週刊誌連載では、終焉期を迎えることとなる第四期『バカボン』は、毎週5ページという限られたスペースの中に、ドラマをコンパクトに凝縮したギャグ漫画版ショートショートといった体裁のシリーズであるが、短いページ数ながらも、多種多彩な『バカボン』ワールドの全体像を包括的に捉えた好企画で、赤塚らしい先鋭的表現の領域を歩んだ挿話も少なくない。
パパがたい焼きで巨万の富を得た先輩の大邸宅に遊びに行く「億万長者の家をご訪問なのだ」(76年14号)は、パパが先輩の邸宅の庭番に、「ご主人にバカボンのパパがきたとつたえてください」と伝える、何の変哲もない平凡な導入部から始まる。
だが、庭番が女中に「女中さん バカボンファーザーがきました」と耳打ちしてから一転、女中は女中頭に「バカファーザーがおこしになりました‼」と告げ、ドラマはおかしな流れへと変転してゆく。
女中からその言葉を受けた女中頭は、執事に「バカファーザーがおころしにきました‼」と緊迫した面持ちで報告する。
大慌ての執事は、執事長に「バカファーザーが殺しにきました‼」と伝えるなど、伝言内容は、更にエスカレートし、秘書室長の耳に入った時は、「ゴッドファーザーがご主人を殺しに‼」に変わり、その言葉は夫人を経由し、殺人予告として、先輩の耳に入る。
怒った先輩は、「よーし こっちこそ やつのドテッぱらに風穴をあけてやれ‼」と夫人に伝える。
その言葉は、秘書室長に「ようし こっちこそ風穴をあけてやるのよ‼」と伝言され、今度は「「ようこそ」と風穴をあけるんだ‼」と執事長に伝えられる。
そして、執事長から「ようこそだ‼風穴をとおすんだ‼」と報告を受けた執事は、女中頭に「ようこそきたなと風穴をとおせ‼」と託け、そのメッセージは「ようこそきたなととおすのよ‼」と歪曲され、女中へと取り次がれる。
最後に女中から「ようこそおいでくださいましたとおとおしするのよ」と耳打ちされた庭番が、「ようこそおいでくださいました‼どうぞ‼ ご主人がおまちです」と、より丁寧な言葉をパパに告げ、邸宅へと案内する。
テーマから大きく外れつつも、最後には、再び同一のテーマへと帰納する循環と反復の相互浸透を違和感のない笑いへと置換してゆく作劇上のテクニックが、既成のギャグ漫画の表出水準を上回る精度を殊の外際立たせており、通常の赤塚ナンセンスの発展形としての刻印を明瞭化せしめている。
針小棒大を主題に、現代人の頽落ぶりを炙り出したファルスは数あれど、これほど簡潔で、またアイロニーに満ちた類型提示は見たことがなく、地味ながらも、本作に注がれたそのエスプリットは至りて絶妙だ。
「アレをのみたいのだ」(76年26号)は、アレを飲みたい、飲みたいと渇望するバカ大の後輩に、パパが困惑するエピソードで、結局何が飲みたいのか、分からないまま落ちを迎えるが、その落ちのコマを透かして見た瞬間、後輩の飲みたいものがそこに浮かび上がるという、漫画の方法論の拡大にも繋がる見事なトリックが仕組まれており、これまた、落ちが突発的なファンタジーへと帰結してゆく傑作だ。
書籍媒体ならではの特質をギャグへと組み換えたそのギミック性は、物語の予定調和さえも覆してゆく脱漫画的な浮遊感覚を強く滲ませており、読者に鮮烈な驚倒を指し示すであろうメソッドであることは間違いない。
こうした予期せぬ混乱と驚きを爼上に乗せ、書物という物質そのものの意味作用を弄ぶギャグは、この時既に、多方面に渡り展開していた。
バカボンのパパが、ドラマの本筋とは関係なく、今週限りで死んでしまうという寝耳に水のプロローグから始まる「神様と約束なのだ」(73年11号)は、漫画評論の分野において、語られる頻度こそないに等しいものの、掲載誌「少年マガジン」のカバーからいきなり『バカボン』が始まるといった、ビジュアル的訴求性を最大限に活かしたパフォーマンスを、この時披露しており、ギャグ師・赤塚の武勇伝の一端として、未だコアなファンの間で語り継がれている。