みかんも少し元気になってきたようで、妻とニケとの猫じゃらし遊びに、手だけですが、参戦するようになりました。お腹がすくと「ニャ~ニャ~」とか弱そうに鳴いて催促します。すると、親ばかで、煮干を一本一本頭とお腹を取って、みかんの口に持っていって食べさせるのです。
現在私が読んでいる本は、グリム童話集です。有名なお話の宝庫で、大抵の方が知っている話(たとえば、シンデレラ・靴を履いた猫・ヘンゼルとグレーテル・etc)数え上げればきりがない感じですが、全てドイツのお話で、おとぎ話の範疇に入ると思います。これは日本のおとぎ話(一寸法師や浦島太郎など)と同じく、子供だけでなく大人の読者も対象にした話ですが、話の採取の過程や、お話の完成度などからすると、今昔物語や、遠野物語に近いようにも思います。
民俗学的研究も面白いのですが、グリム童話は、話自体面白いものが多くて好きです。そういえばよく勘違いしている方が多いようですが、グリム童話はグリム兄弟が作ったお話ではありません。ドイツで語り継がれていた昔話の類の話を蒐集して整理して編纂したものです。そういう意味で、遠野物語や、今昔物語・御伽草子・宇治拾遺物語などの古典の話と同質のものです。つまり、グリム兄弟は、遠野物語の柳田国男先生と同じなのです
前振りが長くなりましたが、今日はそのグリムのお話の中で好きな「漁師とその妻の話」について書きたいと思います。
話の筋は(知っている方は飛ばしてください)人のいい貧乏な漁師が海でカレイを捕まえます。カレイは魔法をかけられた王子様。命乞いする王子様のカレイを、純粋な気持ちで開放してあげた人のいい漁師は、あばら家に帰って奥さんに事の顛末を話します。
すると奥さんは、「そんな良い事をしたんだから、カレイにお礼をしてもらっても罰は当たらんから、頼んでこい」と、ご主人のお尻を叩いて海に行かせます。青い空と穏やかな海で、奥さんの希望である小ざっぱりとした家を頼むと、カレイはすぐに希望を叶えてくれます。
ところがご主人が家に帰ると、奥さんは「こんなんだったら、もっと大きな家が良かった。もう一度頼み直してきて」 と、ご主人を再び海に行かせます。再び希望を叶えてくれるカレイ。ですが奥さんの欲望は段々大きくなって、お城に住みたい、王様になりたい、法王になりたいとエスカレートしていきます。そのつど希望は叶えられますが、空の色が段々黒くなっていって、海の青さも失われて腐っていきます。
とうとう奥さんは天子様になりたいという希望を出して、天の怒りで、元のあばら家に逆戻り(全てを失う)というお話です。
この話は、すごく良くできていて 、人間の限りない欲望(特に女性のかな)と、天の(神様)報恩が見事に書かれています。 天の怒り方を、空と海の色や、風、波などの自然現象の変化で表しているのもすばらしいと思います。そして何よりいいのが、ご主人(人の良い漁師さん)です。小心者で人がいいだけのご主人が、本当は最も怖い天(神様)より、目の前の奥さんのほうが怖い、という現実。これは現実の世界でも有り、ですよね。私自身も・・・・有る、と思いますね。目の前の事で言い合いになって喧嘩はしたくないので、たいして理にかなって無くても我慢する。
別の見方をすれば、家で嫌な事や意に沿わないことがあっても、家では何も言わず、外で発散する。という感じですかね。
この話を読むたびに、この漁師が自分にダブってしまいます。幸いなのは、私の妻は欲深くない事ですね。