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TV Games Retro Vol.07

2023-07-25 21:00:00 | ゲーム/アプリ

 『ソニックアドベンチャー』は、小気味良いスピード感が良いんだが、私にはそのスピード感は少し、速すぎて指が痛い。
 次回のソフトは、そういう事を考慮に入れてソフトゲームを買いたい。

 それで、
 になりました。『セガラリー2』

  スピード感は、抑えたものの、メカに弱かった。
 ギアがどうのこうの、タイヤの硬さが、ウェットだの、ハードたのとわけがわからない。
 こちらはマニュアル免許でも、実質AT車並みにしか動かせない。
 そのくらいのメカ知識。
 「あ〜ぁ」という気持ち。

 《概要》

 1999年1月28日、ドリームキャストで発売。
 VGABOXによるプログレッシブ出力、レーシングコントローラ、ネットワーク対戦時用にドリームキャスト・キーボード、ぷるぷるパックによるフォースフィードバックに対応。
 パワーアップ移植としてヒットした前作のセガサターン版を踏襲・かつ進化させた作りとなっており、各要素の大幅な充実化・AC版と異なるコンポーザーによるBGMの追加が図られている。
 デモ曲も拡充。オリジナルデモ曲「GO!GO!SEGARALLY」はAC版初出コース(DESERT、MOUNTAIN、SNOWY)、移植版追加コース(ISLE、MUDDY)は「DRIVE ME MAD」となった。
 ・アーケードモード
 アーケード版に準ずる。

 ・10イヤーズチャンピオンシップモード
 様々な天候、コースの組み合わせ毎に適切なカーセッティングをしつつ転戦し、制覇していく。 基本ルールはチャンピオンシップと同一だが、10年目の最終戦のみCPUと1対1で対戦する方式となる。
 ・タイムアタックモード
 インターネット上全世界タイム申請ができたが、現在では終了している。
 ゴーストカー記録も可能。
 ・マルチプレイヤーモード
 通信対戦対応。対戦サーバサービス担当はDOWANGO。現在はサービス終了しているため、画面分割による1画面対戦のみ。
 ・カープロファイルモード
 アーケード、10イヤーズで取得した車種の解説。

 ナレーターはカーグラフィックTVナレーション担当の古谷徹。

 ・カーセッティングモード
 アーケード、カープロファイルモード以外で使用するカラーリング以外の自分なりの車種のオリジナルセッティングのセーブが可能。セッティングを煮詰めるための試走もコース毎にできる。

 グラフィックはAC版から解像度やポリゴン数の低下等があるものの概ね再現し、フレームレートも可変式60フレームとなったが、処理落ちが頻発する。 挙動反映性は前作よりアナログ操作が標準化して機敏になった他、アーケードモード以外においては実車と同様の多段式ミッションが任意に選択可能となった。
 コースレパートリーに至ってはAC版及びアーケードモードではDESERT、MOUNTAIN、SNOWY、RIVIERAの4種固定から、アーケード以外のモードではこれをエリアとして捕らえ、MUDDY、ISLE、最終隠しコースであるSSS(SUPER SPECIAL STAGE)が追加。
 RIVIERA、SSSを除くエリアではそれぞれ各3種の「SS」が設定され、計15+2コースからセレクトできるようになっている。

 この頃、ゲーム混迷期間で、Chatに力を入れていたと思います。
 『あつまれ!ぐるぐる温泉』とか。

 ああつまれ!ぐるぐる温泉』
(あつまれ!ぐるぐるおんせん)
 セガのオンラインテーブルゲーム。
 自分だけの分身キャラクター(アバター)を作成してネットで対戦したり、チャットで他のユーザーと交流して友達を作る事は当時としては斬新で人気を博した。

 《概要》

 『2』以降はセガのオンラインゲームサービス『open dice』に対応し、異なるプラットフォーム間の対戦やチャットが可能であった。
 本項ではこれらも併せて解説する。 なお、『あつまれ!ぐるぐる温泉』のネットワークサービスは2001年9月23日をもって終了、『ぐるぐる温泉2』『ぐるぐる温泉3』『オンラインゲームズ 大ぐるぐる温泉』を含めたopen diceのネットワークサービスは2005年11月30日に終了したため、シリーズ全てを通してオンラインプレイすることは不可能になっている。

 尚、タイトルの意味は「ドリームキャストオンライン」→「ドリームキャストのマーク(渦巻→ぐるぐる)・オン(温)・ライン(線→せん→泉)」→「ぐるぐる温泉」と置き換えたものである。

 1999年9月23日に発売されたドリームキャスト用ゲームソフト。

 標準装備されたモデムによるインターネット接続機能を用いたネット対戦が可能だったが、周辺機器のコントローラーと『ビジュアルメモリ』を用いて最大4人までオフライン対戦もプレイできる。
 2000年10月31日にはブロードバンドアダプタに対応した『あつまれ!ぐるぐる温泉BB』が発売された。
 収録ゲームは麻雀、将棋、トランプ(大富豪、ナポレオン、7並べ、ユーコン、フリーセル)。
 また占いゲームの「ことり占い」や周辺機器『ビジュアルメモリ』のミニゲーム「ちいさなことり占い」も収録されている。
 オンラインモードでは、最大6人まで入室できる『大浴場』と言う、いわばチャットルームが存在していた。

     〔ウィキペディアより引用〕

 あの頃「アバター」という言葉も初めての言葉だった。

ダカーポ ♯004

2023-07-24 21:00:00 | Keyword/話題

 ■団塊の世代

 団塊の世代(だんかいのせだい)

 日本において第一次ベビーブームが起きた時期に生まれた世代を指す。
 焼け跡世代(あるいは戦中生まれ世代)の次の世代に当たり、第二次世界大戦直後の1947年(昭和22年)4月2日〜1950年(昭和25年)4月1日に生まれて、文化的な面や思想的な面で共通している戦後世代のことであり、大学進学した人は、学生運動が最も盛んな時期に相当する。
 第一次ベビーブーム世代とも呼ばれる。日本経済においては第二次世界大戦後の高度経済成長、バブル景気を経験している。
 この用語は通商産業省の官僚であった堺屋太一による、オイルショック後の日本経済がこの世代によりどのように変わっていくかを描いた未来予測小説の題名『団塊の世代』に由来している。
 厚生労働省は、白書において「団塊の世代」ではなく、「団塊世代/1947年(昭和22年)〜1949年(昭和24年)生まれ」としている。

 じゃ、何故その世代を“団塊”と呼ぶのか?

 団塊とは

 「かたまり」または「ノジュール」

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 ノジュールとは、堆積岩中に周囲と成分の異なる物質が,丸みをもった大小さまざまの塊として含まれているもの。

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 作家の堺屋太一が1976年に発表した小説『団塊の世代』で、鉱物学で一塊の単位で採られる鉱物を指す「ノジュール(nodule )」の訳語を、世代を表す言葉として用いた事により登場した言葉である。団塊世代とも言われる。

 《概説》

 団塊世代が生まれる前は戦中、戦後直後であり、出産を先送りする傾向にあった。
 その反動だけでなく、第二次世界大戦の終結に伴って大正世代の若い男性が復員し、1940年代後半に婚姻をする男性が増加した。明治40年代生まれ・大正生まれ・昭和一桁前半生まれの若い男女の婚姻急増に伴う出生人口の大幅な増加が発生し、第1次ベビーブームが発生した。
 1948年(昭和23年)までは、一部の例外(強姦・姦通)を除き、一般的に産婦人科での避妊・中絶・不妊手術などの行為は、刑法で堕胎罪となり禁止されていた。
 1948年(昭和23年)に優生保護法によって限定的に容認して、さらに翌年の1949年(昭和24年)に同法は改正されて、「経済的な理由」での中絶も容認することになったため、出生率の増大に歯止めがかかり、1950年(昭和25年)以降は出生率が低下していった。
 さらに戦後、結核など伝染病の予防法・治療法が確立されたことで青少年期における死亡リスクが低下し多産の必要性がなくなったことも、1950年代以降に出生率が低下した要因の一つであった。
 団塊の世代の母親までは、産婆による出産が主流であったが、昭和30年代には産婦人科医療による出産が主流となった。
 このため日本においては、1947年(昭和22年)から1949年(昭和24年)の3 年間に生まれた人口が突出することとなった。
 2014年10月時点で、コーホート別の人口が200万人を超えているのは、団塊の世代の65-67歳とその直後の64歳、第2次ベビーブーム世代である41歳のみである。
 作家の堺屋太一が通商産業省鉱山石炭局在籍時の1976年(昭和51年)に発表した小説『団塊の世代』の中で用いたことから、「団塊の世代」という用語とともに、団塊の世代が日本社会に及ぼす大きな影響が一般にも認識された。
 アメリカ合衆国でも同様の現象が見られており、こちらは「ベビーブーマー」と呼ばれている。

