水月光庵[sui gakko an]

『高学歴ワーキングプア』著者 水月昭道 による運営
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第三話:欠けた満月が心に宿るとき

2010年07月17日 | 庵主のつぶやき

□□09月16日までの限定でお届けします(毎週土曜日+α更新)□□
これは、私がまだ大学院生だった頃、日々のストレスのはけ口として、当時運営していたHP上で綴っていたものです。データを整理していたら、たまたま出てきたため、再活用できないかと検討してみました。

見直してみると文章の荒さが目立ちましたが、一般の人たちに、我が国の大学院の現状を知ってもらうには、もしかすると、こういうテキストのほうが楽しんでもらえるのかもしれない、と思った次第です。そんな訳で「恥をさらしてみるか」と腹をくくってみました。テキストには手直しを入れ、少しはマシにしてみたつもりです。

今月発売予定だった『ホームレス博士(仮)』(光文社新書)が9月16日にずれ込んだこともあり、お詫びの気持ちを込めまして、発売日までの二ヶ月間限定という形で恐縮ですが毎週土曜日に更新したいと思います。

では、さっそく、第一話から以下に復活。ご笑覧ください。
□□なお、この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには、いっさい関係ありません。□□


第三話:欠けた満月が心に宿るとき


---前回までのあらずじ ここから----------
せっかく大学院に入院したものの、待っていたのは金を払っての雑用ばかり。
気分をかえるために、かつての同級生と飲みに行ったシンジは、皆の成長ぶりに驚く。

その訳を考えると、大学院には民間にみられる新人研修のような人育てのシステムがないことに行き着いた。

自分だけが置いてけぼりをくらっているようで憂鬱になるシンジ。
---前回までのあらずじ ここまで----------


「タマキ、なんだが綺麗になったな。それにえらくしっかり者になってるし」
ほろ酔いの頭でかつての同級生を微妙に意識しながら、シンジは、飲み屋での思いもかけない展開にも少々戸惑っていました。

置いてけぼりをくらったような焦り。
「自分はどうなるんだろうか。もしかして、間違った進路選択をしてしまったのか?」

つまらない考えにとらわれていると、「そろそろ、お開きにしようか」とどこからともなく声が上がりました。

裾のすり切れたズボンから財布を取り出し、幹事のトモからの請求を待っていると「あ、シンジは学生だからいいわ」と右手を前にして遮られ、びっくりします。

「あ、いや、でも俺だけっていうのも悪いし」
「いいから、いいから。俺たちボーナスも一応出たしな」

何気ないこの一言がシンジの気持ちを重くするさらなる一撃となりました。

「そうだよな。皆はもう社会人だもんな。よく考えると俺だけ学生か・・」

この国で「大学院生」という役割を演じなければならない境遇の惨めさが急にこみ上げてきた瞬間でした。

「研究者を目指すっていうのは、こういうことなんかな。教授も同じ道をたどったのだろうか? 一体どんな気持ちだったんだろう」

指導教官など、修士課程に入りたてのシンジには、まるで想像もつかない雲の上の人なのですから、これは途方もない難題でした。頭のなかで、先生の人生についてなんとかパズルをくみ上げようとしましたが、どうにもうまくいきません。

もやもやとした気持ちを抱えているシンジの傍らで、トモが手際よく皆からお金を徴収していました。札束を自分の財布のなかにしまい込み、代わりに、クレジットカードを取り出しているところでした。

就職してすぐに作ったようです。
学生の身分では、カードを持つのも大変ですから、シンジはこの瞬間、またも不安定な自分の社会的立場を思い知らされるのです。

友達が余裕の表情で支払いをしてくれている側で、複雑な思いを抱えて様子を眺めるシンジ。内心ではちょっと嬉しく、「今月は文献買っちゃったから、金なかったんだよな。まじ、助かった」などと思っている小さな自分が同居していました。

でも片方では、負けを認めたくない気持ちもあったのです。
自らの心を守るべくシンジは自意識を肥大化させはじめていました。

自分は社会の発展に寄与するために研究の道を選んだのだ。
連中と同じように就職してたら、別に金に困る生活を送ることもなかったはずだが、選ばれし者の宿命だからまあ仕方がない。
「10年後には博士になって金も入っているだろうし、今日はありがたくゴチになっとくか」

惨めな気持ちに落ちることへのささやかな抵抗でしたが、なんとも悲しい限りとはこのことです。トモはなんとなくシンジの胸中を察知したようです。「将来出世するだろうから、そのときはおごってもらうからな」とメンツを立て、彼に笑顔を取り戻してあげながら店を後にしたのでした。

夜空には月が出ていました。しかし、どこか変に見えました。目に見えない程のわずかであっても、端っこが欠けた円には微妙な違和感を感じるものです。トモの後ろ姿を見送るシンジの笑みの裏には、そんな不完全な満月が宿っていたのでした。


つづく



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