きみの靴の中の砂

春を見つけに行く山旅の一日





 東京市街が桜の頃を迎えると、奥多摩や道志山塊の山道ではタラの芽が旬を迎える。この時期の山歩きは足下に注意を集中せざるを得ない初心者を別にして、年季の入ったハイカーは、目の高さより少し上辺りに注意を払う。それによりタラの芽が目に入る。手慣れてくなると、その日の夕飯の膳に家族の分も含めて、香り高い、春の天ぷらが用意できる。

 ところで、人が好むものを野の鳥が好まないわけがなく、タラの木や山椒の木の幹に薔薇のような鋭い棘があるのは、野鳥が実をついばむときに幹に止まりづらくさせるという種の防衛本能が働いているのが想像できる。
 人は知恵のある分、タラの芽の棘などものともせず採取するが、先に道を行ったハイカーにより既に採取された痕跡を見ると、そのハイカーの知識のなさと言うかマナーの悪さが瞬時に見て取れる。

 昔から山に暮らす人々には何に付けても不文律がある。

 それを守らないといわゆる乱獲になり、いずれは数が減ってしまうのは、なにもこの場合に限ったことではない。

 残念な人達が人間社会で次第に落ちこぼれていくのは事の成り行きだが、自然界においては、そういう残念な人達によって自然・天然が破壊されていく。

 ちょっと調べてみたら、タラの芽の正しい採取方法はウィキペディアにすら記載があった。

                    

 ところで余談になるが、山歩きの際、採取の作法がタラの芽よりはハードルの低い山菜がある。芹である。沢沿いの道で摘む芹は重宝なもので、昼に飯盒で飯を炊くついでに、熱々の中盒で芹入のスクランブル・エッグをわけなく作れる。保存食ではなく、その場で調理した温かいおかずがあると、山での食事は一層楽しくなる。




【大村憲司 - 春がいっぱい】

 

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