文化遺産としての赤塚不二夫論 今明かされる赤塚ワールドの全貌

赤塚不二夫を文化遺産として遺すべく、赤塚ワールド全般について論及したブログです。主著「赤塚不二夫大先生を読む」ほか多数。

「角い角い世界なのだ」に見る想念的実験と画一化した世界へのアフォリズム

2021-05-19 13:05:46 | 第5章

こうした想念的実験をベースに踏まえたシミュレーションは、この世に存在する森羅万象全ての「丸」が「角」へと変貌してしまったバーチャルな物語を、不条理劇のような寸劇スタイルで規範化した「角い角い世界なのだ」(73年13号)でも融通し、用いられている。

「ガリレオ・ガリレイは「地球は四角い」という大発見をした‼」というモノローグから始まる本作は、吹き出しは勿論、背景の太陽や自転車、自動車のタイヤも四角く、ハタ坊の日の丸の旗も日の角になっており、本編の狂言廻しであるバカボンのパパもまた、パの字が◯であるため、バカボンのババに呼び名が変わっているといった、徹底したパラダイム転換を発想の原点に求めたイリュージョニズムが、そのフレームの中で確保されつつも、最後には、仮想と現実との間のズレが出し抜けに明示され、このドラマにおけるデフォルトを一気に覆してゆく。

「全てが画一化された四角四面の世の中じゃ、豊かな情緒も文化も生まれない」

これは、1980年代、とあるテレビ番組に、赤塚がゲスト出演した際、統一され、平準化した指導理念によって支配されつつあった学校教育の現場、延いては、あらゆる価値概念が均一化してゆく社会全般の意識の在り方に対し、冗談交じりに呟いた箴言の一つだそうだが、非生産性を成立根拠とするナンセンス漫画の特性を纏ったエピソードでありながらも、その根幹を支えるテーゼに、そうした赤塚らしい反骨のメッセージが込められているように思えてならないのは、私だけだろうか……。

また、「丸」を「角」に変換した言葉遊びも相変わらずの冴えを見せ、パパが読む新聞記事に書かれた見出しは、「田中角栄 〝角(円)切り上げ〟についてのべる」「西ドイツのカク(マル)クはどうなる」「東京 角(丸)の内の角(丸)ビルに金庫ドロ」「過激派学生革角(マル)派内ゲバで三人死亡」「ことしも火をふくか ジャイアンツ□(O)N砲」といった案配で、空飛ぶ円盤は空飛ぶ角盤へと挿げ替えられる。

そして、バカボンのパパは、その角盤に乗って、地球へと訪れた宇宙人と遭遇する。 

その宇宙人は、故郷である星で角(核)戦争が勃発し、それを角(丸)く収めたご褒美として、地球旅行をプレゼントされたとパパに語るのだった。

宇宙人は、日活ロマンポルノの「大奥カク秘(□の中に秘と表記)物語」を観たいとパパに懇願するものの、パパに「だめだめ‼あれは成人映画なのだ‼」とたしなめられる。

その後も負けじと、宇宙人が「ぼくは星人だから 成人映画を見てもいいんだ‼」と反論するなど、駄洒落によるお約束のやり取りも、高いディメンションによって紡がれており、そのネームの練達ぶりは、このような言語反復からも窺い知ることが出来よう。

ところで、本エピソードに登場する宇宙人が観たいと語る実際の『大奥㊙物語』の配給は、日活ではなく東映で、公開年も1967年と、時期的にもずれている。

本作が発表された時期から察するに、この「大奥カク秘物語」は、小川節子主演による日活ロマンポルノ映画『㊙大奥外伝 尼寺淫の門』(監督/藤井克彦)のことを指しているのではないだろうか……。