■沼 正三
沼沼 正三(ぬま しょうぞう)
日本の小説家。主に、1956年から『奇譚クラブ』に連載された小説『家畜人ヤプー』により知られる。
覆面作家として活動し、覆面であるため外国人説含めその正体には諸説ある。
これまでに沼正三の正体と見なされた人物は、三島由紀夫、奥野健男、武田泰淳、澁澤龍彦、会田雄次、遠藤周作、倉田卓次、そして沼正三の代理人と称する天野哲夫である。
《沼の正体に関する議論》
▼倉田卓次説
1982年に森下小太郎が『諸君!』11月号に元判事の倉田卓次が著者だとの記事を発表した。
しかし倉田は、自伝的著作『続々裁判官の戦後史 老法曹の思い出話』(悠々社、2006年)で、自身が沼正三であることを完全に否定している。
ただし、その中で、自身がヤプー連載当時の『奇譚クラブ』の愛読者であったこと、そして『奇譚クラブ』を通じて天野、森下と互いの該博な知識の共有を主目的とする文通を行っていたことは事実として認めており、ヤプーの創作過程における複数人の関与、殊に三島由紀夫の匿名による関与の可能性=『家畜人ヤプー』が複数人による共同作品である可能性を示唆した記述もある。
内藤三津子『薔薇十字社とその軌跡』(論創社、2013年)では、インタビュアーの小田光雄が沼正三の正体は倉田卓次であると断定。
その根拠として「天野と沼の文章を比べると、その文章、語学力、教養などからして、二人がまったく別人であることは歴然」と、小田はいう。
また、『家畜人ヤプー』刊行の半年後に倉田が退官したのも、正体が露見したことによる衝撃が原因であり、彼は『ある夢想家の手帖から』刊行後は天野に沼名義の著作権など一切を譲ってしまったのではないか、と推測している。
▼天野哲夫説
1982年、森下による記事発表の後に天野哲夫が『潮』1983年1月号で自分が沼正三であると宣言した。
しかしこの宣言は虚偽ではないかとの指摘があり、議論は紛糾した。
ただし、天野哲夫は「沼正三は私です。
しかし、私一人とも言えない。当時、『奇譚クラブ』の仲間で合言葉のようにして作りあげた、共同ペンネームなのです」とも、語っている。
主な否定派の意見としては、天野哲夫が書いたことがはっきりしている『家畜人ヤプー』の後半部分(当初、『続・家畜人ヤプー』として冒頭部分のみが発表され、中断した部分以降)が、前半部分と大きく異なっていること、天野哲夫の他の作品と『家畜人ヤプー』の前半部分が大きく異なること、天野哲夫は以前より性風俗を扱った文章や小説を天野哲夫名義で発表しており、覆面作家として沼正三を名乗る必然性が感じられないこと、宣言以前の沼正三の文章や代理人を名乗っていた頃の天野哲夫の文章と、宣言後の天野哲夫の文章の矛盾、などが挙げられる。
団鬼六は、天野が沼を自称して続編を書いたがヤプーファンからは相手にされなかったと切り捨て、
澁澤龍彦も倉田卓次が沼正三だと考えていた。なお、武藤康史はヤプーの文体から、天野が書いたものを、倉田が添削したのではないかと、推測している。 天野哲夫の代理人的存在であった山田陽一は、沼正三が天野哲夫であることには疑問を挟む余地がないと、否定派に対して、反論している。
康芳夫は『綺譚クラブ』のオーナーから沼正三の連絡先を知らされて『家畜人ヤプー』の最初の版である都市出版社版の発行に携わっており、沼の正体を確実に知る人物の1人である。
その康は、1974年の著書『虚業家宣言』で、『家畜人ヤプー』の一部は沼正三の許可を得て、天野が執筆したのだから、天野哲夫説は完全な間違いではないとしている。
さらに同書の中で、沼正三は文壇とは一切関係ない人物で、1974年時点で40代、東京大学法学部出身で某官庁の高級官僚であると人物像の一端を明かしていた。
しかし、2008年に天野哲夫が死去すると、これを翻して、生前の天野が主張していたように、やはり天野が沼であり、別のペンネームを用いたのは他の人たちの助言を取り入れて執筆したからであり、彼ら協力者との微妙な関係があったからだとしている。
映画監督の中島貞夫は、2004年の著書『遊撃の美学 映画監督中島貞夫』で都市出版社から『家畜人ヤプー』の単行本が出版される前に沼正三と会っていると明かしている。
