ニケとミケ

捨て猫にゃん子2匹と、先輩捨てられ犬チョコの日々の記録

バイクの整備

2011-03-31 23:36:17 | ペット
                                       

 まだまだ周りに雪があるのですが、道路はアスファルトが完全に出て、夏タイヤでも大丈夫そうになって来ました。ただ今週末にはまた雪の予報なので、夏タイヤへの交換は、まだ当分先です。

 先日スーパーで、中年の革ジャンおじさんを見かけました。自身がオジサンなのに、オジサン呼ばわりするのも、申し訳ないのですが、私よりチト年上そうでした。革ジャンが似合っていて、バイク乗りという感じでした。

 先にスーパーから出ると、駐車場に立派そうなハーレーがドーンと鎮座していました。いくら革ジャンを着ていても、まだ少々寒いのでは、と要らぬ心配をして・・・。

 今日は午前中に2時間ほど時間が空いたので、思い切って、バイクのガソリンタンクの、サビ取りをしました。タンクの外側ではなくて、タンクの中です。

 30年以上前のバイクなので、タンクの中はサビが見えていました。程度としては良い方なのでしょうが、それでもサビのせいで、オーバーフローしたり、キャブの調子がおかしくなったり、ストレナーの掃除をこまめにしていたのですが、昨年辺りから、たまに吹けが悪くなったりして、タンクの中のサビ取りをしなければと、思っていました。

 サビ取には「はなさかGさん」というケミカル剤を使いました。メンテナスの本や、ネットなどで、一番お勧めだといわれている商品です。大層きれいにサビが取れ、更にサビの再発を防ぐ効果もあるとのことです。難点は、高いことです。1リットルで、5000円位です。サビを取るだけなら、「サンポール」例のトイレ用洗剤ですが、あれで充分にきれいになるらしいです。ですが、その後、中をコーティングしないと、サビがすぐ発生するそうです。サビが再発しては、意味がないので、去年のうちから「はなさかGさん」を購入してありました。

 タンクに洗剤を入れて、油分をきれいにして、「はなさかGさん」を10倍くらいに薄めて、タンク一杯に満たして、5時間放置。らしいのですが、時間の都合で、現在も入れっぱなしで、明日の昼くらいに液を出そうと思っています。先程中を見たら、キャップ付近のサビは、きれいに無くなっていました。明日が楽しみです。
                   

札幌市の被災者支援

2011-03-30 23:29:08 | ペット
                    

 このブログで何度か、書かせていただいていたのですが(昨日も留萌市のことを書きましたが・・・)、今日、夕方のテレビニュースを見ていて、なんともやるせない、悲しくなる話を伝えていました。

 たぶん福島県からの被災された親子だと思うのですが、身一つで、飛行機に乗って、札幌の被災者用住宅を頼りに、来たようなのですが、市の対応としては、市営住宅の提供だけ。

 もちろん家賃を取らずに無償で1年間貸し出すと言うのは、これはこれで確かに良いことなのですが・・・。

 実際生活するとなると、まず、寝具が必要です。敷き・掛け布団。シーツに、毛布、枕。入浴したり洗顔するのに、タオル・バスタオル、石鹸、歯ブラシ。そうそう、洗面器も必要だし、ご飯を食べるためにはお鍋もお茶碗も、箸も必要です。掃除用品も・・・・カーテンも・・・耳かきも爪切りも・・・etc。一人当たりの家財は、損害保険の基準では300万円。被災者の皆さんが、そんなに持っていますかね。

 市が、300万貸し出したり、義援金として差し上げるのならいいですが、実際は10万円の貸付をするだけです。(だけと言う言い方はよくないですね。札幌市の財政を考えれば頑張っている方かもしれません)

 ところで、上に書いた、生活雑貨と言うか、生活用品。どの家庭にも余分に持っているんじゃないのでしょうかね。あなたのお家にはどうですか? 我家には、そんなに良い物ではないですが、いくらかはあります。私が言っているのは、そういう家庭に眠っている品物を、みんなで出し合ってはどうですかということなのです。

 市のほうですることは、被災者が必要な物のリサーチと、それを広報(ネットや、広報誌などで)して、集めたり、その品物の整理、提供などで、人的な負担は増える事になりますが、それほどの財政的な拠出は必要ないように思います。普段の仕事も大変なとこに、更に仕事がかさみますが、ま~被災地の職員の苦労を思って、我慢していただきたいのです。

 せっかく昨日のブログで、留萌市の取り組みを紹介したのに・・・福島のこの親子は、また福島の避難所に帰っていかれました。せっかく札幌を頼りに来ていただいたのに、申し訳ない気持ちで一杯です。何とか、もう一歩踏み込んだ支援をして差し上げたい、と、思うのは私だけではないと思うのですが・・・。

 今回の震災で、私自身変わったと、前に書きました。それは、意見や思いを内に込めて置くことなく、積極的に表明している事です。テレビ局や、新聞、各自治体のホームページなどにも書き込んでいます。今日の事も、札幌市のホームページに書き込みました。別に返事などは必要ないのですが、書き込むことで、少しでも、よりよい支援の輪が広がってくれればと思っています。
                   

