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もの思う葦 ♯03 ー The Roas② ー

2023-05-25 21:00:00 | 日記

 ✰ ジャニス・ジョプリン✰

 ジャニス・リン・ジョプリン
(Janis Lyn Joplin)
〔1943年1月19日〜1970年10月4日〕
 アメリカ合衆国のミュージシャン。1960年代後半のアメリカにおけるカウンター・カルチャー時代を象徴する破滅型の女性ロック・シンガーであった。27クラブの会員であり、代表曲は『Move Over(ジャニスの祈り)』。


 〔生涯〕

 父のセス(1910〜1987)はテキサコに勤める労働者で、母ドロシー(1913〜1998)と本人、マイケル(1951〜)とローラ(1949〜)の2人の妹弟を含む5人家族であった
 ジョプリンは、小さな頃からベッシー・スミスやオデッタ、ビッグ・ママ・ソーントンなどのブルースを聴いて育つ一方、地元の聖歌隊に参加していた。       

 1960年に、ポート・アーサーのトーマス・ジェファーソン・ハイスクールを卒業し、テキサス大学オースティン校に入学。高校では、他の生徒から孤立しがちであったが、仲の良かったグラント・リオンズという生徒にレッドベリーのレコードを聴かされたのを契機に、ブルースやフォーク・ミュージックに関心を持つようになった。
 しかし、大学在学中男子学生によって非公式に行われたミスコンに対するいわゆるブスコンでトップに選ばれ、これにショックを受けそのまま大学を中退した。
  大学をドロップアウトしたジョプリンは、1963年にサンフランシスコへと向かった。フォーク・シンガーとして生計を立てていたが、この頃から麻薬の常習が始まったとされる。
 ヘロインやアンフェタミンなどの薬物の他に、アルコールも大量に摂取していた。 当時の女性シンガーについて当てはまることであるが、ジョプリンのイメージと内面には大きな隔たりがある。後に彼女の妹、ローラが著わした手記『Love, Janis』には、彼女が知的でシャイ、繊細な家族思いの人物であったことが記されている。

 一時静養のためにポート・アーサーへ帰郷したが、1966年には再びサンフランシスコへと戻っている。
 ヘイト・アシュベリーを中心としたヒッピーたちの間で際立って目立っていた彼女は、ビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニーに参加する。
 バンドは、独立系レーベルのメインストリーム・レコードと契約し、1967年にバンドの名を冠したアルバムを発表した。   

 このバンドは演奏能力が不足していることでも知られ、売れ行きは不調だった。
 しかしジャニスは、モントレー・ポップ・フェスティバルにおける演奏で大きな注目を集めるようになった。
 ジョプリンは、ビッグ・ママ・ソーントンの「ボール・アンド・チェイン」を荒々しい歌声で歌いこなしてみせた。D・A・ペネベイカー監督のドキュメンタリー映画『モンタレー・ポップ フェスティバル'67』では、群衆の中に紛れたキャス・エリオットが「Wow, that's really heavy」と呟く姿が撮影されている。 

 1968年のアルバム『チープ・スリル』では以前に増して生々しい歌声を披露し、その評価を決定づけることになった。スタンダード・ナンバーをブルース風にカバーした「サマータイム」や、前述の「ボール・アンド・チェイン」等、迫力のある歌が多く収録されている。

 ビッグ・ブラザーから離れた彼女は、新しいバンドであるコズミック・ブルース・バンドを結成。ブラス・セクションを加えた、よりソウル・ミュージックを意識した編成だ。1969年に『コズミック・ブルースを歌う』をリリースして、ウッドストック・フェスティバルにも出演したが、このバンドもすぐに解散した。その後、ジョプリンは新しいバック・バンドであるフル・ティルト・ブギー・バンドを結成する。こちらは、2人のキーボード奏者を含んだ編成。このバンドにおける演奏をもとに、ジョプリンの死後制作された1971年1月発表のアルバム『パール』は、彼女の短いキャリアにおける最高の売り上げを記録した。このアルバムからは、クリス・クリストファーソンのカバー曲「ミー・アンド・ボビー・マギー」がビルボードのチャート1位を記録。ビートニク詩人マイケル・マクルーアとジョプリンにより作曲された「ベンツが欲しい」もヒットした。

