小千谷から(Ojiya kara)

新潟県中越大震災の、とある被災者からのメッセージ
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震度5が来る可能性は低くなったっていってたから安心してたのに

2004年12月28日 19時12分59秒 | 新潟県中越大震災・地震
18時30分ごろまた大きめの地震がきた。
守門村で震度5弱。
小千谷では震度3。
毎度のことだけど4くらいに感じた。

子供たちと私、みんな同じ部屋にいたので誰も怖がることはなかったが、長女は思わずテーブルをつかんでいた。

慣れたといえば慣れた。
毎日揺れてるんだもん。
今日の深夜も揺れてたし。

でも5弱はないだろう?
まだ終わってない、そう思わされた。
物は落ちないよ?そりゃ。

でもさ
このあいだの震度4はジャスト2ヶ月メモリアルの日だったし
今日は上越新幹線が全線で運転再開したばかり。
地震は大丈夫!みんな新潟に遊びにきてください!と観光客や帰省客を歓迎する構えだった矢先のこと。
嫌がらせのように感じるのも無理はない。

チクチクチクチクいためつけられる精神的な拷問のようだ。



忘年会と年賀状

2004年12月28日 11時15分16秒 | 新潟県中越大震災・地震
みんなでパーッと忘年会!って気分にはならなくても
仲のいい人としっとりお酒を飲むってのも悪くない。
「いろいろあったよね~」と。
とはいっても、夜子供を旦那に預けて飲みに行くのは無理。

なので、このあいだ仲良しの友達の家にフラッと寄ったついでにビールを1Lくらい頂いてきました(爆)

友達も【飲みたくて飲みたくてたまらん!】といった感じで
いい飲み相手がきてくれた!とばかりに「昼間っからやっちゃいますか?」とニヤニヤと冷蔵庫からドラフトワンを出してきた。

もう~~すごい楽しかった。
彼女もまわりに弱音を見せずに気丈に明るく突き進むタイプの子なので
「こんな弱音みせて恥ずかしいんですけど・・」と本音を見せてくれたときにはほんとに嬉しかった。

彼女はあの日、117号の小千谷塩殿付近を運転中で、がれきが助手席を直撃。
後ろを見たら道がなく、なんとかがれきを手でどかしたあと、地割れを避けるように震えながら小千谷に向かって逃げたという。
赤い橋のあたりで道が80センチくらいの階段状になっていたため、車を乗り捨てて歩いて帰ってきた。
余震が落ち着くまでは発電所に避難していたんだけど、足を踏み入れるとこ踏み入れるとこ クッキーのように崩れていったんだという。

んもう~抱き締めたくなったよ~~。<しなかったけど(^^ゞ
ほんとによかっったぁぁ(T0T)

彼女も私と同じようなことを考えていたり感じていたりしたことを知り、本当に楽しい酒が飲めた♪

来年は年賀状少ないのかな。
被災地には出しづらいって話を聞く。
ちとさびしいな。

「家族みんな元気ですよ!」って伝えるためにも、我が家は明るい年賀状を例年と変わらず出そうと思った。