■オウム真理教という怪物
《組織》
施設
東京・全国支部
・東京総本部:港区南青山
(1Fはマハーポーシャ事務所)
・世田谷道場(世田谷区赤堤)
・杉並道場(杉並区下井草)
・支部 : 札幌、仙台、水戸、高崎、
船橋、横浜、藤枝、松本、名古屋、
金沢、福井、京都、大阪、堺、
和歌山、広島、高知、福岡、那覇、
ニューヨーク、ボン、スリランカ、
モスクワ
富士山総本部周辺
・富士山総本部道場:富士宮市人穴。
敷地面積は1万8千平方メートル。
富士山総本部の麻原一家の部屋は、窓から富士山が眺望でき、インドの絨毯が敷かれ、ピアノ、テレビもあり、普通の信者のこどもが食べることのできないお菓子もあった。
・第1サティアン(89年11月当時は4階に麻原一家、金庫室、瞑想室、リビングルーム、会議室、浴室)
・第4サティアン(ビデオやアニメを製作) 独房。
富士山総本部では懲罰用独房と修行用独房があった。
懲罰用独房はコンテナで、窓はなく、畳は押すと水が滲み出て、茸が生えていたという。監禁された10歳の児童が通気口から外に助けを求めていると、通りかかった人が警察に通報し、これ以降、懲罰用独房はなくなった。
スパイチェックでの質問を批判した別の信者は、独房に監禁後、薬物を投与されると、新実や中川、遠藤らが見回りに来たが、彼らは実験動物における薬物反応を見るようで、人体実験だったという。
この信者は隙をみて脱走した。
修行用独房は、「ポアの間」と呼ばれ、一畳の部屋で壁にビデオとオウムの本、ポータブルトイレがある。入ると5日間は出られず、説法ビデオが最大ボリュームで流され、ボリュームは調整できず、寝ても説法が聞こえた。
持ち込めるのは毛布と甘露水の瓶だけで、食事は一日一回、顔を洗うことも歯磨きもできず、トイレは一日おきに交換されるので臭くてたまらなかったという。
岡崎一明元幹部は、遺品にあった手記で「ポアの間」についても触れている。
上九一色村・その他
山梨県西八代郡上九一色村(現:南都留郡富士河口湖町)には第一〜第七上九があり、それぞれに施設があった。
・第一上九 第2サティアン
(1階は倉庫、瞑想室、法皇官房事務室、テープ作成室。3階に尊師の部屋、ピアノ、サウナ、リビングルーム、第一・第二瞑想室、浴室)
・第3サティアン(物置)
・第5サティアン(印刷工場)
・第二上九 第6サティアン
(1階は食品工場、子ども室、家族の部屋、瞑想室、配膳室、修法の部屋、風呂、サウナ。三階は幹部、信者の部屋、修行室、事務所、医務室)
・ヴィクトリー棟(詰所、コンテナ)
・第三上九 第7サティアン(サリンプラント)
・クシティカルバ棟(土谷正実の実験室)
・第四上九 第6サティアン(マハーポーシャのパソコン組立工場)
・第12サティアン(自動小銃、サリン噴霧車製造)
・第五上九 第9・第11サティアン(自動小銃)
・第六上九 第10サティアン
出家信者の子弟の生活の場。
自治省系緊急連絡網の配信センター。
・ジーヴァカ棟(CMI棟) - 遠藤誠一の実験室。
・第七上九 窓のない倉庫群 富士清流舎(山梨県南巨摩郡富沢町(現:同郡南部町) (自動小銃工場)
《公称信徒数》
日本国内のみ。
89年は出家者330,信徒4000人であったが、90年4月の石垣島セミナーで出家者が800人になった。
※1995年3月は出家1,400人、在家14,000人。
ロシアの信者数は最大3万人から5万人に上った。
信者の構成
出家制度は1986年6月に始まった。
最初期の出家者はオウム真理教以前の「オウム神仙の会」に出家しており、後に脱会した者もいたが、多くは教団幹部となった。「オウム神仙の会」以前のヨーガ教室鳳凰慶林館は女性を対象としており、
オウム神仙の会も当初は女性ばかりであり、最初の男性として入会したのは大内利裕だった。
以下、出家順。また、出家番号は管理番号ともいう。
教団幹部には難関大学の卒業者も多く、教団の武装化を可能にした村井秀夫、土谷正実、遠藤誠一など理系幹部を多く抱えていた。また弁護士資格を持つ青山吉伸、公認会計士資格を持つ柴田俊郎、上田竜也、医師免許を持つ林郁夫や中川智正、芦田りら、佐々木正光、平田雅之、森昭文、小沢智、片平建一郎など社会的評価の高い国家資格を持つ者も多くいた。麻原の勧誘方針は「女は若くて美人、男は理系の高学歴」というものだった。
他にも山形明、丸山美智麿など自衛隊員、建設会社出身で教団の不動産建設やロシアとの交渉を手がけた早川紀代秀、元暴力団員の中田清秀、松任谷由実のアルバム制作にも関わったことのあるデザイナーの岐部哲也、彰晃マーチなどを作曲したミュージシャンの石井紳一郎、盗聴技術を持っていた林泰男、元日劇ダンシングチームの鹿島とも子など幅広い層の信者を有していた。
信者平均年齢は若いが、最高齢信者は88歳の女性だった。
麻原の三女松本麗華は、マスメディアではオウム真理教出家者が高学歴のインテリばかりで構成されていたかのようなイメージで報道されたが、実際は一般社会に居場所を無くした構成員も多かったと語る。例えば、普通に生きていくことに疑問を生じたり、居場所が無かったりした人や、DV被害者、被虐待児、精神疾患、発達障害、パーソナリティ障害などの社会的弱者が少なからずいたという。
以下に示すのは教団がオウム事件発覚後の1995年6月28日に行った出家修行者対象のアンケートデータである。
〔ウィキペディアより引用〕