中島が1969年に監督したドキュメント映画『にっぽん'69 セックス猟奇地帯』に出演したマゾヒストが実は沼正三本人なのだという。中島が『家畜人ヤプー』の映画化を希望すると、沼は自分は表に出たくないからと代理人を立てて来た。その人物が康芳夫であった。
天野哲夫は2008年に死去したが、中島貞夫は2009年に取材された『映画秘宝』誌で沼正三はこの間亡くなったと語っている。
2021年の丸山ゴンザレスによる康芳夫へのインタビューでは、「沼正三は5人からなる」「その内2人は天野哲夫と倉田卓次」「メインライターは天野」「他の3人はまだ非公開」「全権代理人である康の死後に明らかになる」と語った。
関連項目 ー 奇譚クラブ ー
『奇譚クラブ』(きたんクラブ)
1947年(昭和22年)11月より1975年(昭和50年)3月まで出版された、サディズム・マゾヒズム・フェティシズムなどを専門に扱った性風俗雑誌。
B5判のカストリ雑誌として出発したが、1952年5・6月合併号よりA5判にリニューアルし、以降、本格的にサディズム、マゾヒズム、フェティシズム(ふんどし、ラバーほか)、切腹などを中心に扱う雑誌となった。
出版社は、曙書房、天星社、暁出版 (大阪)と変わっている。
1954年(昭和29年)3月と1955年(昭和30年)5月に一時発行禁止処分を受けた。
1982年に「復刊」と称して創刊されたきたん社発行の『奇譚クラブ』は後続関係にはなく、まったくの別物。全国誌であり、発行部数は1万部以上、最盛期の1950年代前半には10万部(公称)を達成した。
《概要》
SMやフェティシズムなど、異性愛規範から逸脱する性嗜好に関心をもつ読者を対象とした『奇譚クラブ』は、読み物としてだけでなく、匿名の読者のために文通の仲介や情報交換の場としての性格も有していた。
読者同士の交流の場であったことから、つづく1960年代のプライベートSMサークルの増加に先駆けて、SM愛好家の数少ないコミュニティともなった。
また、同誌の読者として、川端康成、三島由紀夫、江戸川乱歩、澁澤龍彦、寺山修司がいた。
SMを扱った文学作品としては古典の部類に入る団鬼六の『花と蛇』、沼正三の『家畜人ヤプー』はこの雑誌に発表されたもの。
創刊当初からエログロとしての女相撲に関する記事を継続的に発信し、その後も女子プロレスなどを形容する際に使われる「女斗美」という言葉を誕生させた。
創刊年の頃から男色や男性同性愛についても取り上げており、1947年12月号には男娼、男妾の記事が見られる。
ジェンダーと日本史を専門とする歴史学者、河原梓水は、女性史・服装史研究家・作家の村上信彦は「吾妻新」の筆名で多数の寄稿をしていたことを実証している。
また、作曲家の矢代秋雄も「麻生保」の筆名で熱心に投稿していた(覆面作家)。
1997年(平成9年)11月(出版50周年)に 平成版 奇譚クラブ がユニ報創より出版され、翌年7月(新装3号)までの断続的に出版が続けられた。
新創刊ではなく新装刊としており復刊を意識した巻頭挨拶文が掲載されている。
内容はSMも扱う風俗誌と言うべきもので、昭和40年代の奇譚クラブに掲載されていた記事やモノクロ写真を幾つか再掲載している。
《主な作家・画家・投稿者》
※カッコ内は筆名。★付は本名未詳。
・秋吉巒
・天野哲夫(沼正三、黒田史郎、他)
・飯田豊一(濡木痴夢男、靑山三枝吉、他)
・木俣清史(小日向一夢)
・倉田卓次
・須磨利之(喜多玲子、他)
・杉原虹児★
・村上信彦(吾妻新)
・野坂昭如(戸山一彦)
・藤野一友(中川彩子、春川光彦)
・矢代秋雄(麻生保)
関連項目 ー 春川ナオミ ー
春川 ナミオ(はるかわ ナミオ)
(1947年(昭和22年)5月〜2020年(令和2年)4月24日)
日本のイラストレーター。
主に、豊満な女性に虐げられる男性(あるいは男性を虐げる豊満な女性)をモチーフにした作品を発表している。
大阪府出身。
自営業のかたわら半世紀にわたって、SM雑誌等に独特のサディスティックな豊満美女を描き続けてきた。
作品のテーマは主に、非常に多くの顔面騎乗図、秘部舐め奉仕強要図、肉便器奴隷使用図などである。
《概説》
メディアへの初出は、戦後の三大カストリ雑誌の一つとして数えられる「奇譚クラブ」の読者投稿欄であった。
