Uさん、こんばんは。
先の衆議院選挙で、他の野党との共闘を旗印に戦った立憲民主党ですが、予想以上に自党の議席を減らしました。
そして党の代表枝野氏は、当初のその釈明に追われていたわけですが、結局、選挙戦敗北の責任を取って、選挙の数日後に党の代表の辞任を表明し、実際にその座から降りています。
民進党と希望の党の合流騒ぎから生じた混乱の中で、枝野氏が”個人商店”としてスタートした立憲民主党です。
烏合の衆たる多くの元同志達、多勢の動きに反旗を翻し、一人立ち上がった枝野氏の党への世評の評判が高まると、それ、勝ち馬に乗れとばかり、旧民進党や希望の党等の残党が、小さくてまだ幼かった立憲民主党に押し寄せます。
忽ち、100人を超える大所帯の政党に急成長します。
そうして、政党の政策を置き去りにしたまま、つまり右や左の意見をつめ切らないまま、数は力とばかり、党員拡大を是として政党活動がスタートします。
寄り合い所帯の異夢同床、とまれ呉越同舟、肝心の党の方針がぶれたまま、では何を以て求心力・政策の要としたと言いますと、結局のところ、時の政権の与党たる”自民党”に対する政策・政権運営批判の一本打法です。常に立憲民主党は、政権交代を軸として国会で時の自民党政権と対峙してきました。
確かに、安倍政権には後ろ指差されても仕方がないような、後ろめたいことも沢山しています。
それに対する擁護は一切するつもりはありませんが、立憲民主党は、常に批判の一本槍に映り、政府の方針が変わればそれに応じて、立憲民主党の立ち位置(主張)もするりするりと変えてきました。批判のための批判。民主党時代と変わらぬ顔ぶれ、変わらぬ思想・発想。それらは一度、国民から否定されたはずなのに。
危ない橋を渡っているな、個人的にはそう感じてきました。
それは時折、ニュースになる各政党の支持率で、立憲民主党の支持率が一向に上がらなかったことで次第に確信に変わっていきました。
見掛けの党勢拡大に驕りを感じ、枝野商店の手作り看板が色褪せて見えました。
誰のための党改革、誰のための新党立ち上げだったのだろうか。
国民のためではなく、取り巻きの代議士・議員の保身のため?
党を守る=自分の党首という立場を守るという、全てが守勢に回ってからはもう駄目ですね
周りの意見に左右されてしまうのですから。右側に右耳を傾け、左側に左耳を傾け、どっちに向いたら良いのやら。
で、
特に、左側の方の人たちは注意です。あの人たちは隙あらば機に乗じて数の力ですぐに組織を乗っ取ろうとしますから。
組織から輩出した人間というのはどこまで行っても組織を使って自己の勢力を(秘密裏に)拡大しようとする姑息さがあります。
意外と狡猾なんです。
だから、自分が思うに、今回の失策は枝野氏にもし責任があるのというのなら、共闘を強く勧めた取り巻きにも重大な責任があると思います。
むしろその方が大きい。調整が出来ずに流された党首にも問題はありますが、左傾を画策した議員も同罪です。
陰に隠れて冷や汗をかいているのではあるまいか。
元々、枝野氏はどちらかというと、右寄りの中道です。だから今回の共闘は可笑しいなと思っていました。
そして、枝野氏は野党共闘について問われると、常に曖昧な答えに終始し、東京8区の騒動では調整役としての能力の限界を晒してしまったし、敗戦の将は語るでは、当初は強弁でその場を切り抜けようとしていました。
でも、自分に思うに枝野氏は立憲民主党内の左派のマリオネットになってしまっていたんだと考えています。
汗を拭き拭き、あんな弱気な枝野氏は見たことがありません。
でもね、恐らく彼にとっては野党共闘は最後の賭けだったんです。巨大与党を倒すには、この手を使ってみるしかなかった。
強力な副作用を持った禁断の劇薬なんですけれど、その効き目に掛けてみるしかなかった。
悩みに悩んだんでしょうね。
菅首相のままならこの劇薬は使わなかったでしょうけれど、岸田首相の誕生で目論見が狂ってしまった。
戦いの先が読めない短期決戦で、”乾坤一擲”の野党共闘(共産党共闘)が、思わぬ結果を招いてしまった。
そしてこの機に党勢を拡大しようと試みた枝野氏は、自らが潰れてしまって将来を失った可哀そうな福耳の布袋様となりました。
ええ、上手くまとめられませんでした。
では、ごきげんよう。
さようなら。