省吾…浜田省吾さんは1952年広島県竹原市で生まれました。
省吾の父、敏太さんは1945年当時警察官として尾道署に所属されていて、あの日救援隊の一員として広島市内に救助に向かわれたそうです。
そこで見たものを省吾は、2度聞いたそうです。
一度目は小学生だった頃
2度目は亡くなる前、病床で。
省吾の父、敏太さんは広島で二次被爆し1987年に亡くなられます。
1987年、昭和62年4月30日、午前5時49分。
大正7年生まれの一人の警察官が、この世を去った。
彼は広島で原爆の放射能を浴びた。
彼の名は浜田敏太といった。
そして、その息子の名は浜田省吾という。
浜田省吾ストーリー「陽のあたる場所」田家秀樹著角川書店より引用転載させていただきました。
省吾の歌の根底には常に戦争への怒り、核への憎しみといったいうものと悲しみに溢れ、胸を打つものが多いです。
明日は終戦の日
コロナ禍(渦じゃないですね。気がついてなかったんだけど何度もコロナ渦って書いてましたね💦)というけれど、酷暑や炎暑
、熱中症と生きるのにツライことが多いけれど、戦争中や戦後の物資が足りなかった頃に比べれば、エアコンがあり扇風機があって、蛇口を捻れば水が出てまぁ一度災害が起こればそんなことも言ってられないけど、大多数の日本人はまだ平和で幸せに生きていけてるなぁと思う訳です。
本当はもっと違うことが書きたかったんだけど、方向を見失いました。
なのでタイトルと本文が一致してません。あしからず…