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 ベビーブーマー(英: baby boomers)

 第二次世界大戦の終結直後に、復員兵の帰還に伴って出生率が上昇した時期に生まれた世代を指す。
 この第二次大戦終結後のベビーブームは世界的現象であるが、狭義で「ベビーブーマー」という場合にはアメリカ合衆国でのベビーブーマーを指す事が多い。
 単に「ブーマーズ (Boomers)」とも。

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 連合国軍占領下の日本で誕生し、実の父親が戦死して母子家庭となった例や、本土空襲などの戦災体験がない世代である。
 また、昭和40年代にヒット曲となった「戦争を知らない子供たち」に象徴される「戦争を知らない世代」で「初の戦後(第二次世界大戦後)生まれ」である。

 関連項目 ー 高度経済成長 ー

 高度経済成長(こうどけいざいせいちょう)
または、高度成長(こうどせいちょう)高成長(こうせいちょう)

 飛躍的に経済規模が継続して拡大することである。
 日本においては、実質経済成長率が年平均で10%前後を記録した1955年頃から1973年頃までを高度経済成長期と呼び、戦後の焼け野原の何もない場所から熾烈な勢いの電撃的制覇により基盤を築いた点で、孫策の江東平定に隠喩されることがある。

 日本経済が飛躍的に成長を遂げた時期は、1954年(昭和29年)12月(日本民主党の第1次鳩山一郎内閣)から1973年(昭和48年)11月(自民党の第2次田中角栄内閣)までの約19年間である。
 この間には「神武景気」や「数量景気」、「岩戸景気」、「オリンピック景気」、「いざなぎ景気」、「列島改造ブーム」と呼ばれる好景気が立て続けに発生した。
 1968年には国内の郵便番号制度とユーロクリアができて、それから手形交換制度のオンライン化が急速に進んだ。
 また、第一次世界大戦における勝利以降、日本がイギリスやアメリカなどと並んで「五大国」の一国に数えられていた昭和前期の日中戦争の前後から、第二次世界大戦後期において連合国軍による日本本土への空襲が激しくなり工業生産に影響が出てくる1944年前後までの期間も、軍需に支えられた統制経済下にあるとはいえ経済成長率自体は高度成長期に匹敵する。

 《経緯》

 ▼敗戦からの復興(1946~1956年)

 第二次世界大戦において、イギリス・アメリカ・中国・オランダの連合国に敗北し、朝鮮半島や台湾などの領地を喪失した上に、敗北と占領下による経済活動の荒廃や混乱を経た上でも、日本は敗北から急速に復興した。
 1940年代後半に発生した食糧危機の影響により経済状況が一時悪化するが、1950年の朝鮮戦争特需により、占領下を脱して1年半の1953年後半ごろには戦前の最高水準を上回った。
 1956年10月には戦後11年で経済白書が「もはや戦後ではない」と宣言。

 ▼高度経済成長黎明期(1957~1960年)

 1957年から1973年の16年間は、年平均10%以上の経済成長を達成した。
 エネルギーは石炭から石油に変わり、太平洋沿岸にはコンビナートが立ち並んだ。戦後解体された財閥が、株式を持ち合いながら銀行を事実上の核とする形態で再生し、旧財閥系企業が立ち直ったのもこのころだと言われる。
 この経済成長の要因は、高い教育水準を背景に金の卵と呼ばれた良質で安い労働力、第二次世界大戦前より軍需生産のために官民一体となり発達した技術力、余剰農業労働力や炭鉱離職者の活用、高い貯蓄率(投資の源泉)、輸出に有利な円安相場(固定相場制1ドル=360円)、消費意欲の拡大、安価な石油、安定した投資資金を融通する間接金融の護送船団方式、管理されたケインズ経済政策としての所得倍増計画、政府の設備投資促進策による工業用地などの造成が挙げられる。
 また、戦後首相の座についた吉田茂が行った、『憲法9条の下で本格的な再軍備を慎重に避けながら、日米安全保障条約に日本の安全を委ねることで、自国の経済成長を優先させる方針』についても、上記の要因の一つとして考えられる。

 ▼所得倍増計画で東京オリンピックへ      
  (1961~1964年)

 1960年、池田勇人内閣は、翌1961年4月からの10年間で国民総生産(GNP)を2倍以上に引き上げ、西欧諸国並みの生活水準と完全雇用の実現を目標とする「所得倍増計画」を発表した。
 所得倍増計画は1964年秋に開催される東京オリンピックへの特需を迎えた。
 名神高速道路(1963年7月開業)や東海道新幹線(1964年10月開業)といった大都市間の高速交通網、首都高速道路や阪神高速道路も整備され、都内では東京都交通局の地下鉄1号線(現・都営地下鉄浅草線)、帝都高速度交通営団(現・東京地下鉄〈東京メトロ〉)の日比谷線といった地下鉄新線の整備が進められた。
 第二次大戦終戦直後の復興から続く一連の経済成長は「東洋の奇跡」(英語では「Japanese miracle」)と言われた。
 この驚異的な経済成長への憧憬や敬意から、日本を手本とする国が現れ始める(マレーシアにおけるルックイースト政策など)。
 現在では、「戦後#第二次世界大戦後」の代名詞として1960年代の映像資料が使われる事が多い。
 この時代、テレビ・洗濯機・冷蔵庫の3種類の家電製品は「三種の神器」と呼ばれ、急速に家庭に普及していった。
 これら便利な家庭製品の普及は生活時間の配分にも大きな影響を与え、女性の社会進出を促すことになった。
 この当時の風潮としては「大きいことは良いことだ」が流行語となり、「巨人・大鵬・卵焼き」に象徴される。
 「東洋の奇跡」と言う言葉が使われ始めた頃は日本人独特の「勤勉」「個より集団を重んじる(=和の文化)」等が要因として挙げられた時期もあった。

 ▼昭和40年証券不況(1965年)

 経済成長は同時に証券市場の成長も促し、投資信託の残高は1961年に4年前の約10倍となる1兆円を突破した。
 この勢いは、当時、「銀行よさようなら、証券よこんにちは」というフレーズが流行るほどだった。
 しかし、1964年頃から経済は急速に縮小し事態は一変した。
 1964年にサンウェーブと日本特殊鋼(現大同特殊鋼)が倒産、1965年には山陽特殊製鋼倒産事件が発生した。
 さらに大手証券会社各社が軒並み赤字に陥った。
 一方個人消費は旺盛であり、主に個人消費者を対象とする製造業や流通業、サービス業はこの不況の影響をほとんど受けなかった。
 こうした事態を受け、不況拡大を防ぐために政府は、1965年5月に山一證券への日銀特融、7月には戦後初である赤字国債の発行を決めた。
 結果、当時の政財界の関係者が危惧していた昭和恐慌の再来を未然に防ぎ、高度経済成長を持続していくこととなる。

 ▼いざなぎ景気で大阪万博へ
  (1966~1970年)

 1965年10月からいざなぎ景気が始まり、1966年から再び年10%以上の成長期となった。
 1967年10月には所得倍増計画を達成。 1968年には日本の国民総生産(GNP)が、同じく敗戦国の西ドイツを抜き、アメリカに次ぐ世界第2位の経済大国となった。
 終戦25周年記念として大阪万国博覧会が大阪府吹田市で1970年3月から半年間開催されることになり、いざなぎ景気は大阪万博への特需を迎えた。
 大阪万博特需として、大阪中央環状線開通(1968年3月)、東名高速道路開通(1969年5月)、大阪市営地下鉄(現・Osaka Metro)の新線整備等が行われた。
 日本が債権国となった1960年代後半には、外国人の日本株投資が活発化した。
 このころ株式投資基準が配当利回りから、株価を1株あたり純利益で割った値(PER)へ移行していった。
 外資に乗っ取られないよう金融機関をはじめ国内企業間で積極的に株式持ち合いをした結果、1973年度末の法人持株比率は66.9%にも達した。