 ジョプリンが生前最後に公の場に姿を現したのは、1970年6月と8月に放映されたテレビ番組であった。
 6月の番組で、彼女は高校の同窓会に出席する予定だと述べた。同じ番組で、自分は今までクラス、学校、町、そして国中の笑い者だったとも語っている。
 一躍スターとなり彼女は同窓会に出席したが、その際も疎外感の中、孤独な表情がカメラにおさめられている。この一件は、ジャニスの孤独感を表す象徴的なエピソードとして語られている。

 1970年6月29日から7月3日、「フェスティバル特急」と呼ばれた列車に乗って、カナダでのツアーを行った。ザ・バンドやグレイトフル・デッド、バディ・ガイ等が同乗したこの豪華なツアーで、この模様は、後にドキュメンタリー映画『フェスティバル・エクスプレス』として公開された。 1970年10月4日の夕方、2枚目のソロアルバム『パール』のレコーディングにジョプリンが姿を見せなかった事に不安を感じたプロデューサーのポール・ロスチャイルドが、フル・ティルト・ブギー・バンドのローディーを務めていたジョン・クックに連絡し、彼女が滞在していたハリウッドの「ランドマーク・モーター・ホテル」105号室を尋ねたところ、ベッド横の床に倒れているところを発見された[8]。ジョプリンのかたわらには、4ドル50セントと、封の切られていないマールボロが一箱残されていたとされる。27歳没。死因については、以前から乱用したヘロインが通常のものより高純度であったため、致死量を越えたことが原因であるとされる。制作中だった『パール』の収録曲のうち、「ベンツが欲しい」はアカペラの仮録音、「生きながらブルースに葬られ」は、ボーカルの録音を死の当日にする予定だったが成されなかったため、インストゥルメンタルとして収録されている。 ジョプリンの遺体は火葬され、遺灰は死から9日後の10月13日、カリフォルニア州マリン郡スティンソンの海岸沖の上空から太平洋へと散骨された。

   〔ウィキペディアより引用〕

    The Roas
    ★★★★★★★

 Some say love, it is a river
ある人は言う、愛それは川だと
 That drowns the tender reed
かよわな葦を溺れさせる
 Some say love, it is a razor
ある人は言う、愛それは剃刀だと
 That leaves your soul to bleed
相手の心を引き裂き出血させる
 Some say love, it is a hunger
ある人は言う、愛それは飢えだと
 An endless aching need
限りなく苦しみ求め続ける

 I say love, it is a flower
私は言う、愛それは花だと
 And you its only seed
そしてあなたは、ただの種
 It’s the heart afraid of breakin’
それは心、怪我を怖がってる
 That never learns to dance
だから、決してダンスを習おうとしない      It’s the dream afraid of wakin’
それは夢、覚めることを怖がっている
 That never takes the chance
だから、決してチャンスをつかめない    It’s the one who won’t be taken
それは人、自分から得ようとしない人  Who cannot seem to give
そんな人は与えることもできない
 And the soul afraid of dyin’
そして魂、死ぬことを怖がってる
 That never learns to live
だから、生きる意味を学べない

 When the night has been too lonely 夜がとても孤独と思えてきて
 And the road has been to long
歩む道が長く感じ
 And you think that love is only
あなたがこう考えているなら、愛とはただ
 For the lucky and the strong
幸運で強い人だけのものと
 Just remember in the winter
忘れないで、冬の間
 Far beneath the bitter snows
深い雪のはるか下に
 Lies the seed that with the sun’s love
種があることを、それは太陽の愛を受けて
 In the spring becomes the rose
春には薔薇の花となる





■もの思う葦 ♯02 ー The Roas① ー

2023-05-24 21:00:00 | 日記

 『おもひでぽろぽろ』
(英題: Only Yesterday)