留萌市の取り組み

2011-03-29 22:21:29 | ペット
                    

 道外の方はご存じないかと思いますが、留萌市は、北海道の日本海側の上のほうにある町です。かつてはニシン漁で栄えた町で、今は塩数の子の生産が日本一だと思います。また、黄金岬の夕日が有名です。赤色エレジー(古いな~)のあがた森魚さんや、森田公一さん、ヤクルトの元監督、若松勉さんたちの出身地でもあります。

 その町が、今回の地震で被災した方の受け入れをしているのですが(現在4世帯22人の方が来ているそうです)、住宅の無償提供のほかに、家財道具から生活用品もろもろまで、提供する取り組みを始めたそうです。身一つで来れば、すぐに生活できるようです。

 被災した方たちは、本当に全てを失っているので、こういう取り組みは絶対に必要だと思っていました。市職員の気配りが嬉しいですね。前に書きましたが、被災している方、困っている方の立場に立って、気配りする事が大事だと思っていました。ぜひ、利用して、足を延ばして寝ていただきたいですね。

 震災から2週間を過ぎて、避難所生活も少し落ち着いてくる事で、当然のように、プライバシーの問題が出てきているようです。各被災地も仮設住宅の建設を急ピッチで進めていますが、被災者の絶対数からすると、とても足りる数では有りません。

 そして、各地で、留萌市のように、被災者を受け入れる用意をしているようです。また個人的に、ホームステーを受け入れる取り組みなども進んでいるようです。ですが、残念な事に、まだまだ実際に利用している方は少ないようです。

 今回被災した東北の各町は、やはり、地域としてのまとまりが強いのでしょうね。コミニテーの壊れることをとても嫌がっているようです。また、行方不明の身内の方が見つかるまでは、地元に居たいとか、町の取り壊しまでに、思い出の品を探したいなどもあって、なかなか地元を離れられないようです。

 良く分る(と、気軽に言えませんが)のですが、ここは、疎開する感じでどうなのかな~と思うのです。町の復興再建に頑張ってもらわなければならない実行部隊は、そのまま地元に残ってもらい、子供やおじいちゃんおばあちゃんなどは、町が再建されるまで、安全安心なところで、少しユックリと英気を養ってほしいと思います。被災した自治体も、たぶん、全ての被災者の力になりたい、と思っていることと思いますが、現実としては、多岐にわたる問題への対応で、手が回らないのではないでしょうか。そういう意味からも、一時的に(そう、いつかは地元へ帰るのです)疎開する事は、みんなの為になるのではないかと思います。

出来れば、孤立する事のないように、仲良しや、家族、集落単位で移動・疎開できれば良いのですがね。北海道はちと遠いので、どこか近くで、安全安心なところがあればそれでもいいのですが、一年ほど、北海道(九州でも)に物見遊山に行く、くらいの感じで、ぜひ少し考えてほしいと思います。
                   

ニトリ10億円寄付

2011-03-28 22:22:21 | ペット
                    

 このブログで、あまリ企業の宣伝になるようなことは、書かないようにしようと思っていたのですが、北海道を代表する企業「ニトリ」については、書きたくなりました。

 今回の震災に、今まで9万点の毛布などを寄付していたそうですが、今日、10億円を寄付しました。被災している方たちが今、一番必要としているプレハブの設置に使ってほしいとの事です。

 社長の個人としての寄付金5億円も含めて、その総額は18億円になるそうです。年間売り上げが130億円くらいの企業としては、破格の寄付だと思います。

 元々、ニトリは社会貢献に熱心で、道内の植樹への助成は有名で、財政再建中の夕張市を桜の名所にする運動は、大きな反響を呼び、吉永小百合さんも参加しました。ニトリの工場のある、アジアの若者の留学の後押しにも積極的です。また、サッカーのコンサードーレや、野球の日本ハム北海道など、スポンサーとして、スポーツの振興にも力を入れています。ゴールデンルーキーの斉藤祐樹君のユニフォームにも、「ニトリ」のロゴが入っています。他にも、施設の命名権の購入など、文化活動にも貢献しています。

 もちろんそのことで、企業イメージのアップや、こうやって、(と言うほどではないですが・・)私ごときのブログで紹介することでの、広告効果もあります。当然これらの活動は、各報道機関で紹介されるわけですから、その広告効果、そして、広告代に換算すると、充分に採算は合うんでしょうけどね。

 そうは言っても、なかなか出来る事ではありません。特に社長個人の私費を5億円。もし、それだけのお金を持っていたとしても、私的には無理だろうな~、と自分の小ささを思ってしまいました。ま~出来そうもないことを思うより、自分に出来る事を今はやることが大事でしょうね。

 我が家にあるニトリ商品は、食卓椅子と、コタツ布団と、お玉と・・・あと、雑貨が少し。そんなに多くはありません。ニトリの会員にもなっているし、ニトリの応援のためにも、何か買ってあげたいのですが・・・今のとこ必要な物も無いし・・・申し訳ない感じです。