 ▼石油危機と高度経済成長の終わり     
  (1971~1973)

 1971年8月のニクソン・ショック(ドル・ショック)による実質的な円の切り上げ、変動相場制移行は国際収支の過度な黒字を修正して経済の安定に寄与した。
 1972年は3月に山陽新幹線岡山開業、5月に沖縄復帰を実現した。 1973年10月の第四次中東戦争をきっかけに原油価格が上昇し、日本はオイルショック(第1次オイルショック)に陥った。
 政府はインフレを抑制するために公定歩合を9%にまで引き上げた。

 ▼安定成長期(1974~1991)

 1974年1月に第二次世界大戦後初めて実質マイナス成長を経験し高度経済成長時代は終焉を迎えた。
 この頃から財政政策による景気回復が主張されるようになった。
 その後は安定成長期(1973年12月よりバブル経済崩壊の1991年4月まで)[注釈 4]へと移行する。安定成長期には、それまでの鉄鋼・造船などの重厚長大産業から半導体やコンピュータなどの軽薄短小産業への転換が進んだ。
 また、第二次ベビーブームが終わり第2次オイルショックが発生した1979年以後の日本は少子化の道を歩むこととなった。
 1985年のプラザ合意を起点とする円高不況、そして1980年代後半から1990年代初頭のバブル景気となった。

 ▼失われた30年(1992年以降)

 バブル景気の崩壊を経て、平成期の日本は失われた10年(20年・30年)とも呼ばれる低成長期に入ることとなる。

 ▼環境問題

 経済成長の陰で急速な工業化に伴い環境破壊が起こり「水俣病」や「イタイイタイ病」、「四日市ぜんそく」「第二水俣病」といった四大公害病の発生、大量生産の裏返しとしてのゴミ問題などの公害の問題が高度経済成長期後半になると深刻化した。
 また、都市への人口集中による過密問題の発生と地方からの人口流出による過疎問題が発生した。
 高度経済成長時代も後半はその政策の見直しを迫られ、1967年の佐藤栄作内閣による公害対策基本法の制定や1971年の環境庁の発足、1972年の田中角栄による『日本列島改造論』の提唱につながることになる。
 高度成長期には、近代的なインフラが集中的に建設されたため、2020年代以降、一斉に寿命を迎えて利用に支障を来すなど社会問題化することが予見されている。
 このため政府は、2013年より「インフラ長寿命化基本計画」を立案して対策に乗り出している。

     〔ウィキペディアより引用〕

銭の花《商魂》 ♯006

2023-07-23 21:00:00 | 日記

 ■Curry

 株式会社壱番屋
(いちばん)
(英: Ichibanya Co., Ltd.)

 愛知県一宮市に本社を置くカレーハウスCoCo壱番屋(カレーハウスココいちばんや、略称: ココイチ)を運営する大手カレーライス専門店チェーンである。
 ハウス食品グループ本社の連結子会社。フランチャイズにより日本国内各地のほか、海外のアメリカ、台湾、韓国、中国、タイなど世界各国にも店舗を展開する。


 《特徴》

 店名は「カレーならココ一番や!」から来ている。
 カレーの辛さ・ライスの量・トッピングを選ぶことができる。
 レギュラーメニュー(30種類以上)と数種類の期間限定メニューで構成されている。
 接客に関してはマニュアルが徹底されているが、一方で日本国外展開にあたっては日本と異なる路線展開も行われており、例えばタイでは高級ブランドとしての展開を主軸にしている。

 《歴史》

  CoCo壱番屋の歴史は、宗次徳二と妻の直美が、1974年(昭和49年)に開業した喫茶店「バッカス」で出していたカレーライスが好評だったことをきっかけに1978年(昭和53年)「カレーハウスCoCo壱番屋」を創業したことに始まる。
 店名は「ここが一番や!」という思いから。
 「ニコニコ・キビキビ・ハキハキ」を掲げ、「お客様第一主義」「現場主義」をモットーとした。
 各メーカーのカレールーを試した結果、直美が選んだのがハウス製品であったことから、スパイス調合のリクエストなど、ハウス食品との付き合いも開店当初より始まった。
 1982年(昭和57年)に名古屋市で法人化した。創業間もない頃、当時TBS系で放送されていたクイズバラエティ番組『ぴったし カン・カン』で店舗内の様子が放送されたことがある。
 当時すでに1辛から5辛まで、さらにはそれ以上の辛さメニューがあった模様で、そのメニューにある文句(「医者の紹介いたします」等)が番組内の問題に使われていた。 ご飯の量やルーの辛さ、トッピングなどを客が選べる仕組みや、社員ののれん分けシステムを作り、1987年には80店舗を超え、1998年には500店舗に達した。
 2002年に創業者である宗次徳二は53歳で顧問(創業者特別顧問)になり、1998年より社長を務めていた妻の直美も代表権のない会長に退き、2011年に会長から非常勤の相談役となり引退した。
 創業時から、ライス量1,300グラム以上のカレーライスを対象に、15分または20分以内に完食すれば無料(ライス一粒でも食べ切れなければその代金を支払わなければならない)かつ一部店舗では店内に達成写真の掲載となる「大盛りチャレンジ」(国内店舗のみ実施)が有名であったが、年間30トンもの残飯が出ていたことと、食品リサイクル法により、2006年までに2割以上の廃棄物削減が義務づけられたため、2003年8月31日をもって打ち切りとなった。
 なお、1993年米騒動の時にも一時中断している。
 これを始めた理由は話題作りのためで、実際に成功したものの、「やっている当時から食べ物をゲーム感覚で扱うことに疑問を持っていなかったわけではなく、食べ物でもったいないことをしてしまった」と宗次徳二は述懐している。
 ただし、1,300グラムの注文自体は現在でも可能である。 2004年には1,000店舗を達成し、2005年5月2日には東京証券取引所第一部・名古屋証券取引所第一部上場を果たした(銘柄コード7630)。
 2013年1月17日、カレーハウスCoCo壱番屋は「最も大きいカレーレストランのチェーン」としてギネス世界記録に認定された。
 2015年12月8日、創業当時より交流のあったハウス食品グループ本社が壱番屋に株式公開買付けを行い、壱番屋を連結子会社化した。

 ▼M&A

 2020年12月29日には北海道旭川市でジンギスカン店「成吉思汗 大黒屋」を経営する有限会社大黒商事の全株式を取得し、連結子会社化している。
 2023年3月、関西でつけ麺チェーン「麺屋たけ井」を展開する株式会社竹井を完全子会社化した。

 ▼海外展開

 2005年9月、台湾の台北市萬華区西門町に、台湾1号店(台北西門漢中店)が開店した。
 2008年、タイのバンコクにあるショッピングセンターのエスプラネード内に、タイ1号店が開店した。
 タイでは日本とは異なり高級ブランド路線での店舗展開を図っており、カレールーや米は全て日本から輸入している。
 2008年3月、韓国の江南に韓国1号店を開店、同年11月3日、鍾路に2号店を開店した。
 2010年夏、アメリカ合衆国と香港に進出することが発表された。
 2011年2月9日、アメリカ合衆国本土1号店となるPalm Plaza Torrance店をカルフォルニア州ロサンゼルスのPalm Plazaショッピングモール内に開店した。
 ロサンゼルスでの事業展開は、ハウス食品との合弁会社「ICHIBANYA USA, INC」が行う。
 2013年7月現在、海外店舗は、ハワイ州オアフ島4店舗、カリフォルニア州3店舗、中国大陸33店舗、香港6店舗、韓国19店舗、台湾19店舗、タイ20店舗、シンガポール3店舗である。
 現地運営会社は、資本業務提携のハウス食品との合弁法人がほとんどである。
 2020年8月3日、カレーの本場インドの首都ニューデリー郊外のグルガオンにインド1号店を開店させた。
 その後、2022年10月6日にニューデリーの高級ショッピングモールのフードコートに同国2号店を開店させた。