 
 岡本螢原作、刀根夕子作画の漫画。
『週刊明星』に1987年3月19日号から同年9月10日号にかけて連載。
単行本は青林堂から全2巻にまとめられ、1988年2月に刊行された。
昭和40年代を舞台に、小学5年生の少女・タエ子の日常を描く。

 アニメ作品では原作にはない27歳のタエ子の描写が加えられている。


 岡本蛍作、刀根夕子画による同名コミックをもとにした劇場用長編アニメーション。
 自分の少女時代を振り返りながら、精神的に自立してゆく平凡なOLの姿を描く。原作にある60年代のノスタルジックな風景と、高畑勲脚本・監督オリジナルによる有機農業を語る現代のエピソードが交差。レトロ気分に浸れる、
 回想シーンが印象的。宮崎駿製作。

 東京でひとり暮らしをしている27歳のOL・タエ子。農業に興味を持っている彼女は、休暇を利用し、義兄で農家を営む山形へと向かう。寝台列車で揺れる中、彼女の前にはいつしか小学5年生の自分が現れはじめるが・・・。


 『愛は花、君はその種子』
         歌 都はるみ

 やさしさを 押し流す 愛 それは川

 魂を 切り裂く 愛 それはナイフ

 とめどない 渇きが 愛だというけれど

 愛は花 生命の花 きみは その種子

 挫けるのを 恐れて 躍らない

 きみのこころ 醒めるのを

 恐れて チャンス逃がす

 きみの夢 奪われるのが 嫌さに

 与えない こころ 死ぬのを 恐れて

 生きることが 出来ない

 長い夜 ただひとり

 遠い道 ただひとり

 愛なんて 来やしない

 そう おもうときには

 思いだしてごらん

 冬 雪に 埋もれていても

 種子は春 おひさまの 愛で花ひらく

 <引用:高畑勲訳詞
   『愛は花、君はその種子』歌詞>

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人は、歳を重ねる毎に思い出は増幅し、少年少女の心を色濃く甦らせてくれます。

 この原曲が映画『The Roas』の主題歌でもあります。

 主演のベット・ミドラーが歌った主題歌の「ローズ」は、現在までに数多くの歌手がカバーし、スタンダード・ナンバーになっている。
 映画のストーリーとしてはベトナム戦時中の60年代、アメリカを舞台に、酒と麻薬に溺れながらも歌いつづけた女性ロック・シンガー「ローズ」の愛と激情の人生を描いています。
 メアリー・ローズ・フォスター 役はベット・ミドラー。
 ヒロインのローズはジャニス・ジョプリンがモデルとなっているそうです。

TV 番組 カムバック Vol.08

2023-05-23 21:00:00 | 出来事/備忘録

 ■必殺シリーズ

 必殺シリーズは、朝日放送テレビ(ABCテレビ)と松竹京都映画撮影所(現・松竹撮影所)の制作により、1972年9月から1975年3月まではTBS系列で、同年4月からはABCテレビ・テレビ朝日(1977年3月まではNETテレビ)系列で放送している。
 殺し屋たちを主人公とする時代劇シリーズであり、関連した映画や舞台の総称でもある。




 《概要

 池波正太郎の小説『仕掛人・藤枝梅安』『殺しの掟』などを原作とした『必殺仕掛人』に始まる一連のテレビシリーズおよびその派生作品の総称で、金銭を貰って弱者の晴らせぬ恨みを晴らすために裏の仕事を遂行していく者たちの活躍と生き様を描く。
 主人公たちの多くは表向きはまともな職業についているが、ひとたび依頼を受けると各々の商売道具を使った裏稼業を行う。多くは暗殺であるが、シリーズ当初は、暗殺よりも依頼人の復讐を代行することが多い。
 原作付きの『必殺仕掛人』、原案付きの『助け人走る』を除いては完全なオリジナル作品である。
 一般的な勧善懲悪を旨とする時代劇とは異なり、主人公は基本的に善行者ではなく、あくまで金のために殺しを行うアンチヒーローである。
 殺し屋という社会的に悪とされる稼業をあえてなす理由は、「どう理屈をつけようと殺人は悪であり、自分達が「正義の味方」にならないよう敢えて金をとっている」「合法的には裁くことができない悪人のみを殺める」「殺しにあたり、万に一つの間違いもないよう調査をする」といった倫理面のあとづけがされている。
 また、作品には日活ロマンポルノ女優の泉じゅんや風祭ゆきらがゲスト出演し、好評を博した。

