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諸葛孔明南蛮征伐

2017年09月16日 | 日記
 諸葛孔明はなぜ南蛮征伐を企てたのだろう。一見すると無名の師だが、孔明ともあろう者が、戦争のための戦争をするはずもない。あれだけの大規模な遠征であった以上、それ相応の目的があったにちがいない。
 魏をたたきつぶすために、南方に領土を広げる必要があるのか。南方によほど欲しいものがあったのか。
 蜀では入手できない資源が南方にはあったのか。金属か何かの鉱産資源か。人的資源、と言えば聞こえはよいがつまり奴隷がほしかったのか。南方でしか入手できないもので、軍事的に重要な物資とは?
 それは、ゴムにちがいない。
 マレー半島では英国人がゴムノキのプランテーションを経営し、世界の天然ゴムの大半を産出していたのである。孔明の眼力が、雲南やらビルマやらまでしかおよばないと思うなら、素人考えもはなはだしいというものだ。
 ゴムがなぜそれほど必要なのかと不思議に思うだろうか。どうしてどうして、これが、蜀の劣勢をいっぺんにひっくり返すほどの威力を発揮するのだ。
 空気を入れたゴムタイヤがどれほど快適なものか、それ以外を知らない現代人にはピンとこないかもしない。しかし三国時代の支那では、ゴムタイヤを用いれば、車に乗った人間ばかりか、車を牽く牛馬だって天にのぼったような心地がしたものである。荷駄が軽い!輜重革命である。戦車が快速!車戦は圧勝だ。
 車だけではない。歩卒にはゴム底の履物を与えよう。南方のロームシャたち、リキシャマンたちが、東の島国で発明されたという地下足袋なるものを履いているぞ。これを取り入れようではないか、丞相。行軍の足取りの軽さと言ったらもう。意気上がる歩卒たち。
 天幕もゴム引きにする。軽くて雨に強い。居住性抜群である。野営も楽しくなってしまう。
 ゴムには別方面の用途もある。若い兵隊がぎっしり詰まった駐屯地の近郊には、遊郭が付きものだ。花柳病が心配ではないか。そこで、ゴム。諸葛孔明という人は、そういうことに特に目配りができる人だった。これで安心。意気上がる蜀軍。…「戦争」と「ゴム」で、そっち方面の連想はないだろうとお思いか。ところが、時代くだって、大日本帝国がマレー半島を占領した時には、豪放磊落を気取る陸軍将校たちの間で「これでサックも使い放題じゃ、がっはっは」というのが流行りの文句になっていたのである。
 というわけで、ゴム園の支配ひいてはゴム製品の独占を目的に、諸葛孔明は南方に軍隊を進めたのであった。急げ孔明。早くしないと呉の水軍が、海からマレーを制するぞ。