 《不祥事》

 ▼産業廃棄物処理業者による不正転売 

 2016年1月13日、異物混入の疑いがあるために廃棄を依頼したビーフカツが、産業廃棄物処理業者のダイコーによって不正に転売され、「Aマート」など愛知県内のスーパー約22店舗で販売されていたと発表した。
 愛知工場で使用している合成樹脂製の器具が混入している可能性があり、混入した時点が不明なため、全ロットである40,609枚の廃棄を依頼していた。きっかけは、系列店に勤務するパート従業員が、ある筈がないスーパーマーケットで販売されているのを発見し、壱番屋本部に通報したことで発覚した。
 ダイコーは、岐阜県羽島市にある「みのりフーズ」に転売しており、ダイコーは愛知県庁の調査に対し転売は初めてであると説明した一方で、みのりフーズの実質経営者によると、過去にも2014年ごろから2、3回取引していたとのことである。
 また、書類上は、全て堆肥化したとしていたことも明らかになっている。
 この件に対し、愛知県警察は廃棄物処理法違反の疑いで、2016年1月14日午後にダイコーを捜索、伝票や帳簿を押収した。
 その後、似たような製品が売られているとの連絡があり、愛知県が愛知県愛西市の精肉店の在庫を調べたところ、ビーフカツに加えチキンカツも発見された。愛知県が壱番屋に確認したところ、2014年8月にもダイコーに廃棄処分を依頼していたとのことであった。みのりフーズや同社と取引している弁当店でも、同じチキンカツが発見された。
 さらに岐阜県や三重県でも流通が確認された一方で、1月13日の聞き取り調査を最後に、ダイコーの責任者との連絡が取れなくなった。
 1月16日、愛知県警察はみのりフーズの捜索を行った。なお、みのりフーズの冷凍庫からは、冷凍マグロや鶏肉などの食品も見つかっており、壱番屋以外の食品廃棄物も取引していた疑いがもたれている。
 その後壱番屋は、ダイコーと同社会長を相手取り、損害賠償を求める訴訟を名古屋地方裁判所で起こしたが、ダイコー側は裁判に出廷しなかったため、2017年12月22日に、ダイコー側に2,015万円の支払いを命じる判決が確定した。

 ▼店舗従業員による不適切な行為

 2021年6月12日、アルバイトの男性店員が、店の休憩室でまかないのカレーに対して不衛生な動作(自身の陰毛を引き抜きカレー皿に乗せるなど)を行い、別の店員がその様子を撮影。動画をSNSに投稿して、間もなく本部に通報があり発覚。壱番屋は14日昼過ぎ、「店舗従業員による不適切な行為とお詫びについて」と題したお知らせを公表。「従業員による不適切なSNS投稿があったことが発覚いたしました」と報告し、「このような、店舗内の休憩室での不衛生で不適切な行為によって、お客様に大変ご不快でご不安な思いをさせてしまいましたことを深くお詫び申し上げます」と謝罪した。

ー 株式会社 壱番屋 経営理念 ー

 『ニコニコ』『ハキハキ』『キビキビ』

  《 vision 》
 
 事業基盤の更なる強化と新たな領域へのチャレンジ

     〔ウィキペディアより引用〕



CTNRX的文學試行錯誤 ♯013−C

2023-07-22 22:00:00 | 出来事/備忘録

 ■沼 正三

 沼沼 正三(ぬま しょうぞう)

 日本の小説家。主に、1956年から『奇譚クラブ』に連載された小説『家畜人ヤプー』により知られる。
 覆面作家として活動し、覆面であるため外国人説含めその正体には諸説ある。
 これまでに沼正三の正体と見なされた人物は、三島由紀夫、奥野健男、武田泰淳、澁澤龍彦、会田雄次、遠藤周作、倉田卓次、そして沼正三の代理人と称する天野哲夫である。

 《沼の正体に関する議論》

 ▼倉田卓次説

 1982年に森下小太郎が『諸君!』11月号に元判事の倉田卓次が著者だとの記事を発表した。
 しかし倉田は、自伝的著作『続々裁判官の戦後史 老法曹の思い出話』(悠々社、2006年)で、自身が沼正三であることを完全に否定している。
 ただし、その中で、自身がヤプー連載当時の『奇譚クラブ』の愛読者であったこと、そして『奇譚クラブ』を通じて天野、森下と互いの該博な知識の共有を主目的とする文通を行っていたことは事実として認めており、ヤプーの創作過程における複数人の関与、殊に三島由紀夫の匿名による関与の可能性=『家畜人ヤプー』が複数人による共同作品である可能性を示唆した記述もある。
 内藤三津子『薔薇十字社とその軌跡』(論創社、2013年)では、インタビュアーの小田光雄が沼正三の正体は倉田卓次であると断定。
 その根拠として「天野と沼の文章を比べると、その文章、語学力、教養などからして、二人がまったく別人であることは歴然」と、小田はいう。
 また、『家畜人ヤプー』刊行の半年後に倉田が退官したのも、正体が露見したことによる衝撃が原因であり、彼は『ある夢想家の手帖から』刊行後は天野に沼名義の著作権など一切を譲ってしまったのではないか、と推測している。

 ▼天野哲夫説

 1982年、森下による記事発表の後に天野哲夫が『潮』1983年1月号で自分が沼正三であると宣言した。
 しかしこの宣言は虚偽ではないかとの指摘があり、議論は紛糾した。
 ただし、天野哲夫は「沼正三は私です。
 しかし、私一人とも言えない。当時、『奇譚クラブ』の仲間で合言葉のようにして作りあげた、共同ペンネームなのです」とも、語っている。
 主な否定派の意見としては、天野哲夫が書いたことがはっきりしている『家畜人ヤプー』の後半部分(当初、『続・家畜人ヤプー』として冒頭部分のみが発表され、中断した部分以降)が、前半部分と大きく異なっていること、天野哲夫の他の作品と『家畜人ヤプー』の前半部分が大きく異なること、天野哲夫は以前より性風俗を扱った文章や小説を天野哲夫名義で発表しており、覆面作家として沼正三を名乗る必然性が感じられないこと、宣言以前の沼正三の文章や代理人を名乗っていた頃の天野哲夫の文章と、宣言後の天野哲夫の文章の矛盾、などが挙げられる。
 団鬼六は、天野が沼を自称して続編を書いたがヤプーファンからは相手にされなかったと切り捨て、
 澁澤龍彦も倉田卓次が沼正三だと考えていた。なお、武藤康史はヤプーの文体から、天野が書いたものを、倉田が添削したのではないかと、推測している。 天野哲夫の代理人的存在であった山田陽一は、沼正三が天野哲夫であることには疑問を挟む余地がないと、否定派に対して、反論している。
 康芳夫は『綺譚クラブ』のオーナーから沼正三の連絡先を知らされて『家畜人ヤプー』の最初の版である都市出版社版の発行に携わっており、沼の正体を確実に知る人物の1人である。
 その康は、1974年の著書『虚業家宣言』で、『家畜人ヤプー』の一部は沼正三の許可を得て、天野が執筆したのだから、天野哲夫説は完全な間違いではないとしている。
 さらに同書の中で、沼正三は文壇とは一切関係ない人物で、1974年時点で40代、東京大学法学部出身で某官庁の高級官僚であると人物像の一端を明かしていた。
 しかし、2008年に天野哲夫が死去すると、これを翻して、生前の天野が主張していたように、やはり天野が沼であり、別のペンネームを用いたのは他の人たちの助言を取り入れて執筆したからであり、彼ら協力者との微妙な関係があったからだとしている。

