1月21日・・・毎年この日が来ると思い出す、痛~い思い出。
1993年1月21日。成人式からたった6日後のことである。
数日前、当時好きだった女性と喧嘩してしまい、気分は最悪であった。
21日は、友人にノートを貸す約束をしていたので、仕方なく学校に行った。定時制高校だったから、夕方である。帰り道、三十路はバイクで飛ばしていた。夕闇がせまる道を飛ばすなど、危険であることも分からないくらい自分を見失っていた。
直線の道路で、見通しもいい。いっちょ飛ばしたれ、とアクセルを開けた。そのとき・・・対向の乗用車がいきなり右折してきた。三十路がそこを通り過ぎるときには、その右折車は曲がりきっているだろうという考えが、ブレーキを少しだけ遅らせた。
右折車は、止まった。三十路は完全に進路をふさがれた。慌ててシフトダウンしながら急ブレーキをかけたが間に合わず、乗用車の後輪に激突した、らしい。らしいというのは、その瞬間の記憶がないからである。
激突後、数メートル吹っ飛んだ記憶はある。三十路は「とうとうやってしまった」と思った。跳ね起きてバイクのところへ行こうとしたが、無理だった。
右腕と右足に激痛が・・・。
立つことも出来ない。しばらく座り込んで痛みに耐えていたが、通りがかったトラックにクラクションを鳴らされ、身体を引きずるように道路の端に移動した。
右手がおかしい・・・指がおかしな格好になったまま動かない・・・骨折か・・。通りがかりの人に救急車を呼んでもらった。
乗用車の運転手が出てきた。若い女性だ。「大丈夫ですか!?」って、大丈夫なわけがない。
救急車で病院に担ぎ込まれた。午後6時30分ころだったと記憶している。
診察台の上で服を脱がされた。三十路は自分の右腕を見て、気絶しそうになった。腕は無残に変形していた。誰が見てもひどく骨折している事は明らかだった。「北斗の拳」で、ケンシロウに腕相撲で負ける木人形(デク)狩り隊のギュウキみたいだ・・・と思った。
エックス線像は、尺骨、橈骨ともに真っ二つに折れていることを写し出していた。
医師によると、手術は1月29日とのこと。
病室に運ばれ、右手の甲にドリルで穴をあけられた。そこに針金のようなものを通し、腕を吊るのだった。その方が出血しないし、痛くないので良い、との事だった。体勢は、仰向けのままである。そのまま手術日まで、8日間待たされた。地獄のような8日間が過ぎた・・・。
手術は無事に成功した。
骨にドリルで穴を開け、金属のプレートとネジで折れた骨を固定した。写真のモノが、三十路の腕に入っていたモノである。肘は直角に固定され(石膏で固められた)た。ギプスが取れたのは、手術から4箇月後の5月下旬だった。学校を休むわけにはいかなかったから、苦手な電車で通っていたが、次第に身体がおかしくなるのを感じていた。
8月20日、この金属プレートとネジを取り出す手術を受けた。
この事故と怪我と療養の日々が、三十路の精神状態に悪影響を及ぼした。この年の夏は、91年以来2年ぶりの大不調に見舞われた。食事を受け付けなくなり、激痩せした。入院寸前まで行ってしまった。
まさに、三十路の黒い歴史の1ページとなったのである。
今でも事故現場を通ると、あの頃の苦しい思い出と、喧嘩していた女性の事を切なく思い出す。あの頃は幼かった・・・と今にして思う。冷静さを欠いて事故を起こすなど、運転免許を所持している資格がない、と言ってもいい。あの頃の事を思い出し、ムカデのような手術跡を右腕に見るたびに、「いかなる時でも冷静に運転しなければならない」と心に誓うのである。
今でも、右手の人差し指と中指と薬指に、麻痺が残っている。勉強の代償にしては、高すぎた・・・。
全くの偶然であるが、昨夜はその女性の夢をみた。懐かしいというか、せつなくてやりきれない気持ちがよみがえった。優しかったあの人・・・。幼かった三十路を、受け止めてくれる大きな人だった。そして・・・(以下略
