文化遺産としての赤塚不二夫論 今明かされる赤塚ワールドの全貌

赤塚不二夫を文化遺産として遺すべく、赤塚ワールド全般について論及したブログです。主著「赤塚不二夫大先生を読む」ほか多数。

日本初、民間人による個人経営の交番

2021-04-16 11:34:40 | 第5章

『バカボン』では、青年時代に、通常の警察官採用試験に合格し、警察学校を卒業後、バカボンらの住む街に配属された外勤警察官として描かれている目ん玉つながりだが、『もーれつア太郎』にレギュラー出演する際には、何と、個人経営で交番を営む民間人という別の設定が付け加えられている。

今でこそ、住民ボランティアによる自警団や、委託を受けた警備会社の警備員が常駐し、犯罪防止の呼び掛けやパトロールの拠点となる地域安全安心ステーションなる施設があるが、当時は交番の民間委託など、日本には存在していなかった。

『ア太郎』に登場する際の目ん玉つながりは、時折、届けられる落とし物を着服し、生計を立てていることが、「警官の生活らくじゃない」(「週刊少年サンデー」70年1号)というエピソード内にて明かされている。

そのため、普段は民間人に威張り散らしているにも拘わらず、落とし物を届けてくれた人間には、平身低頭のスタンスで対応するのだ。

現金一〇万円が届けられた時などは、交番を臨時休業にし、妻子を連れて、高級レストランに行き、ボーイの失笑をよそに、五目そばの大盛りを注文。おまけに不審に思ってやって来た警官を相手に、店内で銃撃戦に雪崩れ込むという暴挙までしでかしている。

民間人による個人経営の交番という、当時としては実に型破りであるこのアイデアは、赤塚のもとに、警視庁の公安部員が視察に訪れ、その時に散々嫌味を浴びせられたことに端を発し、生まれたものだと指摘されている。

後程、補足して言及するが、当時、東大全共闘ノンセクト・ラジカル・ニャロメ派なる新左翼勢力が、小規模ながら登場するなど、学生運動家の間で、ニャロメが革命における一種のアナロジーとして捉えられていた特殊な事例もあり、一時的ではあるが、フジオ・プロもまた、学生達の非合法活動を煽動しかねない反社会分子として、公安の監視下に置かれていたことがあったという。

それ以前にも、新進気鋭のパロディー漫画家で、後に赤塚のアシスタントとなる木崎しょう平が、先に述べた「新宿騒乱事件」の際、機動隊に向かって投石し、公務執行妨害により、逮捕、起訴された過去があり、そうしたことも要因の一つにあったと考えられよう。

視察に訪れた際、公安の刑事は、「先生、警察官をあんなにひどく描いてもらっては困ります。清く正しいのがお巡りさんなんだから…」と、赤塚に対し、釘を刺すような言葉を発したそうだが、その発言に違和感を覚えた赤塚は、それを逆手に取り、交番を個人経営する自称・警官の悪しき民間人なるキャラ設定を思い至ったのかも知れない。

余談だが、その後も赤塚は、とある作品で、赤軍派をテーマとしたエピソードを執筆した際、読む者に容共的であると、予断を生じさせかねない不適切な内容と目されたせいか、公安のブラックリストにその名を記されたことがあった。

ある時、戸塚警察署の職員が、毎日のようにフジオ・プロに訪れては、赤塚やスタッフの顔写真を撮ってゆくのだという。

その時の状況を、赤塚はこう振り返る。

「ぼくはそういう状態をも面白がる習性があるので、毎日やって来る刑事に、いったい何の容疑ですかっ、と聞いたら、「ダッカ事件」の黒幕にマスク姿の男がいて、それがぼくではないかというのだ。

~中略~

毎日、マンガの〆切に追われている男がダッカくんだりまでいって、ドンパチ、カクメイをして来るとでも思ったのだろうか。これには筋金入りの面白至上主義者であるぼくもまいってしまった。日本の警察って、何と想像力が豊かなのだろう。」

(『変態しながら生きてみないか』PHP研究所、84年)

アンチ・エスタブリッシュメントを標榜しつつも、あくまでナンセンスに徹した非生産性を存立基盤に持つ赤塚漫画と、武力闘争による政治革命を目指す日本赤軍のイデオロギーにおける、思想上の一致点が皆無であることは一目瞭然であり、世界随一の警察力を誇ると言われる日本の公安部が、そのような判別能力しか持ち得ていないとは、成る程、如何ともし難い話だ。