 シリーズによって多少変わるものの、基本的には現実主義的なハードボイルドタッチの作風となっており、仕事の依頼者や仲間が殺されても黙殺する場面がある。
 その一方で、純粋な人助けや世直しを願う者もおり、しばしばグループ内の軋轢やジレンマに苛まれ、それが作品テーマとなることもある。15作目『必殺仕事人』を境として前期と後期に分けられ、2作目の『必殺仕置人』や10作目『新・必殺仕置人』を前期の代表、『仕事人』のタイトルを冠したものを後期の代表とされることがある。
 また、中村主水がレギュラー登場するシリーズと、それ以外に区分する場合もある。
 前期と後期の違いとして、1970年代に制作された前期作品は、非情・ハードボイルドで反権力的な世界観を持っていた。また、映画的で深みのある脚本と演出が特長であり、シリーズを愛好するマニア層から高く評価されている。
 一方で1980年代以降の後期作品は、お茶の間向けに徹した作風で、毎回の筋立てはワンパターンながらも、より娯楽性を増した殺陣が見られ、劇場用映画が作られるほどの人気となった。後期シリーズにおいても、内容面で一定の評価を受けている作品は存在する。

 一般的にテレビ映画やテレビアニメなどの外注制作テレビ番組のほとんどは数年後に製作した放送局が著作権を手放したと同時に映像保有権が映像制作会社か広告代理店に移行されるが、本シリーズは例外で、2022年現在も朝日放送テレビが知的財産権を保有し続けているため、同シリーズの映像に関しては、朝日放送テレビが管理者となっている。

   〔ウィキペディアより引用〕




 

■もの思う葦 ♯01 方言万歳!!

2023-05-23 21:00:00 | 日記

 葦とは
あし【×葦/×蘆/×葭】
イネ科の多年草。根茎は地中をはい、沼や川の岸に大群落をつくる。



 高さは2~3メートルになり、茎は堅く、円柱形で、細長い葉が互生する。穂は秋に出て紫色から紫褐色に変わる。若芽は食用になり、茎ですだれを作る。
 読み方として【よし】とも。
「悪(あ)し」に通じるのを忌んで、「善(よ)し」に因んで呼んだもの。



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 方言は、その地域性とか時代環境によって沢山の言葉が産まれて来ました。標準的な言葉は後に出来たことで、端的に言えば言葉の《インフラ》というところでしょうか。
 私は大阪生まれの大阪育ちなので関西弁(特に河内弁)丸出しです。このブログには、標準的(?)な言葉を使ってますが。

 さて、言葉には勘違いされる場合だってあります。私もその一人なのですが、例えば“モータープール”という言葉。
 私は、最初全国共通の言葉だと信じてましたが、違うんですね。関西特有の言葉らしいです。
 そもそも、関西弁は他県ではキツい言葉らしいと聞いて少し残念な気持ちでいますが、何故キツいのでしょう。
 アイスコーヒーを“レーコー”もしくは“レイコー”と注文すると相手の方が困惑されるのは時代錯誤なんでしょうか?
 居酒屋へ行って「ひやざけ頂戴」と注文すると、冷酒が来るので、ま、当たり前の行動と言えば、当たり前なのですが私の言っている“ひやざけ”は、常温の日本酒の事です。別名“コップ酒”とも言います。
 言葉は俄に進化しているんだと体感してますが、その一方で淋しくもあり、侘寂の境地です。
 ジェネレーションギャップとしては、譲るとして、郷土弁を愛する者として残しておきたい言葉もあります。
 

