daddy-kのいきあたりばったりⅡ

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「地図の楽しみ」見てきました

2022-07-21 | 札幌街ブラ

札幌の中島公園の一角に北海道立文学館があり、「学」と付くと頭が痛くなる?私は普段は立ち寄らないのですが、今月9日より「地図の楽しみ」というアーカイブ展も始まったので、久しぶりにのぞいてみました。

地図もまた苦手で、海の中でも山でもコンパスもロクに使えないくせに…なのですが。

展示の6つのコーナーの内、興味を惹かれたのが、400年以上も前にヨーロッパで初めて日本が紹介された時の古地図とか、大航海時代の進展に伴い「発見」されたアジアなどの情報の変遷でした。

 

左が最初に紹介された日本で、1595年にオランダのアブラハム・オルテリウスが制作した銅版画。彼は宣教師経由で入手した日本の古地図、「行基図」を基に作ったそうですが、北海道が無くて頭が無く見えるのは寂しいですね。それに横書きですし。

それが時代を経て、1797年のフランスのラ・ペルーズの地図(右)では、北海道のみならず、樺太はきちんと島で、千島列島からカムチャッカまでかなり精巧になり、割愛しましたが南はフィリピン諸島も。

当時のアジアやアフリカやアメリカを我がものに、と言う動機はともかく、この時代に地球全体を知ろうとした人達の意欲、航海に必須とはいえすごい情熱を感じます。

 

1908年のクルーゼン・シュテルンの地図になると、北海道はEZO、沖縄はLIU-KIUと表記され、1908年は明治41年のこの年は青函連絡船が就航し、最初のブラジル移民を載せた笠戸丸(石狩挽歌に出て来るあれ)が神戸を出航した年だから、当然なのでしょうけれど。

そのEZO地の古地図も何枚か展示され、最上徳内、間宮林蔵、近藤重蔵、松浦武四郎の物があり、古地図で見る故郷の地名は格別に懐かしくもありました。

そこからシャクシャインの蜂起、「南北の塔 アイヌ兵士と沖縄戦の物語」などのアイヌの人達の話とか、北海道をテーマとした文学の展示となるのですが、それはまた別の機会に触れたいと思いますが。

 

ここから地図を離れ、帰りに散策した中島公園の様子。

左の見た事はあるけれど気にした事が無かった碑は、NHKの中島演奏所がここあり、昭和3年にJOIKとして放送開始した記念だそうで、恥ずかしながら初めて知りました。

園内ではいま見頃のねむの木も。本州ではお馴染みのこの木は、北海道では公園で見かける位であまり馴染みは無いのですが、私は好きです。

園内にはもう一カ所植わっていて、パンの笛を吹く少女?の像の奥にもあったのですがこちらは枯れてしまった様(右奥)で、残念でした。

池の周りには今盛りのアジサイ。前回のブログと重複しますが短い北海道の夏ですし。

こちらも池と言えばお約束の、ことし生まれたカモたち。

いっぱい食べて、いっぱい寝て、早く大きくなるんだよ~と、親になった気持ちですが。



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