水晶のように透きとおった冬の大気を呼吸しながら帰る夜道、見上げる星座は空に高い。
去年(2007年)の今頃、『星』絡みのこんなニュースがあった。
《降格は『冥王星する』? 米学会、2006年の言葉に・・・・【ワシントン発1月8日共同】あそこのご主人、プルート(冥王星)されたんですってー。北米英語の研究者でつくる《米国方言学会》はこのほど、2006年の『ワード・オブ・ザ・イヤー(今年の言葉)』に『降格』を意味する『プルート』を選んだ。
2006年8月に国際天文学連合総会で冥王星が惑星から格下げになったことを受け、米国では冥王星を示す名詞『プルート』が『降格させる』という他動詞として使われるようになったという。
選考委員長でジョージア州立大のウェイン・グロウカ教授は『宇宙からのノミネートだった』とジョークを交え『《米国方言学会》が科学的な関心に焦点を合わせたのは良いことだ』とコメントした。》
*
何事にも興味津々な28歳のあるアメリカ人青年が、江戸時代の雰囲気がまだ色濃く残る、不思議の国・日本に初めてやって来たのは明治16年の春。しばらく滞在して、日本語の練習をしたり、アメリカ公使館の仕事を手伝ったりした後、一旦は日本を離れるが、明治22年に再来日。その時、彼はかねてから憧れていた能登半島への旅を企てる。
後年、その時の紀行文 "NOTO" は、《人に知られぬ日本の辺境》という副題が付けられ、ニューヨークのホートン・ミフリン書店から出版される。
彼は、余程日本が気に入ったようで、10年ほどの間に4度来日、都合4年近く滞在し、その間、松江のラフカディオ・ハーンなどとも親交を深めたようだ。 そして明治26年を最後に離日し、大正5年11月12日に61歳で亡くなる。
彼は、死の直前、海王星の遥か彼方に謎の惑星Xが存在するかもしれないと予言した。
彼の後継者クライド・トンボーは、先人の予言を信じ、執念の天文観測中、昭和5年1月23日と29日の両日、ついに、その望遠鏡に謎の惑星Xを捕らえ、写真撮影に成功する。同年3月13日、先輩の誕生日に新惑星発見は世界に向けて公式発表され、 プルートーと命名された。日本では冥王星と呼ばれる事となる。
冥王星の存在を予言したのは、パーシヴァル・ローエル-----あの若い日、日本人青年・英治郎に牽かせた大八車に旅行道具を乗せ、碓氷峠を越えて、あの何とも不思議な形をした半島・能登を目差した、あのアメリカ人冒険家である。
《能登・人に知られぬ日本の辺境》
パーシヴァル・ローエル著 宮崎正明訳
発行所・パブリケーション四季(石川県金沢市)
1979年7月30日初版発行 (現在、この発行所の版は絶版)
FINIS