 映画監督の中島貞夫は、2004年の著書『遊撃の美学 映画監督中島貞夫』で都市出版社から『家畜人ヤプー』の単行本が出版される前に沼正三と会っていると明かしている。
 中島が1969年に監督したドキュメント映画『にっぽん'69 セックス猟奇地帯』に出演したマゾヒストが実は沼正三本人なのだという。中島が『家畜人ヤプー』の映画化を希望すると、沼は自分は表に出たくないからと代理人を立てて来た。その人物が康芳夫であった。
 天野哲夫は2008年に死去したが、中島貞夫は2009年に取材された『映画秘宝』誌で沼正三はこの間亡くなったと語っている。
 2021年の丸山ゴンザレスによる康芳夫へのインタビューでは、「沼正三は5人からなる」「その内2人は天野哲夫と倉田卓次」「メインライターは天野」「他の3人はまだ非公開」「全権代理人である康の死後に明らかになる」と語った。

 関連項目 ー 奇譚クラブ ー

 『奇譚クラブ』(きたんクラブ)

 1947年(昭和22年)11月より1975年(昭和50年)3月まで出版された、サディズム・マゾヒズム・フェティシズムなどを専門に扱った性風俗雑誌。
 B5判のカストリ雑誌として出発したが、1952年5・6月合併号よりA5判にリニューアルし、以降、本格的にサディズム、マゾヒズム、フェティシズム(ふんどし、ラバーほか)、切腹などを中心に扱う雑誌となった。
 出版社は、曙書房、天星社、暁出版 (大阪)と変わっている。
 1954年(昭和29年)3月と1955年(昭和30年)5月に一時発行禁止処分を受けた。
 1982年に「復刊」と称して創刊されたきたん社発行の『奇譚クラブ』は後続関係にはなく、まったくの別物。全国誌であり、発行部数は1万部以上、最盛期の1950年代前半には10万部(公称)を達成した。

 《概要》

 SMやフェティシズムなど、異性愛規範から逸脱する性嗜好に関心をもつ読者を対象とした『奇譚クラブ』は、読み物としてだけでなく、匿名の読者のために文通の仲介や情報交換の場としての性格も有していた。
 読者同士の交流の場であったことから、つづく1960年代のプライベートSMサークルの増加に先駆けて、SM愛好家の数少ないコミュニティともなった。
 また、同誌の読者として、川端康成、三島由紀夫、江戸川乱歩、澁澤龍彦、寺山修司がいた。
 SMを扱った文学作品としては古典の部類に入る団鬼六の『花と蛇』、沼正三の『家畜人ヤプー』はこの雑誌に発表されたもの。
 創刊当初からエログロとしての女相撲に関する記事を継続的に発信し、その後も女子プロレスなどを形容する際に使われる「女斗美」という言葉を誕生させた。
 創刊年の頃から男色や男性同性愛についても取り上げており、1947年12月号には男娼、男妾の記事が見られる。
 ジェンダーと日本史を専門とする歴史学者、河原梓水は、女性史・服装史研究家・作家の村上信彦は「吾妻新」の筆名で多数の寄稿をしていたことを実証している。
 また、作曲家の矢代秋雄も「麻生保」の筆名で熱心に投稿していた(覆面作家)。

 1997年(平成9年)11月(出版50周年)に 平成版 奇譚クラブ がユニ報創より出版され、翌年7月(新装3号)までの断続的に出版が続けられた。
 新創刊ではなく新装刊としており復刊を意識した巻頭挨拶文が掲載されている。
 内容はSMも扱う風俗誌と言うべきもので、昭和40年代の奇譚クラブに掲載されていた記事やモノクロ写真を幾つか再掲載している。

 《主な作家・画家・投稿者》

 カッコ内は筆名。★付は本名未詳。

 ・秋吉巒

 ・天野哲夫(沼正三、黒田史郎、他)

 ・飯田豊一(濡木痴夢男、靑山三枝吉、他)

 ・木俣清史(小日向一夢)

 ・倉田卓次

 ・須磨利之(喜多玲子、他)

 ・杉原虹児★

 ・村上信彦(吾妻新)

 ・野坂昭如(戸山一彦)

 ・藤野一友(中川彩子、春川光彦)

 ・矢代秋雄(麻生保)

 関連項目 ー 春川ナオミ ー

 春川 ナミオ(はるかわ ナミオ)
(1947年(昭和22年)5月〜2020年(令和2年)4月24日)

 日本のイラストレーター。
 主に、豊満な女性に虐げられる男性(あるいは男性を虐げる豊満な女性)をモチーフにした作品を発表している。
 大阪府出身。
 自営業のかたわら半世紀にわたって、SM雑誌等に独特のサディスティックな豊満美女を描き続けてきた。
 作品のテーマは主に、非常に多くの顔面騎乗図、秘部舐め奉仕強要図、肉便器奴隷使用図などである。

 《概説》

 メディアへの初出は、戦後の三大カストリ雑誌の一つとして数えられる「奇譚クラブ」の読者投稿欄であった。
 昭和30年代から男性マゾヒズムをテーマにした独特の絵柄でマニアの支持を集め、この分野の第一人者としての地位を確立した。
 近年欧米のウェブサイトで春川の絵を掲載しているアダルトサイトも増え、彼の名前を知らなくても絵は見たことがあるという人はいる。
 こうしたアダルトサイトでは沖渉二、椋陽児、前田寿按、小妻容子などSM雑誌から直接取り込んだらしいラインナップ(おそらく無断使用の著作権侵害と思われる)が並んでいるが、春川の描くグラマラスな女性が海外のマニアに好まれるのか、専門サイトも存在している。
 ペンネームの「春川ナミオ」は女優「春川ますみ」と谷崎潤一郎の『痴人の愛』主人公「ナオミ」のアナグラムとされている。
 春川ますみは元ストリッパーのグラマー女優であり、このペンネームからも春川のフェティシズムが窺える。
 一貫して豊満な女性に虐げられる男性を描いているが、その男性は喜んでその苦痛を享受しており、男性のマゾヒズムを徹底的に描く作家として知られている。
 SM雑誌に作品を発表しながら、北川プロのSMビデオなど多くのアダルトビデオのパッケージイラストも手がけている。
 また漫画作品やアニメーションの監督もつとめている。

 《作風》

 春川の描く女性は豊満で、ルノアールの描く裸婦像を思わせるボリュームがある。
 また、尻と乳房を非常に大きく描くために日本人離れしたプロポーションとなり、そのためか海外での評価が高い。顔面騎乗を好み、呼吸ができないほど女性の尻に深く埋没した男性の顔、というモチーフは数え切れないほど描かれている。
 また圧迫系プレイとされる踏み付けや人間馬、人間便器というディープなシチュエーションも多い。
 なお、全て鉛筆で描かれている。
 イラストレーターのみうらじゅんは、思春期に見た春川の画が深く心に残っており、小説『Slave of love』を連載するにあたって春川に挿絵を依頼した。
 それにちなみ没年にみうらじゅん賞を贈った。

 関連項目 ー 身体改造 ー

 身体改造(しんたいかいぞう)
 (body modification)

 習慣やファッション、刑罰等として身体の形状を変更すること。広義の身体装飾に含まれ、伸長・狭窄・切開・切断・縫合・焼灼などの手段を用い、人間の肉体に意図的に、また多くの場合は恒久的に変形を施すことで装飾する行為である。
 民族学・文化人類学の分野では身体変工(mutilationまたはdeformation)と呼ばれ、人体改造や肉体改造とも呼ばれる。

 身体改造行為の歴史は古く、石器時代にも遡るとされる。
 また地理的にも広い範囲に数多くの事例が存在する。変工の目的としては、医療、儀礼、呪術や宗教(シャーマニズム)、身分地位・性別・年齢・所属・職業等の表示や、刑罰、また純粋に美意識に基く装飾まで様々なものが見られる。
 伝統的な身体変工は、他の文化圏から「未開で野蛮な行為」だとされたり、また幼少期から時間をかけて変形させるものは「野蛮で残酷な習慣」と見なされ、差別の理由とされる場合もある。
 身体改造行為は、多くの場合、身体の形状を変更したうえで自然な形に見せる美容整形とは区別される。
 なお「肉体改造」と表現する場合には、特にボディビルなどのエクササイズを指すこともある。
 これらでは、肉体を構築(ビルド)することを目的に、運動や筋肉トレーニング、サプリメントの服用などといった行為を行い、近年ではそれらが医学的に研究されたスポーツ医学の分野で、科学的に肉体(筋肉など)を構築する技術が発展している。
 身体改造は、極端な事例では肉体の持つ機能を損なう場合もある。
 また現代におけるファッションとしての身体改造の施術の多くは、たとえ生命に関わる危険性の高いものであっても、正規の医療資格者や施設以外で行われ、自ら施すことも少なくない。
 大抵の場合は失敗なく完了するとはいえ、ときには重篤な感染症等を引き起こし、医師による治療が必要になったり、意図せぬ障害が残ることもあるため、医療機関での施術が可能になるための活動もなされている。

