*大学院に進学すると……
携帯電話が鳴り、画面を見ると、大学時代の同級生からだった。着信ボタンを押して耳にあてると、「動けない、助けてくれ」と弱々しい声がする。わけがわからず、とにかく場所を尋ねて探しにいくと、路上にそれらしき人物を見つけた。お腹の辺りを押さえて力なくうなだれている。近づき声をかけると、呟くような返事が一言、「ハラヘッタ」。抱きかかえてみて、その軽さに驚いた。彼は、たしか大学院に進学していたはずだが、どうしてこんなことになったのか。頭は混乱するばかりである。
事情を尋ねると、彼は恥ずかしそうに語った。修士課程を出た後、就職先が見つからず、パチンコ台の組み立て工場で〝高卒〟と偽り働いていたが、クビになった。会社の寮を追い出され、パチンコやスロットを旅打ちしながら町から町へと渡り歩いていたが、それも行き詰まり、「おまえのいるこの土地にたどり着いた」とのこと。
仕方がないと思い、一〇日ほど家に泊めていたが、家族の手前、いよいよそれ以上は難しくなってきた。心苦しかったが、意を決して、「出て行ってもらえないか」と頭を下げた。再び大きな鞄を背負った友の後ろ姿を見送るとき、涙が溢れたが、自分にはどうしようもなかった。
高学歴なのに貧困層に落ちていく、この数年、途切れることのない話の一つである。
続けてこんなのはどうだろうか。
キャリアアップを意図して大学院に進学したのに、修了後は仕事がどこにも見つからず、フリーターをする羽目に陥った。
「君は優秀な研究者になる可能性がある」と大学院進学を強く勧められ、博士課程にまで引っ張られた。だが、博士号を取得したものの、一〇年経っても正規雇用がかなわない。大学院進学を勧めた教員は、「あなたの能力の問題ですよ」と捨て台詞をはき、自分だけ退職金をもらって、さっさと他大学に移っていた。
「弁護士」になるべく、鳴り物入りで発足した法科大学院の門を叩いたが、卒業を迎える頃、国は「事情が変わった」と突然言い出した。合格率七割という触れ込みだったのに、一回目ですら四割台に低迷。説明を求めると、全国にこの種の大学院が乱立したためであり、責任はないとの一点張り。
「こんなことなら、仕事を辞めるのではなかった。借金までして勉強しているのに、家族にどう説明すればよいのか。これでは国にだまされたようなものだ」
今、我が国で「大学院」に進学すると、こんなにも不条理な目に誰でも簡単にあえる。
*非正規の職でも「あればまだまし」
修士号や博士号などの立派な学位を取得しても仕事に就けず、住居喪失の危機にすら直面する「高学歴・ホームレス予備軍」はねずみ算式に増えるばかり。一九九一年に「大学院重点化」政策がスタートして以来、その総数は一〇万人に達したと言われる。
ネットカフェや路上は、冗談ではなく彼ら“超高学歴者”の極めてすぐ側まで迫っている。新聞でも警鐘が打ち鳴らされる(「高学歴ワーキングプア 博士の就職難 深刻 院生増加策も受け皿不足」西日本新聞、二〇〇九年八月一三日)。
正規雇用はまずなく、非正規の職でも「あればまだまし」。四十代・五十代の高齢化した職なし博士も珍しくなくなった。「高学歴ワーキングプア」とも呼ばれ、我が国で最も大きな社会問題の一つにも数えられている。
近く、その呼称はこう変化するはずだ。
「ホームレス博士」
我が国ではこの二〇年ほどの間に、政策により博士課程進学者が増やされたが、自ら生産したはずの博士を、政府はなぜか国のどこにも配置しない。作り上げてはただ捨てる。
人材廃棄場に捨て置かれる博士たちの胸の内は極めて複雑だ。
世間から「博士なのにね」と冷笑を浴びせられることに怯えつつ、それはもう避けられないだろうと、最下層への転落を覚悟している者も少なくない。いや、すでにどこかの街角に、一人目の「ホームレス博士」が出現している可能性は極めて高い。
しかし、不思議にも、問題の直接的現場である「大学」や監督省庁であるはずの「文部科学省」は、「自らに責任はない」というスタンスを崩さず、一向に、解決へと動く気配を見せない。むしろ、ひた隠しに隠そうとさえしている。たまに社会から非難の声があがっても、「個人の問題」として決して取り合わない。
それには一つの理由が考えられる。それがひとたび国民の知るところとなれば、彼らが細心の注意を払って構築してきたものを、すべて失いかねないからだ(後述)。