昭和30年代から男性マゾヒズムをテーマにした独特の絵柄でマニアの支持を集め、この分野の第一人者としての地位を確立した。
近年欧米のウェブサイトで春川の絵を掲載しているアダルトサイトも増え、彼の名前を知らなくても絵は見たことがあるという人はいる。
こうしたアダルトサイトでは沖渉二、椋陽児、前田寿按、小妻容子などSM雑誌から直接取り込んだらしいラインナップ(おそらく無断使用の著作権侵害と思われる)が並んでいるが、春川の描くグラマラスな女性が海外のマニアに好まれるのか、専門サイトも存在している。
ペンネームの「春川ナミオ」は女優「春川ますみ」と谷崎潤一郎の『痴人の愛』主人公「ナオミ」のアナグラムとされている。
春川ますみは元ストリッパーのグラマー女優であり、このペンネームからも春川のフェティシズムが窺える。
一貫して豊満な女性に虐げられる男性を描いているが、その男性は喜んでその苦痛を享受しており、男性のマゾヒズムを徹底的に描く作家として知られている。
SM雑誌に作品を発表しながら、北川プロのSMビデオなど多くのアダルトビデオのパッケージイラストも手がけている。
また漫画作品やアニメーションの監督もつとめている。
《作風》
春川の描く女性は豊満で、ルノアールの描く裸婦像を思わせるボリュームがある。
また、尻と乳房を非常に大きく描くために日本人離れしたプロポーションとなり、そのためか海外での評価が高い。顔面騎乗を好み、呼吸ができないほど女性の尻に深く埋没した男性の顔、というモチーフは数え切れないほど描かれている。
また圧迫系プレイとされる踏み付けや人間馬、人間便器というディープなシチュエーションも多い。
なお、全て鉛筆で描かれている。
イラストレーターのみうらじゅんは、思春期に見た春川の画が深く心に残っており、小説『Slave of love』を連載するにあたって春川に挿絵を依頼した。
それにちなみ没年にみうらじゅん賞を贈った。
関連項目 ー 身体改造 ー
身体改造(しんたいかいぞう)
(body modification)
習慣やファッション、刑罰等として身体の形状を変更すること。広義の身体装飾に含まれ、伸長・狭窄・切開・切断・縫合・焼灼などの手段を用い、人間の肉体に意図的に、また多くの場合は恒久的に変形を施すことで装飾する行為である。
民族学・文化人類学の分野では身体変工(mutilationまたはdeformation)と呼ばれ、人体改造や肉体改造とも呼ばれる。
身体改造行為の歴史は古く、石器時代にも遡るとされる。
また地理的にも広い範囲に数多くの事例が存在する。変工の目的としては、医療、儀礼、呪術や宗教(シャーマニズム)、身分地位・性別・年齢・所属・職業等の表示や、刑罰、また純粋に美意識に基く装飾まで様々なものが見られる。
伝統的な身体変工は、他の文化圏から「未開で野蛮な行為」だとされたり、また幼少期から時間をかけて変形させるものは「野蛮で残酷な習慣」と見なされ、差別の理由とされる場合もある。
身体改造行為は、多くの場合、身体の形状を変更したうえで自然な形に見せる美容整形とは区別される。
なお「肉体改造」と表現する場合には、特にボディビルなどのエクササイズを指すこともある。
これらでは、肉体を構築(ビルド)することを目的に、運動や筋肉トレーニング、サプリメントの服用などといった行為を行い、近年ではそれらが医学的に研究されたスポーツ医学の分野で、科学的に肉体(筋肉など)を構築する技術が発展している。
身体改造は、極端な事例では肉体の持つ機能を損なう場合もある。
また現代におけるファッションとしての身体改造の施術の多くは、たとえ生命に関わる危険性の高いものであっても、正規の医療資格者や施設以外で行われ、自ら施すことも少なくない。
大抵の場合は失敗なく完了するとはいえ、ときには重篤な感染症等を引き起こし、医師による治療が必要になったり、意図せぬ障害が残ることもあるため、医療機関での施術が可能になるための活動もなされている。
身体改造には、多様な方法がある。
●全身
▼入れ墨(刺青、タトゥー)
針で皮膚に穴をあけそこに塗料を塗り込んで絵を描く。
スカリフィケーション( 瘢痕文身〈 はんこんぶんしん〉) 皮膚に傷をつけ、また化膿させて盛り上がらせるなどして模様を施す。
