『バカボン』には、目ん玉つながりの他にも、劇中、実に多くの警察官が顔を出している。
噺家志望だったものの、何の因果か警察官となってしまい、当たり前のように職務放棄を繰り返すタイホ亭こん坊(「テケテケテンのおまわりさん」/73年14号)、先祖代々警官稼業という由緒正しき家柄でありながらも、何代にも渡ってでかいツラをし続けていたため、その呪いからか、通常の五倍はあるであろう、巨顔となって生を受けた広岡巡査(「ヒロカオさんのおまわりさんなのだ」/73年32号)等、いずれも特異なパーソナリティーを放つ、生半ではない官憲どもだ。
タイホ亭こん坊は、目ん玉つながりが捕まえてきた凶悪犯を持ち前の話術で、関わった犯行の全てを自供させるが、凶悪犯から体良く扱われたことで、すっかり上機嫌となり、挙げ句の果てには、その凶悪犯をそっくり逃がすといった大失態を犯してしまう。
犯人の代わりに、留置所にぶち込まれたこん坊は、「おまわりのくせに牢屋にはいるとは おちぶれたもんだなあ‼」という、目ん玉つながりの辛辣な皮肉に対し、こう切り返す。
「いえ これでいいんです だってあたしは人生のラクゴ者だから‼ へい おあとがよろしいようで‼」
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その余りの顔のデカさから、赴任して来た交番にすら入れない広岡巡査は、先輩である目ん玉つながりの発案で、顔が小さくなるよう絶食させられるが、身体はみるみるうちに痩せ細ってゆくものの、顔たけは一向にスリムにならない。
それもそのはず、この広岡巡査、時の首相・田中角栄やアメリカのニクソン大統領と親交が深く、当時人気絶頂のアイドルだった浅田美代子とも、兄弟のようにしているという顔の広さなのだ。
だが、こんなぬりかべのような風貌のため、民間人が恐れおののき、逃げ出してしまう。
警察官を続けてゆく自信をすっかり失ってしまった広岡は、遊園地のお化け屋敷にでも転職しようかと考えるが、目ん玉つながりのふとした提案によって、転職を思い留まる。
広岡は、左耳にチョークの入った缶を紐で結び、もう一方の右耳には、黒板消しを同じく紐でぶら下げる。
そして、小さな看板を傍らに置き、そこに次のような文言を記した。
「でんごんばん どなたでもどうぞ」
広岡巡査の頬や額には、「ジャンソーで先にやっちょるぞ‼ あだち」「田中さんへ 3時間待ちました ダラシのない人はキライ サヨウナラ‼ A子」といった伝言がビッシリ書き込まれていた。
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このように、『バカボン』ワールドに登場する警官は、尾籠の笑いという観点に即すれば、もってこいの傑物揃いと言えようが、中でも、差し迫って読者に強烈な印象を残すであろうキャラクターが、「ポリ公ニューフェースなのだ」(72年32号)で衝撃のデビューを飾った、繋がり眉毛のお下劣巡査であろう。
このお下劣巡査は、目ん玉つながり以上に、人間として品性に乏しく、初登場のコマからして、いきなり「なにかよ こうパーッと事件でもありゃいいんだよな‼」「一家みな殺しとかよう‼」などと、警察官にあるまじき発言を連発し、暑さ凌ぎに、連合赤軍が行った総括紛いの凶行までしたいと宣う始末なのだ。
パパが交番の前を通り掛かると、勤務中であるにも拘わらず、中に呼び込み、下着ドロの被害者である女性をナンパした話を得意気に語り出す。
おまけに、その被害女性とキスした時、彼女の歯に昼間食べた冷やしそばの食い粕が残っていたという、聞くのも憚るえげつないことまで、身振り手振りで話し、途中で自分の話に興奮したのか、全裸になってピストルまでぶっ放し、流石のパパをもゲンナリさせてしまうのだ。
その後、立ち去ったパパと入れ替わりで、コソドロが交番にやって来る。
女子大生の部屋からギターとレコードを盗み、自首してきたのだ。
お下劣巡査は、事情聴取していた際、コソドロから、その女子大生がスリップ一枚で昼寝していたという猥談紛いの話を聞き、途端、テンションがマックスになる。
そして、自身の制服とコソドロの衣服を交換させると、職務を投げ出し、女子大生を覗きに出掛けるのであった。
このお下劣巡査は、十二話後の「交番取調べ日記なのだ」(72年45号)でもフィーチャーされ、この時もまた、やりたい放題し放題の職権乱用を働く。
女に飢えているのは、相も変わらずで、この続編では、逮捕した強盗犯の妹が美人だという与太話を鵜呑みにし、妹を紹介することを条件に、強盗犯を釈放してしまうのだ。
こうした粗暴且つ職務怠慢という警官像は、後に『こちら葛飾区亀有公園前派出所』(秋本治)の主人公・両津勘吉にも引き継がれる。
『バカボン』以降も、赤塚は様々な連載作品で、ニュータイプの警官を続々と登場させるが、このお下劣巡査や目ん玉つながりを上回るインパクトを持ち得たキャラクターが生まれることはなかった。
その原因の一端を、赤塚の次のような発言から、見て取ることが出来る。
「お巡りさんを登場させたのは、チャップリンの例にならって大衆に最も近いところで、体制の悪さを表現してくれることに期待したわけだ。
~中略~
しかし、ぼくのまんが以上に凶悪な警官が現実に(名和註・現実の世界において)次から次へと出てくるので、目ん玉つながりのお巡りさんの迫力も失せてくる、いい迷惑だ。」
(『まんが劇画ゼミ1』集英社、79年)
警察官も所詮は人の子である。
だからといって、公共の安全と秩序維持のため、自らが模範を市民に示し、自己の研鑽に邁進するという、警察責務の根源的な理念を、忘れていい理屈にはならない。
目ん玉つながり然り、お下劣巡査然り、タイホ亭こん坊然り……。彼らは、笑いという特定のフィクショナルな概念においてのみ、その存在が許されるのだ。