1993年1月21日。成人式からたった6日後のことである。
数日前、当時好きだった女性と喧嘩してしまい、気分は最悪であった。
21日は、友人にノートを貸す約束をしていたので、仕方なく学校に行った。定時制高校だったから、夕方である。帰り道、三十路はバイクで飛ばしていた。夕闇がせまる道を飛ばすなど、危険であることも分からないくらい自分を見失っていた。
直線の道路で、見通しもいい。いっちょ飛ばしたれ、とアクセルを開けた。そのとき・・・対向の乗用車がいきなり右折してきた。三十路がそこを通り過ぎるときには、その右折車は曲がりきっているだろうという考えが、ブレーキを少しだけ遅らせた。
右折車は、止まった。三十路は完全に進路をふさがれた。慌ててシフトダウンしながら急ブレーキをかけたが間に合わず、乗用車の後輪に激突した、らしい。らしいというのは、その瞬間の記憶がないからである。
激突後、数メートル吹っ飛んだ記憶はある。三十路は「とうとうやってしまった」と思った。跳ね起きてバイクのところへ行こうとしたが、無理だった。
右腕と右足に激痛が・・・。
立つことも出来ない。しばらく座り込んで痛みに耐えていたが、通りがかったトラックにクラクションを鳴らされ、身体を引きずるように道路の端に移動した。
右手がおかしい・・・指がおかしな格好になったまま動かない・・・骨折か・・。通りがかりの人に救急車を呼んでもらった。
乗用車の運転手が出てきた。若い女性だ。「大丈夫ですか!?」って、大丈夫なわけがない。
救急車で病院に担ぎ込まれた。午後6時30分ころだったと記憶している。
診察台の上で服を脱がされた。三十路は自分の右腕を見て、気絶しそうになった。腕は無残に変形していた。誰が見てもひどく骨折している事は明らかだった。「北斗の拳」で、ケンシロウに腕相撲で負ける木人形(デク)狩り隊のギュウキみたいだ・・・と思った。
エックス線像は、尺骨、橈骨ともに真っ二つに折れていることを写し出していた。
医師によると、手術は1月29日とのこと。
病室に運ばれ、右手の甲にドリルで穴をあけられた。そこに針金のようなものを通し、腕を吊るのだった。その方が出血しないし、痛くないので良い、との事だった。体勢は、仰向けのままである。そのまま手術日まで、8日間待たされた。地獄のような8日間が過ぎた・・・。
手術は無事に成功した。
骨にドリルで穴を開け、金属のプレートとネジで折れた骨を固定した。写真のモノが、三十路の腕に入っていたモノである。肘は直角に固定され(石膏で固められた)た。ギプスが取れたのは、手術から4箇月後の5月下旬だった。学校を休むわけにはいかなかったから、苦手な電車で通っていたが、次第に身体がおかしくなるのを感じていた。
8月20日、この金属プレートとネジを取り出す手術を受けた。
この事故と怪我と療養の日々が、三十路の精神状態に悪影響を及ぼした。この年の夏は、91年以来2年ぶりの大不調に見舞われた。食事を受け付けなくなり、激痩せした。入院寸前まで行ってしまった。
まさに、三十路の黒い歴史の1ページとなったのである。
今でも事故現場を通ると、あの頃の苦しい思い出と、喧嘩していた女性の事を切なく思い出す。あの頃は幼かった・・・と今にして思う。冷静さを欠いて事故を起こすなど、運転免許を所持している資格がない、と言ってもいい。あの頃の事を思い出し、ムカデのような手術跡を右腕に見るたびに、「いかなる時でも冷静に運転しなければならない」と心に誓うのである。
今でも、右手の人差し指と中指と薬指に、麻痺が残っている。勉強の代償にしては、高すぎた・・・。
全くの偶然であるが、昨夜はその女性の夢をみた。懐かしいというか、せつなくてやりきれない気持ちがよみがえった。優しかったあの人・・・。幼かった三十路を、受け止めてくれる大きな人だった。そして・・・(以下略