エピソード内の全ての台詞をキャ行に変換し、展開してゆく「キェンキャイキャキャキョン」(72年17号)は、言語の解体と遊戯化を融合せしめた数ある『バカボン』ワールドにおいても、ナンセンスに隣接したSF的寓意が、読者の思考の盲点を突く、メタフィジカルなデペイズマン的構造を包含した好事例として、是非とも刮目して欲しい一作だ。
「キャキャキュキャキュキャオ キュキャオキュロ」(赤塚不二夫とフジオ・プロ)と変換された執筆者名からも分かるように、読者が意味を判読し得るギリギリのラインで、キャキャ語へと置き換えられたこの作品は、ある朝、パパが目覚めると、バカボンの左手人差し指が人面疽状になっており、その指が腹話術人形のように、「キュキャヨウ‼」(おはよう‼)と挨拶するところから始まる。
その後も、「キャウハ キェンキ イイキョ」(今日は天気いいよ)と、パパに話し掛けるバカボンだったが、パパはさっぱりその意味が解らない。
外に出ると、レレレのおじさんから「キョレキャケキェスカ?」(おでかけですか?)と挨拶され、目ん玉つながりからは「キュラ‼ キャイホキュルキョ」(こら‼ 逮捕するぞ)と怒鳴られる。
そう、みんな、人面疽を持って、キャキャ語を話すのだ。
商店街に繰り出すと、街中の看板も全てキャキャ語にすり替わっている。
「キャキンコ」(パチンコ)、「キャッポロキャーメン」(サッポロラーメン)、「キャムラキャン」(木村パン)といった具合だ。
また、電話帳を開くと、記載されている電話番号までが、数字ではなく、キャキャ語変換されていたり、テレビを点ければ、落語家のキャツラキャンシ(桂三枝)が、「エー キャイド キャパキャパシイ オキャナシヲ キョーシキャゲキャス」(えー、毎度馬鹿馬鹿しいお話を申し上げます)と前口上を述べていたりと、キャキャ語は、更に大量なウェイトを伴い、あらゆる媒体を通し、パパに迫り来る。
パパは一刻も早くキャキャ語を理解し、その言語世界に同化しようと、人差し指をハンマーで叩き、人面疽を作ろうと試みるが、結局指が膨れ上がっただけだった。
だが、努力の甲斐もあり、いつしか、パパはキャキャ語を喋れるようになる。
「キョレデキャイノダ」(これでいいのだ)と、安心して眠りに付くパパだったが、ドラマは思わぬ急展開によって決着を見る。
流動する秩序に過剰な波動を引き起こす、恐るべき仮構的世界。まさにそこは、精神の原風景にさえ、不合理な非体系化をもたらす無の領域と例えて憚らないだろう。
だが、その超展開的な不条理性感度は、超越論的次元へとループする非現実の合理性がラディカルなまでに、指し示されているが故、発想の初期段階より、ナンセンス漫画固有の虚構的概念が既に覚醒状態にあり、恰もパラノイア的夢想空間に足を踏み入れたかのような、ヘテロドックスなトリップ感覚を読者に植え付けて余りある、強固なファクターになり得ているのだ。
*
このような誇張を極限までに推し進めた言語遊戯を本作のテーマに据えた赤塚の脳構造は、一体どうなっているのか……。
長谷邦夫は、本作が執筆された背景に、赤塚が古くからの映画マニアであったことを一つの仮説として挙げている。
その上で、自著(『天才バカ本なのだ‼』)の中で、長谷は、本作を描く上でのヒントになった作品こそ、シドニー・ギリアット監督による1950年公開のイギリス映画『絶壁の彼方に』(主演/ダグラス・フェアバンクス・Jr.)ではないかと推論した。
『絶壁の彼方に』は、東西冷戦の真っ只中にあった時代に、西欧諸国が脅威に感じていた架空の東欧小国・ヴォスニアで、それまでの研究成果が高い評価を受け、表彰されることとなったアメリカの天才ドクターが、この地に訪れたことによって巻き込まれるトラブルを、緩急自在の劇構成を基軸にサスペンスフルに切り取った、1950年代のイギリスを代表する活劇映画の一本だ。
この作品、架空の国を舞台設定としているため、そこで使われる言語も、世界中の誰もが聞いたことのないヴォスニア語が考案され、劇中、飛び交うという実に凝った演出が施されているのだ。
何しろ、このヴォスニア語、シドニー・ギリアットのオファーを受けた複数の言語学者によって、チェコスロバキア、エストニア、フィンランド、ハンガリーの各国語をベースに創作されたもので、本編中、バーの看板や切手、新聞から書物に至る全ての小道具においても、使用されるといった徹底ぶりだ。
全く言葉の通じない国に、一人閉ざされた恐怖……。
成る程、言語的寓意を強めた「キェンキャイキャキャキョン」のその世界観とも、軌を一にしていると言えなくもない。
実際、筆者(名和)も名画座巡りを趣味としていた学生時代、この『絶壁の彼方に』をスクリーンで初めて鑑賞し、真っ先に思い浮かんだのが、本作「キェンキャイキャキャキョン」だった。
また、『絶壁の彼方に』の脚本を担当したフランク・ローンダーとシドニー・ギリアットの二人は、本作を発表する以前、アルフレッド・ヒッチコック監督にとってのイギリス時代の代表作『バルカン超特急』(主演/マーガレット・ロックウッド)のシナリオも共同執筆しており、バンドリカという仮想国を舞台にした物語を、この時既に創出していた。
ヒッチコック作品の大ファンであった赤塚が、そうした守備範囲の関係から『絶壁の彼方に』を観て、その特異なシチュエーションに、視覚的なインパクトを受けたであろうことは想像に難くない。
今となっては、状況証拠を元にした検証でしか語ることが出来ないが、そうした赤塚の嗜好を照らし合わせたうえでも、この長谷の推論が的外れであることはなさそうだ。