■安部公房
安部 公房(あべ こうぼう)
(1924年(大正13年)3月7日〜
1993年(平成5年)1月22日)
日本の小説家、劇作家、演出家。東京府北豊島郡(現在の東京都北区)出身。本名は安部 公房(あべ きみふさ)。「ノーベル文学賞に最も近い人物」とノーベル委員会から評価を得ていた中、脳内出血により急死した。
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▼概要
東京府で生まれ、満洲で少年期を過ごす。高校時代からリルケとハイデッガーに傾倒していたが、戦後の復興期にさまざまな芸術運動に積極的に参加し、ルポルタージュの方法を身につけるなど作品の幅を広げ、三島由紀夫らとともに第二次戦後派の作家とされた。
作品は海外でも高く評価され、世界30数か国で翻訳出版されている。 主要作品は、小説に『壁 - S・カルマ氏の犯罪』 (芥川賞受賞)、『砂の女』 (読売文学賞受賞)、『他人の顔』『燃えつきた地図』『箱男』『密会』など、戯曲に『友達』『榎本武揚』『棒になった男』『幽霊はここにいる』などがある。
演劇集団「安部公房スタジオ」を立ちあげて俳優の養成にとりくみ、自身の演出による舞台でも国際的な評価を受けた。晩年はノーベル文学賞の有力候補と目された。
ノーベル文学賞委員会のペール・ベストベリー委員長は読売新聞のインタビューで、「急死しなければ、ノーベル文学賞を受けていたでしょう。」と述べている。
▼安部公房作品『壁』について
『壁』(かべ)は、安部公房の中編・短編集。「S・カルマ氏の犯罪」「バベルの塔の狸」「赤い繭」(「洪水」「魔法のチョーク」「事業」)の3部(6編)からなるオムニバス形式の作品集である。
1951年(昭和26年)5月28日に石川淳の序文を添えて月曜書房より刊行された。
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表題作でもある「壁―S・カルマ氏の犯罪」は安部の最初の前衛的代表作で、第25回芥川賞を受賞した。
ある朝突然、「名前」に逃げ去られた男が現実での存在権を失い、他者から犯罪者か狂人扱いされ、裁判までもが始まってしまい、ありとあらゆる罪を着せられてしまう。
彼の眼に映る現実が奇怪な不条理に変貌し、やがて自身も無機物の壁に変身する物語で、帰属する場所を失くした孤独な人間の実存的体験と、成長する固い壁に閉ざされる空虚な世界と自我の内部が、安部公房特有の寓意や叙事詩的な軽さで表現されている。
▼『壁』について発表経過・創作意図
「第一部 S・カルマ氏の犯罪」は、1951年(昭和26年)、雑誌『近代文学』2月号に「壁―S・カルマ氏の犯罪」の表題で掲載され、同年7月30日に第25回(昭和26年上半期)芥川賞を受賞した。
「第二部 バベルの塔の狸」は同年、雑誌『人間』5月号に「バベルの塔の狸」の表題で掲載(挿絵は桂川寛)された。
「第三部 赤い繭」は、前年1950年(昭和25年)、雑誌『人間』12月号に「三つの寓話」(「赤い繭」「洪水」「魔法のチョーク」)の表題で掲載され、1話目「赤い繭」は第2回(1950年度)戦後文学賞を受賞した。
なお、「第三部 赤い繭」の4話目「事業」は同年10月に、世紀の会刊行パンフレット「世紀群叢書5」に掲載された。
以上の6編をまとめて収録した単行本『壁』は、1951年(昭和26年)5月28日に月曜書房より刊行された。 安部公房は、3部作は一貫した意図によって書かれたもので、壁というのはその方法論にほかならないとす。
〔ストーリー概要第一部〕
