川の人気もの

や~まの にんきも〜の それは~~
歌うのが好きな中年男の無理して書いてる、主に鮎釣行記。

2017年2月11-12日 萩往還 by MTB

2017年02月12日 | MTB
 去年から出雲在住のF氏から自転車で、または歩いて萩往還を歩こう(走ろう)ということで計画をしていた。入念に計画を立て2月の11-12日がよかろうということで話はまとまった。最初は歩いて行くのはどうかと行ったが、F氏はネットに自転車で6時間ぐらいで完走している記録があったらしく、歩きは無理と判断し自転車で萩から三田尻まで萩往還を制覇して、次の日は萩めぐりにしようという計画になった。
 ところが11日は大雪警報が出ていて、当日もあいにくの大雪だった。唐津を朝4時半に出たが、八幡―下関間通行止めで一時間半ぐらい遅れて防府に8時半過ぎに到着した。自転車をF氏の車に積み込み萩に向かう。

 泊まる予定のホテルの駐車場で


 泊まるホテル


 山口から萩までは完全に雪





 萩城近くの駐車場に止めて萩のお城から萩往還を三田尻まで向かって走り始めた。






<コースタイム>自転車時間8時間30分、

唐津鏡0430==0830防府0845=1045萩1100-1215明木「乳母の茶屋」ランチ1300-一升谷十合目1415-宮の峠1520-夏木原交流施設1610-国境の碑1630-板堂峠1635-六軒茶屋1655-錦鶏湖(一の坂ダム)1720-鯖山峠1840-三田尻茶屋「英雲荘」1930-1950ルートイン防府

 とりあえず海を見て、お城のとこまで行く。



 やや曇り気味で、たまに雪がちらつく。萩市内にある唐樋札場、萩往還の説明書もある。





 しわーと登り始める。何かあれば休めるのでなんとなくうれしい。すぐに涙松遺跡なるものがある。萩の見える最後の場所で吉田松陰が歌を詠んでいる。





 次第に坂がきつくなっていく。すぐに道の駅「萩往還」について休憩。



 ここには吉田松陰、高杉晋作、久坂玄瑞



 こっちは天野清三郎、野村靖



 山形有朋、木戸孝允、伊藤博文



 品川弥二郎、山田顕義らが颯爽と立っています。昔の偉い人は今の人とどこが違うのかというと、やっぱり教育なのではないでしょうかなどと歴史を顧みる余裕もなく、自転車こぎのきつさを癒すのみ。

 

 こんな天気でなかなか寒いが、高度があがるにつれ雪も積もってくる。



 いきなり階段山道、漕ぐのはまず無理の路になった。







 登りあがる途中に休憩所のようなものがある。ちょっと休憩。



 MTBを押したり、乗ったりしながら峠を越えて明木橋に着く。ここにも松陰の面影がある。松陰が密航の失敗でとらえられて檻に入れられて帰されたとき、ここで漢詩を読んでいる。







 集落の真ん中ぐらいに無料休憩所があって、ここで一休みさせてもいランチにした。







 乳母の茶屋と書いてあって、ものすぎくきれいで畳の部屋もあり泊まってもよさそう。地元では公民館として使われているような感じを受ける。ここまで立派ではないが、萩往還のいたるところに休憩所が設けられている。

 昼飯はいつもの山のようにカップ麺とおにぎりで締めにコーヒーを飲む。



 腹ごしらえも終えて、ここから本格的な山道に入る。既に13時となっている。
 登る途中で町田梅ノ進自陣の地とある。萩の乱に加担してさらに西郷挙兵に加わろうとしてここで果てたそうである。昔の人は行動力がすごく、なんでも死ぬ気の行動で動いている。物事を成すも成さぬもこれが必要なのだろう。
 


 雪も増えてきて道も景色も素晴らしくなってきた。



 さらに20分ほど登ったところに「彦六の道分れ」がある。萩城築城で功績のあったものが殿様の褒美に村人の通行税の免除を願い出て許可されたという。



 休みを入れながら登る。



 一升谷8合目



 頂上前に一升谷の由来が書いてある。長くて急なこの坂を上るのに、取りつき始めて炒り豆を食べると登りあがるのに一升食べてしまうという事で一升谷と呼ばれているそうである。



