朝まだきの華氏25度の大気をクリスタル・エアとでも表現することなど生涯無さそうなら、悪戯に不案内な詩集を買って蓄財を無駄に使うこともなければ、詩を認める労力に人生の貴重な時間を浪費しないで済みそうだ。加えて、作文するとき、言葉選びに気を使わない気性なら、現世のストレスが確実にひとつ減る計算だ。
ところで詩とは何か。それって、人生の奥義を極めた果てにあるような看板 ------ 日本最南端の地 ------ のようなものかも知れない。そして又それは極めるにあたり、真空蒸発濃縮法に似た工程を経る必要があるんじゃないか、ということに薄々気付き始めている。散文、散文詩、詩文の違いは、その濃縮還元法の違い、つまり工場の製造設備(いずれにせよ家内制手工業の範疇)の差によることに間違いはないと思うのだが。
【Ton Koopman - Jesu, Joy of Man's Desiring】
最新の画像もっと見る
最近の「『ノート(Cahiers)』或いは、稿本『北回帰線の南』から」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
2007年
人気記事