ある朝、目を覚ますとぼくは違和感を感じた。食堂でつけをしようとするが、自分の名前が書けない。身分証明書を見てみても名前の部分だけ消えていた。事務所の名札には、「S・カルマ」と書かれているが、しっくりとこない。驚いたことには、ぼくの席に、「S・カルマ」と書かれた名刺がすでに座っていた。名刺はぼくの元から逃げ出し、空虚感を覚えたぼくは病院へ行った。だが、院内の絵入雑誌の砂丘の風景を胸の中に吸い取ってしまったことがわかり、帰されてしまう。
ぼくは動物園に向かったが、ラクダを吸い取りかけたところを、グリーンの背広の大男たちに捕らえられ、窃盗の罪で裁判にかけられることになった。法廷には今日会った人々が証人として集まっていた。
その場を同僚のタイピスト・Y子と逃げたぼくは、翌日に動物園でまた彼女と会う約束をして、アパートに帰った。翌朝、パパが訪ねてきた。その後、ぼくは靴やネクタイに反抗され時間に遅れて動物園についた。
Y子はぼくの名刺と語らっていた。よく見るとY子はマネキン人形だった。ぼくは、街のショーウインドーに残されている男の人形から、「世界の果に関する講演と映画」の切符をもらった。
行くと、せむしによる講演と映画が始まった。ぼくはスクリーンに映っているぼくの部屋を見た。やがてぼくは、グリーンの背広の大男たちにスクリーンの中へ突き飛ばされ画面の中に入った。画面の中のぼく(彼)が壁を見続けていると、あたりが暗くなり砂丘に「彼」はいた。そして地面から壁が生えてきて、そのドアを開けると酒場だった。
そこにはタイピストとマネキン半々のY子がいた。 別のドアから「成長する壁調査団」となったドクトル(病院の医者)とパパの姿をしたユルバン教授が現われ、「彼」を解剖しようとするが、「彼」は機転をきかし、難を逃れた。その後、ユルバン教授は、ラクダを国立動物園から呼びよせ、それに乗り、縮小して「彼」の中を探索するが蒼ざめて戻ってきた。ドクトルとユルバン教授は、調査を中止し逃げていった。ただ一人残された「彼」は、壁そのものに変形していく。
〔ストーリー概要第二部〕
貧しい詩人のぼくは、自分の空想やプランをつけている手帳を「とらぬ狸の皮」と呼んでいた。
ぼくはP公園で奇妙な獣を見つけた。その獣は突如、ぼくの影をくわえ逃げ去り、影を失ったぼくは目だけ残して透明人間になってしまった。
その夜、獣は夜空から霊柩車に乗ってやってきて、自分は君に養ってもらった「とらぬ狸」であると言い、ぼくをバベルの塔へ連れて行った。そこには狸がたくさんいた。とらぬ狸は、「みなぼくの仲間だ。人間は誰でも各々のとらぬ狸を持っている」と言った。 とらぬ狸はぼくを入塔式に案内した後、目玉銀行に連れてゆき、目玉を預けろと言った。狸たちにとって、人間の目玉は有害なのだと目玉銀行の管理人・エホバが説明した。
それを拒否したぼくは、次に行った時間彫刻器の研究室で、とらぬ狸におどりかかった。ぼくは時間彫刻器の箱を開け、タイムマシンで影をとられる前の時間のP公園に戻った。そして近づいて来たとらぬ狸に向かって、手帳や小石を投げつけ追っ払った。
〔ストーリー概要第三部〕
帰る家のない「おれ」は、日の暮れた住宅街をさまよううちに、足から絹糸がずるずるとのびてゆき、どんどんほころんでいった。
その糸は「おれ」の身を袋のように包みこんでいって、ついに「おれ」は消滅し、一個の空っぽの大きな、夕陽に赤々と染まった繭となった。だが家が出来ても、今度は帰ってゆく「おれ」がいない。
踏切とレールの間にころがっていた赤い繭は、「彼」の眼にとまり、ポケットに入れられた。
その後、繭は「彼」の息子の玩具箱に移された。
〔ウィキペディアより引用〕