こうして、大人向け漫画にも、積極果敢に取り組み、数々の傑作をものにしてゆく赤塚だったが、東海林さだおが言うところの、何となくマンガ、マンガした、頬の筋肉が緩む、あくまで児童漫画然としたタッチでは、大人漫画独特の枯れた味わいを表出することが難しく、赤塚自身、画風をどう変えてゆくか、相当悩んでいたという。
そこで思い至ったのが、古谷三敏による代筆だった。
赤塚は、古谷の持ち味である軽やかな描線が大層気に入っており、渋みを帯びた大人漫画の世界観を創出してゆくには、申し分ないタッチだと判断したのだろう。
そして、前述の「怪僧ケツプーチンなのだ」を最後に『天才バカボンのおやじ』は、下絵の段階から、古谷が執筆を受け持ち、本シリーズに限り、赤塚の作業箇所は、アイデア出しとネーム入れまでとなったのだ。
作画・古谷によるコラボレーションは、執筆へと至る背景も含め、この前年(1968年)、同じく「週刊漫画サンデー」誌上に、原作・赤塚/作画・高井研一郎のユニットで描かれた『なんでもヤリます』から繋がる、そのエクステンションと捉えて差し支えないだろう。
ただし、その免罪符として、古谷の単独作品のアイデア出し、ネーム、下絵に至るまで、赤塚が受け持つなど、古谷が代筆しやすい基盤を、赤塚なりに整えてはいたようだ。
その後、第八話「わしはデートの万国博士なのだ」(70年4月15日号)から、全二六話中、第二二話となる「みんなみんな愛しちゃうのだ」(71年5月15日号)に至るまで、原作・赤塚、作画・古谷というコンビで執筆し、従来の赤塚漫画とは明確な差異を有する、新たなビジュアルイメージを浸透させてゆく。
『天才バカボンのおやじ』は、古谷の誠実なフォローも奏効し、概ね好評を博すことになり、連載終了以降も、引き続き、1972年7月1日号と、73年1月27日号の「漫画サンデー」に暫しのインターバルを挟んで執筆され、次章にて詳しく論述する「まんが№1」誌上においても、『天才バカボンのパパ』とタイトルを改題し、二話連続でシリーズ化される。
尚、イレギュラー執筆されたこれらの四本の作品は、第一話から八話、第二三話から最終話(第二六話)と同じく、古谷による代筆ではなく、再び赤塚の筆によって描かれたもので、いずれも、パッケージ(絵柄)も含めた純然たる赤塚漫画としての訴求力を放つと同時に、熱量の高いエナジーをそのドラマ構造に埋伏させた、ファン必読のエピソードとなった。
原作・赤塚/作画・古谷によるコラボレートは、座頭市のパロディーで、盲目のチビ太が亡き父の敵討ちの旅へと向かう『カタキウチでやんす』(「ビッグコミック」70年2月25日号)、かつて実在した新宿角筈三丁目交番を舞台に、無能警察官の飽くなき奮闘を過激に戯画化した『ダメなおまわりさん』(「サンデー毎日増刊 劇画&マンガ 第2集」70年5月9日発行)等、心沸き立つアイロニーと不穏な退廃的ムードをアンチノミーとして捉えた痛烈無比のナンセンス掌編を、その後も高い確率で生み出してゆくのであった。