札幌の自宅から食卓テーブルを持ってきました。ニケが早速乗っかります。メッ!!
昨日、急きょ札幌にお泊りになり、ブログを更新できませんでした。すみませんでした。
一昨日の夜、道南にすむ友人が田舎への帰り道、わざわざ我が家に寄ってくれました。
しばらくぶりに会うので、話すことも一杯で、私の仕事や妻の手の状態のことは当然、友人の仕事や家族のこと、田舎の友人たちの近況など、話がつきません。
さらに今の政治情勢に対する話も出ました。仕事柄(裁判関係です)もありますが、元々余りそういう政治信条などに関しては話す友人ではなかったので、ちょっと驚きました。
12時を過ぎると、お互いもう眠くて・・・若い時は朝まででも平気で討論したり、夢を語りあったものですが・・・眠気には勝てず、話を中途で切り上げて、早々に布団に入りました。
友人が政治のことを言うというのは、それだけ今の政治情勢が、おかしいというのは勿論あるのですが、私達が発言しなければならない年に、なってきたという事かもしれません。
私自身、今年の7月からこのブログを始めたのですが、始める時にはいくばくかの躊躇はありました。それは、チョコやニケ・みかんのことや、キノコの事などを中心に書くにしても、どうしても、私の考え方も書いてしまうことになるだろうと思えたからです。
「政治や宗教・野球の事は営業の場では話さないこと。」これは私が勤めた会社で言われた事ですが、野球はともかく、政治や宗教などは、人間関係を壊しかねない話であり、近しい気心の知れた間柄でないと、話せないのが実情です。私は人と議論したり、批判されたりするのは好きくないので、なるべくそういうことからは距離を置いてきました。
ですがここ最近少し考えが変わってきました。それは「死」を意識するようになってきたからだと思います。勿論平均余命からすると、まだ30年くらいはあるのですが、新聞のお悔やみ欄を見ると、50歳代の人が毎日のように載っているのです。
事故で亡くなる方もいるでしょうが、病気で亡くなった人の方が多いのではないでしょうか。これは20・30代では無かった感覚です。ま~それほど切迫した感覚ではないのですがね。ですが確実に残り時間のほうが短くなってきているのは確かです。
「死」を意識しだした事と、もう一つは自分の行動の指針となる、自分なりの哲学がある程度できてきたということです。いろんな問題を、自分の中である程度自己消化できるようになりました。若い頃の正義感と理想だけで議論していた時とは違って、ある程度、現実を広い視野で見て、理論立てて考えられるようになってきたということです。
残された時間をどう生きて、どう社会に関っていくのか。私なりの考えが、他の人の役に立つのかは分かりませんが、きちんと伝えていくのも大事かなと思えてきました。
友人の言葉の端々にも、私と同じようなニュアンスが見えていました。あの頃の青臭い正義を忘れずに、これから少し発信していきたいと思っています。
食卓テーブルの椅子に乗ったみかんが座面のレザーをガリガリ。応急処置で、ビニールで覆いました。