いつもご覧に下さり、誠に有難うございます。お陰様でジワジワとご覧頂いている方が増えておりまして、恥ずかしい限りです。
18年もダラダラとブログをやっておりますと、時々昔のネタの閲覧数がグッと伸びてる日があります。
その代表作の1つが、2011年に書いた「岡本太郎」化する日本 。
当時は、危機的な日本の財政を憂いて書いたのですが、いま改めて読んでみてビックリ!別の意味で現代にピッタリ当てはまってるんですわ。
どういうことなのか、岡本太郎のコメントを見てみよう。
1970大阪万博のプロデューサーを引き受けたのは危険だからだ。
人間は生きる 瞬間、瞬間で、自分の進んでいく道を選ぶ。そのとき、私はいつだって、まずいと判断する方、危険な方に賭けることにしている。
人間は生きる 瞬間、瞬間で、自分の進んでいく道を選ぶ。そのとき、私はいつだって、まずいと判断する方、危険な方に賭けることにしている。
極端な言い方をすれば、己を滅びに導くというより、自分を死に直面させる方向、黒い道を選ぶということだ。無難な道を選ぶくらいなら、私は生きる死を選ぶ── それが、私の生き方のスジだ。
あえて危険な道を選ぶ。何故なのだろうか?著書「自分の中に毒を持て」にはその答えが書いてある。みんなどうしても、安全な道の方を採りたがるのだけれど、それがだめなんだ。人間、自分を大切にして、安全を望むんだったら、何も出来なくなってしまう。計算ずくでない人生を体験することだ。ぼくは、本当に自分を貫くために、人に好かれない絵を描き、発言し続けてきた。
一度でいいから思い切って、ぼくと同じようにダメになる方、マイナスの方の道を選ぼう、と決意してみるといい。そうすれば、必ず自分自身がワァーともりあがってくるにちがいない。それが生きるパッションなんだ。」
一度でいいから思い切って、ぼくと同じようにダメになる方、マイナスの方の道を選ぼう、と決意してみるといい。そうすれば、必ず自分自身がワァーともりあがってくるにちがいない。それが生きるパッションなんだ。」
ここまで読んで、私はあることに気づいた。
そう、パビリオン建設が遅れ、予算と税負担がどんどん膨れ上がり、そもそも何のための万博かよくわからないEXPO 2025 大阪・関西万博。
どう見てもうまくいくと思えない。
しかし、だからこそ、万博関係者は全員、この今、生きるパッションに満ち溢れてワァーと盛り上がっていることだろう。
皮肉なことに、岡本太郎の精神は、この万博にミャクミャクと受け継がれている!