 身体改造には、多様な方法がある。

 ●全身

 ▼入れ墨(刺青、タトゥー)

 針で皮膚に穴をあけそこに塗料を塗り込んで絵を描く。
 スカリフィケーション( 瘢痕文身〈 はんこんぶんしん〉) 皮膚に傷をつけ、また化膿させて盛り上がらせるなどして模様を施す。
 意図的に付けられた傷(瘢痕)は石器時代から確認される。

 ▼ピアス 肉体穿孔

 身体の特定の部位に穴をあけそこに装飾品を吊り下げる。
 文化圏によってはこの穴を徐々に広げて、肉体の一部を輪や紐の状態にするものもある。

 ▼インプラント

 ビーズや金属などの埋め込み。

 ▼セイリーン・インフュージョン

 生理食塩水を皮下注入することによって部分肥大させる身体変形。
 時間が経過すると、生理食塩水は身体に吸収されるので、一時的な変形。
 こぶの形成や皮膚の一部を伸ばすことで膨らませて垂れ下がらせる。
 顔面や頭部に行った状態をベーグル・ヘッドとも呼ぶ。

 ▼ボディ・サスペンション

 人体にフックを通して吊り下げるもの。
 フックを通した皮膚には痕が残り、フックや吊り下げるための器具をそのまま身体に残すこともある。
 類似した伝統的行為として北米インディアンの「サンダンスの儀式」の「ピアッシングの苦行」がある。

 ●頭部

 ▼頭蓋変形(とうがいへんけい)

 マヤ文明では乳幼児の頭蓋骨を板ではさんで変形させ、縦に伸ばす行為が流行していた。

 ▼穿頭(トレパネーション)

 民間療法の一つ。
 悪霊退散などの目的で頭部に穴を開けた。
 現代でも、非常に稀ではあるが、頭皮をめくり脳の髄膜を傷つけないように頭蓋骨だけに穴を開ける者がいる。

 ▼抜歯

 儀式などの過程で特定の永久歯を抜くもの。
 グリル (アクセサリー) 歯に金属の装飾品を装着する。

 ▼スプリット・タン(タン・スプリッティング)
 舌に切れ目を入れ、蛇の舌ような二股にする。

 ●胴部

 ▼コルセット

 長期間の使用は、肋骨や内臓や乳房を変形させることがあり、現代では変形を目的に着用する愛好者がいる。

 ▼首輪

 ミャンマーとタイの一部地域の女性により続けられており、幼少時より装着する真鍮の首輪を増やしてゆき首を長く見せるという風習。
 首長族などと呼ばれているが、実際には首が伸びているのではなく、首輪の重さで鎖骨と肩の位置が下がっていくという変工。
 二次性徴を迎えた女性の乳房の切断や焼灼。
 キリスト教の歴史上の極一部の宗派では宗教上の禁欲的生活のために尼僧の乳房を切除したり圧迫して萎縮をさせていたという見聞がある。
 古典伝説ではヨーロッパのアマゾネスが知られている。
 ハムラビ法典では刑罰としての乳房の切除が定められている事が確認されている。刑罰や育児の禁止としての乳頭切除の疑惑や記録の残る民族・部族がある。

 ●性器切除・切断

 ▼割礼

 通過儀礼の一つ。
 ある年齢に達した時に性器の一部を切除するもの。

 ▼女性器切除

 アフリカやインドで行われる通過儀礼。
 ある年齢に達した少女の性器を変形させる。

 ▼女性器変工

 コイコイ人における「ホッテントットのエプロン」が有名であるが先天性説があり、後天性としても変工の方法は判然としてはいない。

 ▼男性器切除

 中国などにおける自宮・宦官の完全去勢も、特定の職業集団に加入するための身体改造の一種である。
 また、近代以前のヨーロッパにおいて、第二次性徴の声帯成長によって失われる特定音域を持続させることを目的に、変声期前のボーイソプラノの男性を去勢することも行なわれた(カストラート)。

 ▼サブインシジョン(男性生器切開、尿道切開)

 通常は外部に露出しない部分を切開して開放状態のままにする行為。 ボール・エクスポージャー(擬似去勢) 陰嚢を切開して、一度睾丸を取り出し、また戻して縫合するという過程を体験する。

 ●四肢

 ▼纏足(てんそく)

 女性の幼児期にきつい靴や布で足の形を固定し成長させないようにするもの。
 現代では廃れている。

 ▼靴

 非意図的ではあるが、靴の使用は外反母趾などの足の変形を伴うことがある。 
 女性用の靴に著しい 。

 ▼器官切除・指詰め

 指や腕・足などを切り落とす。
 世界各地で古くから見られる。
 現代では性器切断の場合も含め、切断した部位は施術者、または元の持ち主がトロフィー・コレクションとして保存していることも多い。
 復元不可能な改造なだけに、施術者にはカウンセリング・スキルも必要とされる。
 腕・肢・脚など切断が生命に関わる可能性が大きい部位の場合でも、正規の資格を持つ医療従事者は健康な部位の切断に承諾・施術することはないため、切望者は自ら切断したり故意に事故を起すことがある。

     〔ウィキペディアより引用〕



CTNRX的文學試行錯誤 ♯013ーB

2023-07-22 21:30:00 | 出来事/備忘録

 主な登場人物 Ⅱ

 《EHS平民》

 ▼セバスティアン・ヒック

 通称サルド・ヒック(冷笑ヒック)。
 本来は才能ある絵描きであったが、アンナと知人の「白人男性を肉体の魅力だけで誘惑し、テング化できるか」という賭けに巻き込まれ、嘱望された将来を失うことになった。
 類まれな画才と魁偉な容貌を併せ持ち、自身に群がる女性に対しては冷淡かつ冷笑的(サルドニック)であったことから、ファーストネームとその態度をもじって「サルド・ヒック」と呼ばれていた。
 しかしアンナの魅力に負けて恋い焦がれ、思いつめた挙句彼女の歓心を買おうと、受取人が差出人の身柄を自由にできる「白紙身売状」をアンナに差出してしまう。アンナはこれを容赦なく利用し、ヒックを赤Y字病院に強制収容、顔面にヒック自身の陰茎を移植した、アンナ専用の性玩具”「テング」”に仕立てあげた。 
 アンナへの性的奉仕に従事した後は、彼専用の”唇人形”兼秘書ヤプーのウズメを与えられて古代日本に派遣され、現在は子宮畜を飼育するフジヤマ飼育所の所長を務めている。
 普段は天狗の面をつけており、彼に従う黒奴も烏天狗の面をつけさせられている。

 《ヤプー》

 ▼カヨ

 邪蛮国出身の子宮畜。
 幼いころから、その容姿を”ハーフそっくり”と称えられた美少女。
 フジヤマ飼育所で優秀な成績をあげ、選抜されてポーリーンに買われ、EHS世界に”昇天”する。ポーリーンの次女を子宮に移植されてからは、「白人の御胤の入れ物」として、胎教目的で表面上「名誉白人」の待遇を得る。
 邪蛮国のハーフ俳優「クリント・ウェストウッド」の熱烈なファンである。

 ▼アマディオ

 6倍体のヤプー。
 同じ6倍体ヤプーのみを生産するタイタン星で生まれ、黒奴の管理のみを受けて育ったため、かつては白人(白神)の存在を否定していた。
 ドリスの乗馬として売られ、抵抗空しく彼女に乗りこなされて後、彼女を主人として敬愛するようになる。
 その体躯と才能により、現代の馬とは比べ物にならない走力を発揮する。