 やっと10合目である。標高346m。



 さらに20分ほど進んで急な階段が出現。階段を押して歩いて



 展望台があった。





 また20分ほどで落合休憩所。15時になっている。



 ここから一般道に出る。宮ノ峠だ。





 少し下ったところから右に折れるが、



 ここでちょっと休憩。



 下って行って、またのぼる途中に休憩所がある。



 その横には石風呂がある。サウナみたいな感じではいるらしい。



 上長瀬の一里塚に着く。唐樋札場より5里、三田尻船場7里と書いてあったらしい。約20km来たことになる。15時52分だが、板堂峠は17時までには通過したい。暗くなると通行が困難になる。一般道を登りあがる。



 高度があると次第に雪が増える。



 夏木原交流施設に到着。休憩する。16時10分。





 ここにも吉田松陰の7言絶句の漢詩がある。今度は江戸に送られた時の自分には一点の曇りなしというような内容の詩だ。





 ここから山道に入る。



 結局坂がきついので押して上がる。



 国境の碑に到着。





 少し行くと標識があり



 やっと板堂峠に到着した。16時35分で予想より少し早かったので暗くならずに降りれた。







 キンチジミの清水



 一貫石



 などある道を下ってゆく。かなりの勾配があるところもあり、ブレーキをかける手がだんだんと力がなくなってゆく。だけど漕がなくていいのでかなり楽で、ペースも早い。



 六軒茶屋に着く。休憩する。





 ここからは石畳と階段のが続き、かなりの下り坂を一気に下りた。歩くと大変な道のようだが、自転車だとなんとか降りれてしまうのがすごい。板堂峠から車道に出るまで35分で降りてきたことになる。





 車道を結構なスピードで降りていき錦あっという間に鶏湖に着く。17時20分





 山口の街も見える。



 山口の街を駆け抜けて山口と防府の間の鯖山峠に着いた。18時40分ここからはもう下るばかりで上り坂はないのがうれしい。



 暗くなっているのでどこをどうとおっているのか不明だったが、なんとか三田尻船宿に到着した。完走です。





 その後海を見に行って、それからホテルに向かい無事に到着した。お疲れ様でした。

2月12日

 次の日は私の車に自転車を積み込んで萩に向かう。

 その前に楫取素彦のお墓に行って、防府天満宮に立ち寄った。防府天満宮は三大天満宮の一つで、残りの二つが京都の北野天満宮と大宰府天満宮だそうだ。立派なお宮さんでした。



立派な楼閣もある。5重の塔を建てる予定が小さくなったらしい。



 眺望はよく防府市が丸見え。



 五重塔の名残が基礎部分に



 何か立派な建物でした。





 萩の街で、今度は自転車で観光めぐりを行い、高杉晋作宅や松陰神社や松陰の墓などを巡って萩の街を堪能した。

 高杉晋作の育った家







 ちょっと離れたところに銅像がある。



 木戸孝允の生まれた家



 松陰神社



 松下村塾





 伊藤博文の生家



 銅像



 東京より移転した伊藤博文の館



 毛利家のお墓のある東光寺、奇数代の殿様のお墓で、偶数の殿様は大照院という別の場所にあるらしい。







 木魚の原型で魚の形をしている木魚



 それから少し上の吉田松陰や杉家のお墓を見に行ったときに、ボランティアのガイドさんから東光寺のお墓は一つは灯篭が兵馬俑のような感じで整列していること、お墓の前に必ず鳥居がありこれは神仏合体を現わしていること、殿様と奥方のお墓が同じ大きさであることの3つのことで、日本にはここにしかないお墓だそうである。

 吉田松陰が若かりし頃見たであろう景色と



 金子重之輔とともに萩の城下を一望できるところに立派な銅像がそびえている。この銅像の表の字は佐藤栄作が書いた字だそうだ。そういえば昨日、夏木原交流施設のところにあった歌碑は岸信介の書だった。政治家の中でも吉田松陰という人物は非常に慕われ続けている証拠となっている。



 坂を下りてお城の周りを巡る。



 お城の周りは海で、海を見ながら今回の萩往還の旅の終わりにした。





 ところがである。最後にF氏といい旅だったねと言いつつ別れる間際に駐車場内で車をバックさせているときにやっちまったよ~。
 駐車している車にぶつけてしまいました。大ぶつけられた車の持ち主さんには大変申し訳ありませんでした。ぶつけた車の持ち主と会うことができて話もつきましたが、ぶつけられた経験から行くと、大変迷惑でした。心よりお詫びをするしかありません。本当に申し訳ありません。

 ということで、ちょっと引き締まった心持で唐津に帰りました。ちょっとめでたくなかったかな。でも大満足の萩往還でした。歩くと18時間ぐらいで完歩できるかな?いつか挑戦したい。


<今日の山の人気もの>

 歴史を感じさせる道、萩往還でした。







最新の画像もっと見る

コメントを投稿