携帯電話が鳴り、画面を見ると、大学時代の同級生からだった。着信ボタンを押して耳にあてると、「動けない、助けてくれ」と弱々しい声がする。わけがわからず、とにかく場所を尋ねて探しにいくと、路上にそれらしき人物を見つけた。お腹の辺りを押さえて力なくうなだれている。近づき声をかけると、呟くような返事が一言、「ハラヘッタ」。抱きかかえてみて、その軽さに驚いた。彼は、たしか大学院に進学していたはずだが、どうしてこんなことになったのか。頭は混乱するばかりである。
事情を尋ねると、彼は恥ずかしそうに語った。修士課程を出た後、就職先が見つからず、パチンコ台の組み立て工場で〝高卒〟と偽り働いていたが、クビになった。会社の寮を追い出され、パチンコやスロットを旅打ちしながら町から町へと渡り歩いていたが、それも行き詰まり、「おまえのいるこの土地にたどり着いた」とのこと。
仕方がないと思い、一〇日ほど家に泊めていたが、家族の手前、いよいよそれ以上は難しくなってきた。心苦しかったが、意を決して、「出て行ってもらえないか」と頭を下げた。再び大きな鞄を背負った友の後ろ姿を見送るとき、涙が溢れたが、自分にはどうしようもなかった。
高学歴なのに貧困層に落ちていく、この数年、途切れることのない話の一つである。
続けてこんなのはどうだろうか。
キャリアアップを意図して大学院に進学したのに、修了後は仕事がどこにも見つからず、フリーターをする羽目に陥った。
「君は優秀な研究者になる可能性がある」と大学院進学を強く勧められ、博士課程にまで引っ張られた。だが、博士号を取得したものの、一〇年経っても正規雇用がかなわない。大学院進学を勧めた教員は、「あなたの能力の問題ですよ」と捨て台詞をはき、自分だけ退職金をもらって、さっさと他大学に移っていた。
「弁護士」になるべく、鳴り物入りで発足した法科大学院の門を叩いたが、卒業を迎える頃、国は「事情が変わった」と突然言い出した。合格率七割という触れ込みだったのに、一回目ですら四割台に低迷。説明を求めると、全国にこの種の大学院が乱立したためであり、責任はないとの一点張り。
「こんなことなら、仕事を辞めるのではなかった。借金までして勉強しているのに、家族にどう説明すればよいのか。これでは国にだまされたようなものだ」
今、我が国で「大学院」に進学すると、こんなにも不条理な目に誰でも簡単にあえる。
*非正規の職でも「あればまだまし」
修士号や博士号などの立派な学位を取得しても仕事に就けず、住居喪失の危機にすら直面する「高学歴・ホームレス予備軍」はねずみ算式に増えるばかり。一九九一年に「大学院重点化」政策がスタートして以来、その総数は一〇万人に達したと言われる。
ネットカフェや路上は、冗談ではなく彼ら“超高学歴者”の極めてすぐ側まで迫っている。新聞でも警鐘が打ち鳴らされる(「高学歴ワーキングプア 博士の就職難 深刻 院生増加策も受け皿不足」西日本新聞、二〇〇九年八月一三日)。
正規雇用はまずなく、非正規の職でも「あればまだまし」。四十代・五十代の高齢化した職なし博士も珍しくなくなった。「高学歴ワーキングプア」とも呼ばれ、我が国で最も大きな社会問題の一つにも数えられている。
近く、その呼称はこう変化するはずだ。
「ホームレス博士」
我が国ではこの二〇年ほどの間に、政策により博士課程進学者が増やされたが、自ら生産したはずの博士を、政府はなぜか国のどこにも配置しない。作り上げてはただ捨てる。
人材廃棄場に捨て置かれる博士たちの胸の内は極めて複雑だ。
世間から「博士なのにね」と冷笑を浴びせられることに怯えつつ、それはもう避けられないだろうと、最下層への転落を覚悟している者も少なくない。いや、すでにどこかの街角に、一人目の「ホームレス博士」が出現している可能性は極めて高い。
しかし、不思議にも、問題の直接的現場である「大学」や監督省庁であるはずの「文部科学省」は、「自らに責任はない」というスタンスを崩さず、一向に、解決へと動く気配を見せない。むしろ、ひた隠しに隠そうとさえしている。たまに社会から非難の声があがっても、「個人の問題」として決して取り合わない。
それには一つの理由が考えられる。それがひとたび国民の知るところとなれば、彼らが細心の注意を払って構築してきたものを、すべて失いかねないからだ(後述)。
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