 ▼チカラ

 6倍体のヤプー。
 タイタン星出身で、アマディオの親友。ジャンセン家に闘牛畜”ベンケ”として買われ、幾人もの闘畜士”ウチワカ”を倒してきた実績を持つ。
 ジャンセン家の別荘完成披露と、クララの社交界デビューを兼ねたパーティの余興として行われた試合で闘畜士カルメンに敗れる。
 止めを差される寸前に、彼を哀れに思ったクララの希望で救命され、彼女の乗馬畜として仕えることになる。
 後の内戦で麟一郎とともにクララを守り、”ベンケの立ち往生”を遂げることが明かされている。

 ▼キミコ

 唇人形。
 一般の唇人形とは違い奇形化手術は行われず、原ヤプーの姿のまま唇人形にされている。
 ウィリアムのファンの平民が、ウィリアムにプレゼントした。
 おてんばな性格が災いしてEHS貴族としてはファンが少ないウィリアムは、この贈り物のヤプーを気に入っている。
 黒髪が美しい美少女であり、知能も旧世界日本の女子大教授に匹敵する博識であったが、ウィリアムに性的奉仕をする唇人形として洗脳され、性的玩具にされた。
 両腕は無残にも後ろ手に鎖錠され、歯茎によるペニスマッサージ目的で歯を全て抜かれて、総入れ歯になっている。キミコの関心の対象はウィリアムのペニスだけであり、ウィリアムのペニスへの奉仕が彼女の生きがいとなっている。

 ▼チクヒト

 初代の「ミカド・セッチン」として知られるヤプー首長家の血統のヤプー。
 「ミカド・セッチン」はヤプー首長家の男系の男子から作られることになっており、性能の優秀な純血種として女王・皇太嬢専用である。
 死後、彼が奉仕した女王の肛門をイメージさせる王宮の菊花畑に葬られ、ヤプー首長家では菊の花をシンボルマークとして使用するようになる。

 ■EHSとしての社会制度

 《女権制》

 EHSは女権制国家であり、EHSは女系の女子によって相続される女王による君主制国家である。
 政治や軍事の大権は女性のみが持つ。人間(白人)の女性に代わって出産をする子宮畜(ヤプム)の使用が普及したことにより人間の女性が出産から解放され、女権革命が発生して女権制が確立された。
 女権制が確立しているのは人間に限っての事であり、黒奴の社会では男性優位が続いている。
 ヤプーは家畜であるので社会や家庭などは存在しないが、使役には通常雄のヤプーが使われている。
 一般の雌ヤプーは出産によるヤプー増産に専念させられている。
 財産権なども女性にのみ認められており、男性は女性に従属するだけの存在になっている。
 家庭の戸主は女性(母親)が務める。家庭内では妻が夫に優越しており、女子の立場が高く男子の立場は姉や妹の下である。
 男子は結婚前は母親の監督を受け、結婚後は妻の監督を受ける。
 男子の結婚には戸主(母親)の許可が必要である。女権革命後のEHS社会では、男子の童貞性が重視されるようになっている一方で、女子の性的な放縦は当然と考えられており、女子の処女性は全く問題にされず、女子の婚前交渉や婚外交渉が堂々と行われている。
 貴族女性は何人ものめかけを持つのが普通で、平民男子の憧れは貴族女性のめかけとなって、後宮(ハレム)に入ることである。

 《地理》

 EHSの首都は首都星カルーのアベルデーンである。
 旧首都は最初に移住した惑星テラ・ノヴァのトライゴンであり、テラ・ノヴァは現在は皇太嬢領である。
 「百太陽帝国」の名の通り百以上の太陽系を支配しており、支配下の星は人間が居住する「白い星」と、農業を主な産業として、牛や豚などの家畜が黒奴とヤプーに育てられている「黒い星」と、ヤプー養殖用の「黄色い星」に分類出来る。
 白い星の地上には人間が居住しており、地下には人間に仕える黒奴の居住区がある。
 地球はEHSでは辺境の惑星であるが、貴族の別荘地として利用されている他、旧日本列島にはヤプーの国家「邪蛮」国が存在し、原ヤプーの供給場・文化研究の実験台・猿山・貴族の狩場として用いられている。

 《身分制度》

 EHSの人間は女王を頂点に、数千家の貴族と平民に身分が分かれる。人間は全員が白人であるので、わざわざ「白人」という言葉を使う必要は無い。
 肌が白いから人間なのである。貴族はほとんどが金髪碧眼の北欧系である。一方平民には南欧系の容姿の者が混じる。
 ヤプーの使役、特に読心家具(テレパス)の使役やペガサスの乗馬にはOQ(命令波指数)が必要であり、貴族出身でもOQが低い者は平民に落とされ、平民でもOQが高いものは一代貴族に昇格する可能性があるなど、OQが高貴な身分を裏付けるものとなっている。
 黒人は「半人間」とされ、黒奴として人間=白人に従属する限りにおいて限定的な人権を認められている。黄色人種は白人同様正規の人間だが、第三次世界大戦で使用された核兵器と細菌兵器で絶滅。
 偽黄色人種であった日本人だけが生き残り、その末裔である家畜「ヤプー」が存在する。学説によって固められた「日本人=ヤプー=類人猿」の概念確立により、ヤプー=日本人は類人猿の一種で、旧時代において人間を僭称していただけだと考えられている。
 ヤプーは家畜であるので、人権とは無関係である。もう一種の家畜人として、テラ・ノヴァの原住民であるペガサスが存在し、人類との戦争に敗北した後、馬に代わる存在として乗馬に用いられ、さらにその皮革は乗馬用具に用いられている。
 黒奴が再び人間に対して反抗しないよう、EHSでは徹底した黒奴の管理が行われている。
 黒奴は一日の出来事を「日記報告」として提出する義務が有り、他の黒奴の犯罪を知った場合は日記報告(デイリー・レポート)に記載する義務がある。日記報告に虚言を記載した場合は、私刑公売(オークション・フォー・リンチ)に処される。
 私刑公売とは黒奴の人権を完全に剥奪し、ヤプー並みに落として公売(オークション)にかける制度で、落札した人間(平民が多い)が黒奴を好きな方法で虐殺して良い。
 このような方法で、平民の嗜虐心を満たしていることが、EHS世界が平和である理由のひとつと考えられている。
 日記報告は各地区・各惑星・最終的には全世界レベルで有魂計算機(ヤプーを組み込んだ高性能コンピューター)により照合されるので、黒奴の嘘は確実に発覚する仕組みである。

 《国政》

 EHSは大貴族の議員によって構成される貴族院と、中小貴族の議員によって構成される庶民院の二院制議会を持つ。平民に参政権は無いが投票権は認められており、平民によって貴族を対象とした人気投票が行われている。
 貴族は特に平民に媚びを売るような事をしないが、人気投票の結果は貴族の発言力に影響するので、平民は間接的に政治参加しているとされる。
 EHSの税制は身分が下の者ほど負担が重くなるようになっており、貴族は免税とされている。
 これは「支配して頂く」ことに対する「謝金」を払うべきだという考えが普及しているからである。
  EHSの司法は人間の間では、イギリス伝統のコモンローと衡平法を統合した帝国法による法治主義の建前が取られている。
 コンピューターにヤプーを組み込んだ「有魂計算機」によって、裁判の公正は人間の労力をあまり必要とせず保たれるようになっている。
 黒奴に対しても一応は法治主義の建前を持っているが、人間である白人と半人間である黒奴の争いでは、問答無用で白人の証言のみが採用される。
 黒奴の人間に対する債務不履行は原則として死刑が適用される。
 黒奴に対する刑法は極めて厳しく、黒奴は故意による犯罪はもちろん、些細な過失であっても死刑などの厳罰が下されることになっている。
 多種多様な死刑が定められている他、過酷な刑罰が執行される黒奴刑務所も存在する。ヤプーの先祖(旧日本人)に伝わる地獄の描写は、黒奴刑務所での責め苦の様子が伝えられたものであるとされている。
 黒奴の刑事裁判では「疑わしきは罰する」方針がとられている。黒奴に対する刑事裁判は貴族所有の奴隷の場合、人間の食後の余興(デザート裁判)として行われる。
 弁護士役の人間と検事役の人間が、トランプや麻雀やボウリングなどのゲームで勝敗を争い、その勝敗の結果に応じて刑罰が科される。
 なおこのボウリングのピンには死刑判決を受けた黒奴が縮小・複製されて入っており、主人に対する弁済と死刑執行も兼ねている。