■あの頃欲しかったモノ ♯03

2023-05-22 21:00:00 | 懸賞/投函

 たまごっち(英:Tamagotchi)

 1996年11月23日に日本のバンダイから発売されたキーチェーンタイプの電子ゲームであり、登場するキャラクターのことでもある。
 名称の由来は「たまご(Tamago)」と「ウオッチ(Watch、腕時計)」。
企画、開発は横井昭裕。


概要

 画面の中に登場する「たまごっち」と呼ばれる生物にえさ(ご飯)を与えたり、糞の掃除をしたり「たまごっち」と遊んだりしながら育てていく。こまめにコミュニケーションをとっていれば機嫌がいいが、餌をやり忘れたり、糞の掃除が滞ったりすると機嫌が悪くなり最悪の場合には死に至ることもある。こうして育てていくと、ある程度時間が経てば「おやじっち」や「にょろっち」など様々な生物に変身する。どの生物になるかは、生物のその時の体重や機嫌に左右されるよう設定されている。その他、名称の由来どおり単なる時計としても利用することができる。 大きさは高さ53mmで、白黒液晶画面の下部に3つのボタンを備えている。ボタンは左からコマンドの選択・決定・キャンセルに割り当てられ、この操作体系は同社の『デジタルモンスター』、他社の『ドラゴンクエスト あるくんです』など多くのゲームに引き継がれた。

 ■第1期(誕生期)

 企画段階 編集 第1期たまごっちは、1995年6月、ウィズの横井昭裕がバンダイの本郷武一に原案となる企画書を提出したのが発端である。これは横井が1996年の年末商戦用にバンダイに提案した企画であり、女子高校生をメインターゲットとして開発された。
 第1期たまごっちは「携帯ペット」と銘打っていたが、開発者の横井昭裕が動物好きであったことから「ペットを育てる」という発想が生まれたものである。
 携帯に便利ということで時計型にする発想が生まれ、「卵型の玩具は売れる」ということで卵型にする発想が生まれた。 
 当初は名称の由来どおり腕時計型にしてベルトも付ける予定であったが、安い電子製品を使い製造するとかさばるという理由から撤回し、最終的にキーチェーン型となった。1996年11月23日、初代たまごっちが正式発売された。

 ▼社会現象化

 1997年を中心に、社会現象になるほど爆発的な人気を誇った。人気は本来想定していた女子高生以外にまで広まった。    
 口コミの評判にマスコミの煽りが相まって異常人気となり、入荷の情報を聞きつけた人々が徹夜で店に並ぶ様子が連日新聞やテレビで報道された。
 入荷の情報はテレビでは取り上げられず、もっぱらインターネットとラジオ番組によって発信された。
 その結果、たまごっちを持っていることが一種のステータスとなり、街には数個たまごっちを所有していたり、忙しい人向けの「たまごっち託児所」なる預かり所が登場したりもした。「飼育」していたたまごっちの「死」によってペットロス症候群に似た現象が一部のユーザーで見られるようになるなど、たまごっちブームは社会現象化した。50個のたまごっちの抽選販売に対して、抽選整理券が4000枚配られた所もある。 ブームの火付け役は、音楽番組で安室奈美恵が持っていたからだとも、テレビドラマ『踊る大捜査線』で和久平八郎(いかりや長介)が育成していたためだとも、スチュワーデスが持っていたからだとも言われる。 
 初代たまごっちの初回オーダーは当初6万個を予定していたが、販売価格を引き下げるため30万個に変更した。
 その後テストセールスの結果、大きな反響があったため100万個に再変更された。
 しかし正式発売後、人気の過熱により慢性的な品薄状態が続き「生産調整をしている」という噂も流れた。バンダイには問い合わせの電話が1日に5000件かかり、バンダイの公式ウェブサイトは1日に1万件を超すアクセスが殺到した。
 バンダイに直接出向いてたまごっちを求める人まで現れたが、実際にはバンダイやウィズの社員でさえたまごっちは入手できないほどだった。
 1997年6月のバンダイの株主総会では株主にたまごっち1個が贈呈された[20]。 1997年2月にはニッポン放送のラジオ番組で行ったたまごっちのプレゼント告知に15万通の応募が殺到した。
 たまごっちのパロディ本として『新ネタ発見!!ブッたまごっち』も扶桑社から出版され、話題になった。
 ウィズは前述のように当時のたまごっちを女子高校生向けに開発していたが、タイアップした雑誌は小・中学生向け少女マンガ雑誌の『なかよし』(講談社)と『ちゃお』(小学館)、男子小学生向け雑誌『コミックボンボン』(講談社)『月刊コロコロコミック』(小学館)に限られていた。
 日本以外にも世界30カ国で発売され、アメリカやアジア各国でも大流行[要出典]。アメリカの人気ドラマ『ER』にも登場した。1997年、「数百万人分の労働時間を仮想ペットの養育に費やさせた」功績により、ノーベル賞のパロディ的な賞であるイグノーベル賞の経済学賞を受賞している。
 また、同年には新語・流行語大賞のトップテン、DIMEトレンド大賞を受賞している。