 原発は、いつ収束するのか・・・保安院だか、安全委員会だかのお偉いさんですら、いつ収束できるか分らないという、日本のというか、世界でもトップクラスの原子力の専門家まで、さじを投げてる感じで、地元でない我々まで落ち着かないのですから、
本と、地元の方たちの苦悩はいかばかりかと思いますね。早く収束して、津波や地震で被災して避難所暮らしをしている方たちへの支援に、全力投球できるようになると良いのですが。
                  

 

長兄の送別会

2011-03-27 18:59:42 | ペット
                   

 4月が目の前だというのに、今、また雪が深々と降っています。気温が高いので、明日の朝には融けるのでしょうが、冬将軍もいつまで頑張るのか・・・。

 今日は私の長兄の送別会みたいのに行ってきました。生涯現役、本当に死ぬその瞬間まで、引退や、隠居なんて事の無い仕事ですので、今回道東への赴任を命じられ、明日出立という事で、今日は400人くらいで送る会みたいのをしました。

 肺がんの初期的なものが見つかって、経過観察中で、心臓にも疾患があったりと、今年76歳になるそうで(兄弟の年を知らんのもどうかと思いますが・・・)、歯や耳は良くても、やはりあちこちにガタが、きはじめているようです。

 今日は仕事もあったのですが、もしかすると、今生の別れになるかもしれないので、思い切って参加しました。なんせ同じ道内といっても、本当に広くて、私の住んでいるところから、今度の兄の赴任先までは、約450キロ以上あります。何か兄に有っても、すぐには行けそうに有りません。

 長兄と私は20才以上違って、兄の親友のお嬢さんは、私の2学年下でした。私の名づけ親はこの長兄だそうで、これは高校の頃に知りました。

 長兄は人を導く事を仕事としています。大学を苦学の末に2つ卒業して、親としては(私達の父母です)やれやれで、長男として、これから、家を継ぐなり、大学を卒業したのだから、固い仕事について、家計を助けてくれるものと期待していたようですが、突然「人のためになる仕事をしたい」と言って、そのための学校に8年間入りました。その学校を出ても、給料は支給されません。つまり、食と住まいは与えられますが、個人資産は一切持てないのです。さらに結婚も出来ません。

 お気付きの方もいるかもしれませんが、長兄は、神父をしています。今年で40年になるそうです。「相当の意思」というか、私的には、不謹慎ですが、「思い込み」があったんだと思っています。自分自身の欲望を我慢するという事は、中々出来る事ではなく、私の兄ながら、大したものだと思っています。もちろん長兄も人間ですから、色んな欠点もありますし、失敗もしますが、そのことを謙虚に反省する点が、尊敬に値するところだと思っています。

 送る会の後、兄弟と、近しい人で食事をしていた時、兄が突然私に関して話はじめました。それは、30年以上前の話で、兄と、宗教の話をしていた時に、兄が「自分の信ずる宗教以外は邪宗だ」と言い放った事があり、それに私が猛反発したことが有りました。

 何度かこのブログでも書いていますが、私的には、お金のかかる宗教と、人に迷惑をかけても良い、という様な宗教以外は、全て良い宗教だと思っています。人を幸せに導くために、自己犠牲で頑張っている宗教人は、尊敬に値すると思います。だから、誰がどの宗教を選んでも全然いいというのが、私のスタンスです。兄は、宗教人ですから、当然自分の信じる宗教が一番、と思わなければやっていけない部分もあるでしょうが(他の宗派の方も同じかもしれません)、ですが、私の思う神様は、もっともっと、心広く、全てを受け入れてくださると信じています。ですから。邪宗や、天罰なんて事は、私的にはありえないのです。

 ま~そんな考えを兄にぶつけたわけですが、その時は受け入れてもらえませんでした。それから、何年かして会った時に、「兄さんも、他の宗教を認めることにしたよ。あの時はすまなかった。」と謝ってくれました。

 30年以上前のその時の話をいきなり、みんなの前でしだしたのです。「子供だと思っていた○○君から、教えられました。謙虚に、みんなの声に耳を傾けていきたいと思います。」と、これからの赴任先での抱負を語りました。

 兄は、私のことを「○○君」と呼びます。私は「○○兄さん」と呼んでいます。あんまりない兄弟関係でしょうね。実は私が物心ついてから、初めてこの長兄に会ったのは、12歳の時でした。先に書いたように、8年間行っていた学校は、その8年間俗世界とは一切没交渉だったので、私が2・3歳の時に会ってからは、全く実像のない兄でした。

 そんなわけで、会ったときには、なんて呼んでいいのか分りませんでした。一緒に遊んだ事もないですし、何より年が離れていますしね。兄は兄で、「○○」と呼び捨てにも出来ず、「君」付けで私を呼び、私も「兄さん」をつけて呼ぶようになり、それが今も続いているのです。
 
 宗教に出来る事。宗教にしか出来ない事。兄には老体に鞭打って、頑張ってもらいたいと思います。