 黒奴同士の民事訴訟は「学級裁判」によって裁かれる。
 学級裁判とは、人間の子弟の教育目的も含んで小学校から大学までの学校の放課後に、児童・生徒が裁判官・弁護士・検察官の役になり裁判を行う仕組みである。
 第一審は小学校、控訴審は中学校、上告審は大学で行われる。裁判官役は級長格の女子によって務められるが、この女子をEHS史に残る名裁判官「エンマ・ダイオン」にちなんで、エンマと呼ぶ慣習がある。
 民事訴訟であっても「付帯公訴」が行われ、検察官役の児童が何らかの刑罰を求めるのが通常である。
 学級裁判では死刑以外の刑罰であれば何でも許されており、敗訴した側の黒奴は鞭打ちに処されたり、舌を麻酔無しで切除されたりする。学級裁判では誤判も相当な数で発生しているが、人間の子弟に対する教育効果を重視しているので、誤判による理不尽な裁きは、黒奴が甘受すべきと考えられている。

 《食と排泄》

 ▼食事

 EHSにおける人間の食事は、天然の素材を使用しているという点で、旧世界と変わらない。
 だが、果物食が大きく取り入れられてEHS人の長寿の一因となっている。品種改良により果物自体の味が旧世界の果物の味よりも格段に向上しているので、大量の果物を食べることに苦痛は伴わない。
 肉食では黒い星で生産された牛肉や豚肉が食べられている他、ヤプーの食用品種である食用畜(クレアプ)の料理も数多く存在する。
 ヤプーは家畜であるので人肉食のタブーに触れることは無い。食用畜には「食べられて神様(白人)の一部となる栄誉」が徹底的に教育されており、食用畜は喜んで食用に供される。
 ヤプー肉の調理にはショーユが使われている。
 ヤプーを早い段階からショーユの味に馴染ませておこうという配慮から、タイムマシンで旧世界の日本に「ケッコーマン」社や「ヤンマース」社のショーユ会社のアンドロイドが送り込まれている。
 EHS人は古代ローマ人のように宴席では、満腹になるまで美食を楽しんだ後に反吐盆(ヤプー)に嘔吐をして、胃を空にして更に飲食を続ける。
 この際に反吐盆に回収された吐瀉物は「ヘード」と名付けられ、黒奴の食用に払い下げられる。
 黒奴の食事は栄養管から供給される人工食糧のあてがい扶持である。人工食糧は物質増量機で合成されて作られている。
 黒奴宿舎の食堂にある栄養管の蛇口は数種類あり、食べ物を選ぶ楽しみは若干与えられている。
 黒奴の飲料水は人間が使用した下水であるが、特に濾過は行われず、殺菌だけが行われている。
 しかし、黒奴の食事はこのような粗末な物なので、黒奴に不満は残る。その不満を解消するべく、黒奴の住む地下街には、黒奴酒酒場が開設されている。
 黒奴酒酒場で供される酒は人間の小便であり、人工食糧に尿素からアルコールを醸造する酵素が混ぜられているので酩酊ができる。
 メインディッシュは人間が着用した下着や靴などである。
 また、ソースとして人間が嘔吐した吐瀉物が「ヘード」と称して供される。

 ▼衛生

 EHSは「便所の無い世界」とされている。人間の糞尿は全てヤプーの肉便器である「セッチン」に飲ませたり食べさせたりしている。
 ソーマの影響もありEHS人の体は代謝が活発になっており、一日に平均で大便を三回、小便を十二回ほど排出するが、セッチンを使用することで便の臭いが漏れたりしないので、EHSでは人前で排便する事は普通で、EHS人であれば誰もが堂々と人前でセッチンを使う。
 セッチン使用は旧世界で言えば「鼻をかむ」程度の軽い無作法程度と認識されている。セッチンが飲み食いした糞便は管を通して回収される。
 人間の糞は吸収されなかった栄養が多量に残っており、赤Y字社の本社や支社で錠剤や注射剤に加工されて、ヤプー用の万能薬「ミクソ」になる。
 人間の尿は黒奴用の酒(黒奴酒・ネグタル)になる。
 黒奴の食事に混入されている酵素の働きで、人間の尿が黒奴には酒として作用するようになっている。
 排出者が貴族の場合は樽詰めされて銘柄付きの黒奴酒となり、排出者が平民の場合は瓶詰めされて無銘柄の黒奴酒となる。
 またヤプーの宗教的な「洗礼」のために人間の尿が使われ、この場合人間の尿がヤプーにとっての聖水になる。このような背景から、人間にとっての「尿瓶」が黒奴にとっての「ジョッキ」になり、ヤプーにとっての「聖水瓶」になる。黒奴の糞尿は先端器(コブラ)を備えた真空便管で吸い取られ輸送される。
 これらの排泄物や厨房から出るゴミなどのあらゆる有機不要物は、全て粉砕されて畜乳(ヤップミルク)または黄液(エロージュース)と呼ばれる液体になり、ヤプーを飼育する栄養源としてヤプーの体内に吸収される。
 生体実験用や食用といった特殊用途や、生体家具として畜体循環装置(サーキュレーター)を取り付けられたヤプーを除き、ヤプーはペガサスと共生関係にあるエンジン虫(学名・アスカリス・ペガスス。他星のサナダムシ)を改良した種を寄生させられ、宿主のヤプーはエンジン虫を肛門から出して吸収させ、エンジン虫は畜乳を自身の体内で宿主用の滋養に変換して体外に排出したものを宿主が吸収する。
 この際ヤプーの老廃物はエンジン虫に吸収され、その際にエンジン虫は僅かな硬直が見られるのみで老廃物の排出は行わず、結果ヤプーは排泄を必要としないので「便所の無い世界」が実現できている。

 ■単行本・文庫本

 ▼都市出版社
(1970年発行 ASIN B000J96380)
 全28章。
 『奇譚クラブ』連載版に加筆されている。白人女性アンナ・テラスを天照大神とする記述が右翼から抗議を受けたといわれる。



 ▼角川文庫版
(1972年発行 ISBN 4041334012)
 全28章。
 都市出版版に更に加筆・修正されている。

 ▼角川限定愛蔵版
(1984年発行 ASIN B000J75XW4)
 全31章。
 『続家畜人ヤプー』として発表された増補を含む。


 ▼ミリオン出版版
(1991年発行 ISBN 4886721249)
 完結篇YAPOO,THE HUMAN CATTLE,2と銘打たれている。
 第29~49章を収載。装幀・画は奥村靫正。


 ▼幻冬舎アウトロー文庫版
 内容は太田出版版と同じ。
 1巻 ISBN 4877287817
 2巻 ISBN 4877287825
 3巻 ISBN 4877287833
 4巻 ISBN 4877287841
 5巻 ISBN 487728785X


 ▼辰巳出版:血薔薇4号
(1969年6月発行)に掲載された
 『家畜人ヤプー』全文を再現(一章~十章)。

 ▼掲載書籍
 康芳夫 監修
 『虚人と巨人 国際暗黒プロデューサー 康芳夫と各界の巨人たちの饗宴(2016年9月1日)』
 巻末特典 康芳夫コレクション内。

 28章までと、それ以降(一説によると21章以降)では、文体や内容に多く差異が見られるため、途中で執筆者が交代したとの説がある。また、Aパートを1章から20章、Bパートを21章から31章、Cパートを32章以降とし、それぞれ執筆者が異なるという説や、Aパートに関してはそもそも複数の人間の手になると言う説もあり、著者の正体と合わせて、その成立過程はハッキリしない。Cパートのみは、作者がハッキリと分かっており、現在公式に沼正三を名乗る天野哲夫の手による。
 また、太田出版版は、全体に天野哲夫が再構成したことが知られており、読む際には注意が必要である。

     〔ウィキペディアより引用〕