祁県映海戴氏心意拳倶楽部 公式ブログ

戴隆邦から脈々と受け継がれる戴氏心意拳。王映海伝戴氏心意拳の日本での伝承を行う祁県映海戴氏心意拳倶楽部の公式ブログです。

武術の楽しさ

2014-09-19 21:04:00 | 練法・技撃・学び方・健康・技法体系

沈肩垂肘 投稿者:うさぎ 投稿日:2012年12月17日(月)21時09分42秒 返信・引用


バンビちゃんさん、武術って強くなりたいっていうのが中心にあるのでしょうけど、武術を通して、人と人との交わりであったり、健康であったり、知恵であったりいろんなものを修養できる。
自分をよくしていく様々なものが内包されていると思うのです。「自分をよくする」のが武術の練習であるのなら、他はの批判とかして、何の意味があるのだろうかと思いますし、そんなことに時間を割くのは持ったいない気がします。
武術する楽しさって追求して行きたいものです。






剛柔 投稿者:うさぎ 投稿日:2012年12月21日(金)00時49分39秒 返信・引用


先日の大阪講習会参加者は、重動と軽動という概念だだいたいこういうものなんだなというのはつかんでいただけたのではないかと思います。だけど、ある意味では余計わからなくなったと思うところもあるかもしれません。多分、この掲示板を読んでいるだけであれば、重動と軽動は読めば読むほど余計わからなくなってきているのかもしれませんね。(^_^;)単なる言葉ではなく、時間をかけて、こんなものだなと感覚的にわかってくるからこそ、身体にとって、自分にとって具体的な意味があるものになって行くのだと思います。例えば重動は、剛勁で、軽動は柔勁です。と定義できるわけですが、言葉って別な言葉に置き換えるとわかった気になるわけです。でも、剛勁というと、強い力なのかな?とか発勁なのかな?とか想像や連想、ロマンは膨らんで行くわけですが、結局どこまで行ってもわからない。言葉がいくら豊富になっても、身体を通して、これが重動なんだな、剛勁なんだなというのを捉えていかなければ武術を学んだことにはならないということなんだと思います。私自身、いろんなことが知りたくて、日本だけでなく中国の戴氏の資料もいっぱい集めて、様々な先生のところにも訪ねたわけです。いろいろ違うなあという比較論は、教養を広めることにはなっても、深めることにはならない。
知識って、ロマンだと思うんです。そのロマンをどう現実化して行くのか。これは大きなテーマですよね。だから、知識を得るだけでなく、練習するってことなんだと思います。私のような凡人は、こんな単純なことに気づくのに長い時間を要したように思います。





Re: 沈肩垂肘 投稿者:バンビちゃん 投稿日:2012年12月24日(月)13時53分25秒 返信・引用


そうですね。 他派への批判は時間の無駄ですね。
現実としてひところの中国武術ブームはどこへやら。。。日本では特に伝統武術はとてもマイナーな存在です。 道を求める者同士、お互い仲良く、協力できればいいのにと思います。





中国武術の良さ 投稿者:うさぎ 投稿日:2012年12月28日(金)10時34分19秒 返信・引用


 中国武術は、人を良くし、強くしていくものだと思います。
ですから、本来のその良さを追求していけるものであると良いですよね。
中国武術の神秘的な面やかっこよさであるとかそういう面が本来の人として生きていく上で有効である武術の修練を見えなくさせてきたもののように思います。
武術の良さというのは、身体で学んでいくということであると思うのです。
日々の練拳をがんばっていきましょう!