 ▼さまざまな社会問題

 たまごっち欲しさに恐喝を働いたり、詐欺事件が発生するといった数々の社会問題も報道された。
 ブームの全盛期には、白いデザインのたまごっちが非常に稀少だとして特に人気が集中したことがあったが、横井は「単なる噂」としている。
 実際には他にも生産量の少ないたまごっちは存在していた。横井は、稀少価値があるとされた白いデザインの商品が1個9万円で取引されたり、色を塗り替えて稀少品であるように見せかけた商品が1個18万円で取引された話を聞いたという。 仕入れをした販売店によっては、100個仕入れたうちの50個だけ定価で店頭販売して、プレミア価格がついた5~20万円以上になっている人気のたまごっちは裏で売りさばいていたという。
 さらに転売屋が、たまごっちを組み立てていた韓国の工場から直接たまごっちを卸してもらって密輸し、20億円もの利益を得たケースもあったという。
 1997年2月14日には、日の丸タクシー・イースタンモータース・宮園自動車・東京コンドルタクシーが東京都内で新たにスタートさせる初乗り運賃1kmまで340円のタクシーの愛称を「たまごっちタクシー」と発表したところ、バンダイから「商標の無断使用」と警告される事態も発生した。

 ▼ブーム終息による赤字

 しかし、1998年に入るとブームが沈静化。それまでに経験したことがない大ブームに大増産を行ったバンダイは不良在庫の山を抱えることになり、在庫保管費などが経営を圧迫、1999年3月にメーカー在庫250万個を処分。不良在庫の処分により60億円の特別損失を計上し、最終的に45億円の赤字となった。大ヒットしたにもかかわらず、社内では失敗という声も出た。
 これを上回る赤字を出したものは、損失額270億円を出した「ピピンアットマーク」がある。 本郷武一によれば、第1期たまごっちシリーズがブーム定着に失敗した理由は「社内で情報を共有できなかったことに尽きる」という。関係各部門が独断で出荷を決め、品薄状態の店舗に追加出荷したものの、たまごっちを欲しがっている一般顧客は複数店舗にそれぞれ予約しており、実際の需要は予約件数よりずっと少なかった。
 発売元のバンダイによれば、これら第1期のたまごっちシリーズは全世界で4000万個(日本国内で2000万個、日本国外で2000万個)を販売したという。

 ■第2期(ツーしん期)

 ▼企画段階

 横井昭裕によると2001年頃に杉浦幸昌(当時バンダイ会長)が横井に「たまごっちを復活させよう」と働きかけたことがシリーズ復活の一つのきっかけだという。
 2002年末頃からバンダイ社内でのたまごっち復活の動きが本格化。
 さらに2003年頃、当時の高校生の間で初代のたまごっちが再燃しているという情報をバンダイの開発チームが聞きつけたことがきっかけとなって開発が始まった。
 第2期では小学生がメインターゲットとなった。
 これは「今の女子高生は携帯電話ばかりで玩具が生活に入り込むのは難しい」との開発側の判断によるもの。
 以前の「たまごっち」に赤外線通信を追加している。
 第1期はブームの過熱によりかえって短命化を招いたことの反省から、メディア露出を従来より控えめにして人気の長期持続を狙った。

