス・ブロンソン・オルコット(英語版)は、アメリカ合衆国マサチューセッツ州ボストンに、厳格な菜食主義を実践するテンプル・スクール(英語版)を建てた。
オルコットはまた、1844年にマサチューセッツ州ハーバードにて、農業を含むあらゆる動物の利用に反対するためのコミュニティのフルーツランズ(英語版)を設立したが、こちらは7か月しか続かなかった。
一方、イングランドでは1838年にJames Pierrepont Greaves(英語版) (1777-1842) がサリー州ハムにて、厳格な菜食主義を実践するためのコミュニティのオルコット・ハウス(英語版)を設立した。
その会員が1847年に畏全英・ベジタリアン協会の設立に関り、同年9月にケント州ラムズゲートのノースウッド・ヴィラで初の会議を開催した。なお、この時の会合で議長を務めたのはサルフォードの議員であるJoseph Brotherton(英語版)である。
▼ヴィーガニズムへの移行
健康への影響からではなくむしろ道徳的側面から菜食主義を実践してきた者たちは、動物の利用を完全にやめようと議論しはじめた。全米ベジタリアン協会の1851年の会誌には皮革に代わる靴の素材についての議論が掲載された。
1886年、イングランドの運動家ヘンリー・ソルト(英語版)が執筆した A Plea for Vegetarianism (菜食主義の請願)が出版され、道徳上、菜食主義は必須だと説いた。のちにソルトは動物福祉から動物の権利へパラダイム・シフトした最初の一人として知られるようになった。
彼の著作はマハトマ・ガンジーにも影響を与え、二人は親しくなった。
1910年には、英国史上初のヴィーガン向け料理本となるNo Animal Food: Two Essays and 100 Recipes(Rupert H. Wheldon著)が出版された。
歴史学者のリア・レネンマン (Leah Leneman、1944-1999) は、1901年から1912年の間、協会の大多数が卵や乳製品に対する見解を同じくしていたと記している。[矛盾 ⇔ #ヴィーガニズムへの移行]。
協会内での見解は統一されないままだったが[矛盾 ⇔ #ヴィーガニズムへの移行]、1923年の会誌に「動物製品を断つことは菜食主義者として理想的な立場である」という内容の記事が掲載された。 1931年11月には、ロンドンでベジタリアン協会の会議が開催され、ソルトを含む会員約500人が参加し、マハトマ・ガンジーが The Moral Basis of Vegetarianism (菜食主義の道徳的基礎)という題で、健康のためだけではなく、道徳の問題として肉のない食事を勧めるのが、協会の使命であることを語った。
ガンジーはロンドン留学当時のベジタリアンが食と病のことばかりを話題にしていたとし、次のように語った。
「健康上の理由から菜食を実践することは、一番酷い方法です。病苦など、つまり単純に健康上の理由から菜食主義を実践する人の多くは、この食習慣から退却することにわたしは気づきました。
菜食主義を貫くには、道徳的な基礎が必要なのです」と宣う医者であった。
▼オルタナティブ・ムーブメント
1960年代から1970年代にかけて、米国で高まった対抗文化、ヒッピームーブメントの流れを受けて、既存の食事、環境、農産物生産者への懸念を表明する菜食主義者たちの運動があらわれ、有機食品への関心が高まった。
当時、最も影響力があった著作は、1971年に出版された「食物連鎖の頂点から降りること」を提案するフランシス・ムア・ラッペの「小さな惑星の緑の食卓(英語版)」で、本書は300万部以上売れた[52]。 1970年代後半より、医学者ジョン・A・マクドゥーガル(英語版)、コールドウェル・エセルスティン(英語版)、ニール・バーナード(英語版)、ディーン・オーニッシュ(英語版)、Michael Klaper(英語版)、Michael Greger、栄養学者コリン・キャンベルらは、動物性脂肪や動物性タンパク質を中心とした、標準的なアメリカの食生活は体に悪いと主張し始めた。
代わりの彼らの提案は、低脂肪で植物中心の食事によって、冠状動脈型の心臓病や糖尿病、ある種のがんといった生活習慣病を予防したり回復できるということである。
CNNの番組に専門家として度々出演する医学者のサンジェイ・グプタはキャンベルの『チャイナ・スタディー(英語版)』は世界中の人々の食生活を変えたと述べている。
1980年代にはヴィーガニズムはパンク・ロックと結びついた。米国ではストレートエッジのハードコアパンク、英国ではクラスなどのアナルコパンクと関連するようになり、音楽的メッセージやライフスタイルによって大衆に影響を与えるようになった。
この影響はイベントなどを通じて、21世紀の現在に至るまで続いている。
▼2010年代
2010年代に入ると、ヴィーガニズムはさらに一般に受け入れられるようになり、ヴィーガン料理のメインディッシュも一般的になり、料理のメニューにヴィーガン向けの表示を掲載するレストラン・チェーンも登場した[どこ?]。
2010年には、オランダでベジタリアン向けに代替肉を販売する De Vegetarische Slager が開店し、2011年にはヨーロッパで初めてのヴィーガン向けスーパーマーケットがドイツで開店した。
また、ドルトムントで Vegilicious という店が開店し、Vegilicious系列のスーパーマーケット Veganz(英語版) が2011年にベルリンで開店、他地域にも店舗を展開している 。
2013年、伝統的に肉料理がふるまわれてきたオクトーバーフェストで初めてヴィーガン向けの料理がふるまわれた。
2019年9月には、ヴィーガンと気候変動対策のためのETF(上場投資信託)が米国証券取引委員会に登録され、2020年1月から投資受付を開始され、同信託はアメリカの大企業のうちヴィーガンと気候変動に配慮した企業のみで構成され、動物性食品を取り扱う企業や動物実験を実施している会社の株は全て除外された。
〔ウィキペディアより引用〕