彼女については、配偶者と生き別れたのか否かは噂でも聞いたことがない。いずれにせよ、今は小さな娘たちと身持ちも堅く暮らしているということだ ---- それは、ぼくが地元にいる限り、朝食を除く、一日二回の食事を頼みにしている『いぬく屋(漢字なら、恐らく『胃温屋』とでも書くのだろう。まさか『犬喰屋』ではあるまい)』という軽食堂のキッチンに立つ女のことである。
***
昼時、客は店頭のサインボードに書かれた、その日の『二種類の定食』の品書きを見て注文する。それで用が足りるせいか、別に手に取れるメニューがあるのかどうか気にしたことはない。ただ、時折小さなスケッチ・ブックをめくっている客がいるので、もしかしたら、アレがソレなのかもしれない。
何人かいる常連は、自分の好きなものをア・ラ・カルトの如く頼む。たいして手間のかかるものでなければ、なんでも作ってもらえるようだ。例えば、魚肉ソーセージとピーマンの醤油炒めと目玉焼きを定食にしてもらうなど ---- これは、K氏という退職した紳士が、明けても暮れても注文する。『K氏定食』と言ってもいい。
というぼくが気に入っているのが、トースト・サンドウィッチ。西洋正統の八枚切りの食パンを使ってくれるのが、その理由である。具はその時の気分で『卵』とか『ハム』とか言うだけ。手近にある野菜やチーズが共に挟まれて出てくる。細かい注文はつけない。それを珈琲、週末なら緑のパイント壜入りの麦酒と共に頼む。
たった七卓しかない店だから、コントなどを考えながら、長く腰をすえがちなぼくが出かけるのは、もっぱら、ランチの客が引けた昼下がりのこと。
今日、偶然にも例の小さなスケッチブックが手近にあったので手に取ってみると、やはり手作りの ---- たった一冊しかないらしい ---- メモや写真を貼り混ぜた品書き帳であった。
結構、いろんなものが作れることはわかったが、ぼくの好きなトースト・サンドウィッチの記載はなかった。
The Beatles Experience (From Argentin) / Tell Me Why
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