 ▼販売開始

 第2期たまごっちシリーズは「かえってきたたまごっちプラス」として2004年3月20日に発売された。 第1期に登場したキャラクターも一部登場している。
 また、第1期と同名だが別のキャラクターも登場している。たまごっちの基本設定が全面的に一新された。 また、第1期ではタイアップする出版社が講談社・小学館と出版社2社体制で展開されていたが、第2期では小学館のみとなっている。アニメ映画の配給会社が第1期の東映から第2期では東宝に変更された。
 1990年代のブームほどではないが小学生を中心に受け入れられ、国内外での売上個数は2007年6月末までに3000万個を超えた。
 そして、本来のターゲットだった小学生の上や下の世代にも人気が拡大した。
 2004年11月23日には「祝ケータイかいツー! たまごっちプラス」(ケーたま)が発売された。 その人気に応えて、2005年に玩具屋店頭に通信機能を使ってアイテムのダウンロードや連動ミニゲームのできる「でかたまごっち」(後に「おうちのでかたまごっち」の商品名で一般にも販売)を設置、さらに「超じんせーエンジョイたまごっちプラス」(エンたま)を発表、2006年にはゲームセンターにはデータカードダスシリーズに属するトレーディングカードアーケードゲーム機『たまごっちカップ』などの展開を始めた。

 ▼ブームの収束

2007年、『たまごっちカップ』の後継である『たまごっちコンテスト』は、『オシャレ魔女♥ラブandベリー』や『きらりん☆レボリューション ハッピーアイドルライフ→クルキラアイドルDays』など他社のゲーム機に押されて売り上げ不振が続いていた。同年秋、一部の筐体は『Yes!プリキュア5』をキャラクターとして起用した『うたって!プリキュアドリームライブ 〜スピッチュカードでメタモルフォーゼ!?〜』に置き換えられ、残った筐体は『たまごっちとふしぎな絵本』にリニューアルされたが、稼働不振は止まらず、2009年2月から3月に男児向けの『仮面ライダーバトル ガンバライド』や『大怪獣バトル ULTRA MONSTERS』に置き換えられる形で稼働終了した。 2007年8月10日には、初のたまごっちオフィシャルショップ「たまごっちデパート」が東京ドームに開業した。同年11月23日には「いぇー!ふぁみりーイロイロ!たまごっちプラス」(ふぁみたま)が発売された。同年12月15日には、本格的なアニメ映画「えいがでとーじょー! たまごっち ドキドキ! うちゅーのまいごっち!?」が公開された。 2008年頃からは人気が沈静化し、玩具店・量販店によっては商品の在庫処分が行なわれた。

 ▼第3期(カラー期)

 たまごっちプラスカラー 編集 2008年9月25日に「たまごっちプラスカラー」を発表。シリーズで初めて液晶がカラー化されるとともに、ドット数が大幅に増え複雑なキャラクターが描写出来るようになった。電源がボタン電池から単四電池2本へ変更。また2009年には、人気ユニットであるEXILEとコラボレーションをしたモデルも発売された。
 同年12月20日には、映画第2作目「映画! たまごっち うちゅーいちハッピーな物語!?」が公開された。 2009年10月12日にたまごっちシリーズとしては初の30分テレビアニメ「たまごっち!」が放送を開始し、2015年9月24日までの6年間放送された。