意図的に付けられた傷(瘢痕)は石器時代から確認される。
▼ピアス 肉体穿孔
身体の特定の部位に穴をあけそこに装飾品を吊り下げる。
文化圏によってはこの穴を徐々に広げて、肉体の一部を輪や紐の状態にするものもある。
▼インプラント
ビーズや金属などの埋め込み。
▼セイリーン・インフュージョン
生理食塩水を皮下注入することによって部分肥大させる身体変形。
時間が経過すると、生理食塩水は身体に吸収されるので、一時的な変形。
こぶの形成や皮膚の一部を伸ばすことで膨らませて垂れ下がらせる。
顔面や頭部に行った状態をベーグル・ヘッドとも呼ぶ。
▼ボディ・サスペンション
人体にフックを通して吊り下げるもの。
フックを通した皮膚には痕が残り、フックや吊り下げるための器具をそのまま身体に残すこともある。
類似した伝統的行為として北米インディアンの「サンダンスの儀式」の「ピアッシングの苦行」がある。
●頭部
▼頭蓋変形(とうがいへんけい)
マヤ文明では乳幼児の頭蓋骨を板ではさんで変形させ、縦に伸ばす行為が流行していた。
▼穿頭(トレパネーション)
民間療法の一つ。
悪霊退散などの目的で頭部に穴を開けた。
現代でも、非常に稀ではあるが、頭皮をめくり脳の髄膜を傷つけないように頭蓋骨だけに穴を開ける者がいる。
▼抜歯
儀式などの過程で特定の永久歯を抜くもの。
グリル (アクセサリー) 歯に金属の装飾品を装着する。
▼スプリット・タン(タン・スプリッティング)
舌に切れ目を入れ、蛇の舌ような二股にする。
●胴部
▼コルセット
長期間の使用は、肋骨や内臓や乳房を変形させることがあり、現代では変形を目的に着用する愛好者がいる。
▼首輪
ミャンマーとタイの一部地域の女性により続けられており、幼少時より装着する真鍮の首輪を増やしてゆき首を長く見せるという風習。
首長族などと呼ばれているが、実際には首が伸びているのではなく、首輪の重さで鎖骨と肩の位置が下がっていくという変工。
二次性徴を迎えた女性の乳房の切断や焼灼。
キリスト教の歴史上の極一部の宗派では宗教上の禁欲的生活のために尼僧の乳房を切除したり圧迫して萎縮をさせていたという見聞がある。
古典伝説ではヨーロッパのアマゾネスが知られている。
ハムラビ法典では刑罰としての乳房の切除が定められている事が確認されている。刑罰や育児の禁止としての乳頭切除の疑惑や記録の残る民族・部族がある。
●性器切除・切断
▼割礼
通過儀礼の一つ。
ある年齢に達した時に性器の一部を切除するもの。
▼女性器切除
アフリカやインドで行われる通過儀礼。
ある年齢に達した少女の性器を変形させる。
▼女性器変工
コイコイ人における「ホッテントットのエプロン」が有名であるが先天性説があり、後天性としても変工の方法は判然としてはいない。
▼男性器切除
中国などにおける自宮・宦官の完全去勢も、特定の職業集団に加入するための身体改造の一種である。
また、近代以前のヨーロッパにおいて、第二次性徴の声帯成長によって失われる特定音域を持続させることを目的に、変声期前のボーイソプラノの男性を去勢することも行なわれた(カストラート)。
▼サブインシジョン(男性生器切開、尿道切開)
通常は外部に露出しない部分を切開して開放状態のままにする行為。 ボール・エクスポージャー(擬似去勢) 陰嚢を切開して、一度睾丸を取り出し、また戻して縫合するという過程を体験する。
●四肢
▼纏足(てんそく)
女性の幼児期にきつい靴や布で足の形を固定し成長させないようにするもの。
現代では廃れている。
▼靴
非意図的ではあるが、靴の使用は外反母趾などの足の変形を伴うことがある。
女性用の靴に著しい 。
▼器官切除・指詰め
指や腕・足などを切り落とす。
世界各地で古くから見られる。
現代では性器切断の場合も含め、切断した部位は施術者、または元の持ち主がトロフィー・コレクションとして保存していることも多い。
復元不可能な改造なだけに、施術者にはカウンセリング・スキルも必要とされる。
腕・肢・脚など切断が生命に関わる可能性が大きい部位の場合でも、正規の資格を持つ医療従事者は健康な部位の切断に承諾・施術することはないため、切望者は自ら切断したり故意に事故を起すことがある。
〔ウィキペディアより引用〕