重動と軽動 投稿者:うさぎ 投稿日:2012年12月 8日(土)00時09分16秒 返信・引用
kさん 「慢練のやり方が重動と軽動、つまり2種類ある」
そうですね。両方ある。重い、軽いは互いがあって成り立っていますし、相対的な概念ですので、すごい重い、ちょっと重いとかありますから無数にあるともいえます。2種類の形や、2種類の練功法があるというのとは違いますよ。形にするから形骸化する。
同じことをやっていても思い軽いというのはあります。同じパンチを打っていても、あの人のパンチは重いとか、軽いとかあるでしょう。同じ動きでもどっしりとしているとか、軽妙であるとか。そういうことです。そういうものを分ければ重動、軽動になるし融合していけば霊動になっていく。言葉にすれば理屈の上ではそういうことで、至って単純です。
戴氏心意は、それを形や技法にしたのではなく、目には見えない物をみようとした。そこに戴氏心意拳の内意があるのだと思います。
これが重動という形、これが軽動という形を作ることは簡単ですし、その方が練習しやすく習得した気になるのかもしれません。しかしそれは、形を増やしただけの形を覚えたことにしかならないわけです。「本当に大切なものは目には見えないんだよ」ってどこかで聞いた言葉ですが、私たちは目には見えない本当の意味を見つめていかなければならないのだと思います。だから戴氏心意拳は、一対一で「手で教え、口で教える」という伝統的教授法をとってきた。その人の姿をしっかりと見つめる方法でしか、見えないものを見ることはできない。重さとか軽さは、外形ではない。しかしその人の習得される具体的な精華なのだ思います。
Re: 重動と軽動 投稿者:k 投稿日:2012年12月 8日(土)08時40分39秒 返信・引用 編集済
> No.185[元記事へ]
うさぎさんへ
度々の質問で恐縮です。
> 同じ動きでもどっしりとしているとか、軽妙であるとか。そういうことです。そういうものを分ければ重動、軽動になるし融合していけば霊動になっていく。
同じ動きの中に重動と軽動の要素があり、練拳が進むに従って二つの要素を分けて練拳できるようになる と言うことなのでしょうか。