水月光庵[sui gakko an]

『高学歴ワーキングプア』著者 水月昭道 による運営
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大学を苦境に追いこむ、自ら作った身分制度

2010年07月14日 | 庵主のつぶやき
このところのワールドカップや大相撲賭博、参院選など大きな出来事の陰に隠れ、私たち研究に携わるものにとって、大事なニュースが少し軽く扱われていたかもしれない。

2010年7月8日の産経ニュースの見出しにもう一度注目してみたい。
文科省SOS 運営費交付金など削減なら「阪大・九大消滅も」

6月に閣議決定した「財政運営戦略」によれば、今後3年の間は「基礎的財政収支対象経費」は前年度を上回らない方針だという。つまり、交付金はこれまでと同じかそれ以下しかもらえないわけだが、現実には水準維持は難しいらしい。社会保障関係経費が増えることで、しわ寄せがくるという理由からだ。

とばっちりにより、どの程度の予算の減額になるかを文科省が試算した。すると、削減額は約927億円。その影響を規模に表すと冒頭の九大・阪大消滅、となるそうだ。

すでに、国立大学法人32大学理学部長会議が緊急声明を発表し、「予算削減は、国の将来を担う人材育成の上からも、あるいは科学技術立国の観点からも悪影響をもたらし、我が国の繁栄を阻害する」と危機感をにじませている。

しかし、結論から言えば、こうした大学側の危機感は、政府にも国民にもあまり伝わらないだろう。

一つには、我が国には大学が多すぎる、そんなイメージも関係するかもしれない。
国公立と私立をあわせると、設置数は750校あまりにものぼる。
小さな国のなかにこれほどの数の高等教育機関があることには驚くばかりである。
「(全体として)少し減ってもしょうがない」、そんな声が国民の胸の内に湧いてきても不思議ではない。私大の半数は、もう定員割れをしている現実もある。

地方国立大学の存在感や存在意義に対する視点も無視できない。
はっきりいって、これらの大学が社会に対してどんな役割を果たしているかは、多くの国民にはほとんど見えていないはずだ。

これまで、大学側が自己について外に語りかけることをほとんどしてこなかったこともあろうが、象牙の塔と揶揄される時代を長く経てもなお、未だ市民に開かれた場所と言われるまでにはなりえていないこととも関係しているだろう。

塀の向こう側で何が行われているのかを、市民は知る術も近づくルートも持たないのである。独立行政法人化以降の業績主義の流れがそれを更に悪化させている。

かつてであれば、日も暮れれば大学近くにある居酒屋の類は教員や学生で大賑わいであったはずだが、いまやこうしたお店はどんどんと元気を失いつつある。
教員たちが、忙しくなりすぎて飲みに行く時間すらも失いつつあるからだ。いつも一緒に連れてこられていた学生も必然的に激減する。

だが、飲み屋に大学人が集まらないという事態は、お店だけの問題では終わらないのだ。アルコールが入れば、そこでさまざまな交流だってあったはずで、市民と大学人とを結びつける役割は、実はこうしたお店が担っていたはずなのだ。それも急速に失われているということだ。これも、大学に交付する助成金を減らし、必要以上に過当な競争と人件費のコストダウンを強いる政策の副作用である。専任教員は、進めたい研究にも満足に時間がさけず、校務などの雑用ばかりに搦め捕られている。

事態の打開には、大学にいる人たちが一致団結して外に苦境を語っていくことが大事だろうが、そこにも大きな壁がそびえ立っている。

人件費コストの削減は、正規雇用者の新規採用を極端に抑制し、非正規雇用者を急増させたからだ。現在、正規の教員は概ね17万8000人程度。そのうち、教授や准教授といったある年代(概ね40代)以上がつくポストは約6割にものぼる。だから、大学内にあまり若手の専任教員はいない。

だが、人手は足りないから、そのままにしてはおくわけにもいかない。そこは非正規雇用でまかなうしかない、という理屈が立てられる。そういうわけで、若手を中心に、教育・研究に携わる非正規先生や非正規研究者が急増している。その数、現時点でも4万2000人といわれる。

内部に目を移せば、教員間格差も酷くなっている。若手がたとえ新規に正規雇用されたとしても、上の世代の給与水準なみにはもらえない大学が増えている。当然、地位も昔にくらべて上がりにくいといったことも珍しくなくなりはじめた。大学の教員になっても、かなりの間、平が続くというわけだ。

だが、その下には、正規で所属できない人も多数いる。こうした格差が、大学内に現代の身分制度とでも呼べそうな階層社会を作り出している。互いの間には不信感が蔓延しがちなので、それぞれが立場を超えて手を結ぼうなどという意識は形成されにくい。

32大学理学部長会議が声明を出すことに異議を唱えるつもりは全くない。それどころか、素晴らしい取り組みだと注目している。ただ、声明のなかで触れられた「若手人材育成」などについては、当事者たちが理解しあえるような仕組み作りや支え合いこそがまずは急がれるのではないだろうか。

「自分たちは使い捨てにされている」と感じている若手の研究者や教育者は少なくない。そうした内部の声とどう付き合っていくのかを表明することが、(大学の)苦境打開には、遠いように見えて実は近道なのではないだろうか。


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