きみの靴の中の砂

一軍半の本たち




 何年かに一度、ふと読みたくなる本がある。
 その手の本は、普通、その頻度に応じ、頭の中で優劣を付けて書棚のどこかに置いておくのだが、頻度が少ないと、いつの間にか書棚からはみ出して、書庫の片隅に平積みにされる運命となる。だからと言って、確実に何年かに一度読みたくなるから始末に悪い。しかし、その頻度が低くても、決して書棚からはずされない本があるからには、頻度の他に思い入れとか愛着などが加味された、無意識のうちの判断基準があるのだろう。
 それを何かしらのスポーツチームに例えて言えば、一軍の試合には滅多に出してもらえないのに、いつもベンチ入りしている選手が前者で、概ね二軍暮らしだが、たまに一軍のベンチ入りする選手もいるようなものが後者である。どちらにせよ、言わば一軍半の選手だ。
 前者は常に書棚のどこかにあるから探すのはたやすい。だが、問題は後者。読みたくなる都度、探し出すのに確実に往生する。探すのが面倒になって、古本市場で探してしまおうかと思うこともある。

 さて、僕の一軍半(後者)の本はというと-----順不同、優劣無視として-----辻邦生、久坂葉子、野上彌生子、青木玉が四天王だ。

 辻邦生は生前に出た作品集の全六巻ごと行方不明になる。製本がしっかりしているから、きっと書庫の片隅の平積みの本の基礎になっている可能性が高い。

 表紙が絹張りの、野上彌生子の『一隅の記』の初版は行方不明のままで、もはや捜索が打ち切られている。

 青木玉の署名入り『小石川の家』も、偶然に見つかるまでお預けだ。

 特に十九才で芥川賞候補、二十一才で電車に飛び込み自殺した久坂葉子の作品集に至っては、毎度一体どこに巧妙に隠れているのかと思うほど.....。作品から受ける印象以上に探す苦労の方が思い出深い。

 この四天王、再読したからといって感動に涙するわけではない。ただ、何故か、なつかしい。


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"Try To Remember" The Brothers Four


FINIS
 

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