 ▼たまごっちID
(Tamagotchi iD)
 2009年11月23日(初代たまごっち発売日から14年目)には「Tamagotchi iD(たまごっち iD)」が発売された。ダウンロードにより、自分だけのオリジナルたまごっちを作れるようになった。「産卵期」が「フレンド期」に変更され、また「フレンド期」においては世話を怠った際の演出が死亡から家出に変更された(幼児期〜思春期については従来通り、死亡する)。
 発売同日の2009年11月23日には『たまごっち大感謝祭』と称して、これまでのたまごっちシリーズをいずれか1つでも持参した者に、感謝状とたまごギフト券が配られた。
 2010年3月には、2009年の稼働終了以来の1年ぶりのデータカードダス、「カードでちゃくしん!たまごっち!」の稼働が開始した。システムが大幅に一新され、キャラクターデザインがアニメ「たまごっち!」に準じる物となった。今までのカードとの互換性がない。
 2011年3月19日にはiDのマイナーチェンジ版、「Tamagotchi iD L(たまごっち iD L)」が発売され、一部の機能が強化された。 女児をターゲットに絞った[40]iDは、2010年のバンダイこどもアンケートレポートでは4年ぶりに女子部門第7位にランクイン。
 さらにiDは2010年12月末までに累計80万個を出荷、これは2008年の前機種出荷数の3倍に上り、店舗によっては品薄となる人気になっている。

 ▼たまごっちPs
(Tamagotchi P's)
 2012年11月23日(初代たまごっち発売日から16年目)には「Tamagotchi P's(たまごっち P's)」が発売[43]。本体の大きさは前作とは変わっていないが、育てるキャラクターの種類が大幅に一新された。
 別売りの「たまデコピアス」(拡張ROM)を付けることによってキャラクター、アイテム、ゲームなどの追加が出来る。 2012年12月13日には、「たまごっちリズム TamaRiz」が稼働が開始され、Tamagotchi iDLとP’sとの連動ができる。

 ▼たまごっち4U
(Tamagotchi 4U)
 2014年9月27日には「TAMAGOTCHI 4U(たまごっち 4U)」が発売された。通信方法が赤外線通信から、NFC通信に変更されており、タッチすることで通信ができる。また、ダウンロード機能が大幅に拡張され、これまでの服、アクセサリー、食事、ゲームなどに加え、キャラクターや、店で使えるクーポンもダウンロードできる。
 2015年7月18日には、マイナーチェンジ版の「TAMAGOTCHI 4U+(たまごっち 4U+)」が発売され、一部の仕様変更や、通信機能の強化、一部キャラクターの個性が追加された。 2015年10月1日、バンダイによる公式YouTubeチャンネル「たまごっちTV」が開設された。

 ▼たまごっちみくす
(Tamagotchi m!x)
 2016年7月16日に「Tamagotchi m!x(たまごっち みくす)」が発売された。 
 同年11月23日に初代たまごっち発売20周年を迎えることから育成ゲームとしての原点回帰をコンセプトに開発された。
 新たにたまごっち同士が結婚すると両親の遺伝子を受け継いだ孫から子孫を残す事ができるようになった。また、結婚した親から生まれたたまごっちは両親の姿を受け継いだ姿になる。遺伝の要素を盛り込むにあたり、たまごっちiD以後にみられた家出の演出が死亡に戻された。
 また、通信方法がNFC通信から赤外線通信に戻された。 2017年4月28日には9年ぶりに短編映画作品「映画 たまごっち ヒミツのおとどけ大作戦!」が公開された。

 ▼たまごっちみーつ

 2018年11月23日に「たまごっちみーつ」が発売された。

 ▼Tamagotchi Pix

 2021年7月1日に「Tamagotchi Pix」が発売された。

 ▼たまごっちスマート

 2021年11月23日に「たまごっちスマート」が発売された。シリーズ開始25周年を経て、当初の企画案であった「腕時計型」の機種が発売されることになった。
 また、なつきアイコンも登場した。たまごっちみくすから変更された死亡の概念がある他、なつき度が低いまま放置していると、手紙を残して家出してしまうイベントもある。
 たまごっちが結婚するか死亡すると、部屋に新しい卵が現れ次のたまごっちを育てるシステムになっている。なお、たまごっちの結婚は結婚相手とキスをして、卵を残す事で表現されている。たまごっちの性別により、結婚相手が異なる。

   〔ウィキペディアより引用〕