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2021年02月20日 | ★出来事★

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★八ッ場ダム本体着工へ★川原湯温泉

2012年09月26日 | ★出来事★
八ッ場ダム本体着工へ有識者会議 反対派を加え

八ッ場(やんば)ダム(群馬県長野原町)本体工事着工の条件である利根川水系の河川整備計画の策定に向け、国土交通省関東地方整備局は25日午前、計画について専門家の意見を聞く「利根川・江戸川有識者会議」を4年4カ月ぶりに開いた。民主党内の反対派がダムに批判的な有識者を議論の場に加えるよう求めて人選が難航していたが、ダム反対派を含む3人を新たに加えて開催を決めた。政府のダム建設再開方針から9カ月、本体工事着工に向けた動きを本格化させる。

有識者会議は従来の18人の委員に、大熊孝・新潟大名誉教授▽小池俊雄・東京大大学院教授▽関良基・拓殖大准教授--の3人が加わった。

この日は冒頭、関東地整が宮村忠・関東学院大名誉教授を座長とする旨の説明をしたところ、一部委員から異論が出され、多数決で宮村氏を選任した。また、関東地整は、利根川の治水対策の根拠となる「目標流量」を毎秒1万7000立方メートルとする案を提示、パブリックコメント結果を説明したが、「ダムありきの議論だ」との意見も出た。今後、有識者会議で具体的な治水対策や計画案の全体像を議論する。

河川整備計画は、今後20~30年の河川の整備目標と、ダムなどの個別事業を含む整備内容を定めたもの。利根川水系でも06年に関東地整が有識者会議を設置して検討を進めていたが、09年9月の民主党政権発足で八ッ場ダムをはじめ全国のダム事業見直しが始まり、策定は事実上ストップしていた。2年以上かけて検証を続けた政府は昨年12月にダム建設再開を表明。本体工事着工の条件として
(1)利根川水系の河川整備計画の策定
(2)ダム建設が中止された地域に対する生活再建支援法案の国会提出--を示し、同法案は3月に国会提出されている。
毎日新聞 9月25日(火)から。
写真は2011年11月21日撮影(写真1のみ2010年6月7日撮影)





















ダム建設事業再開決定

2011年9月13日、国土交通省関東地方整備局は利根川流域6都県の知事らとの事業の検証を進める検討会において、治水と利水の両面でダム建設が最も有利だとする評価結果を示したこの評価結果に対して、民主党の前原誠司政調会長は自身が国土交通相時代に工事中止を宣言したが、国交省関東地方整備局が「建設が最も望ましい」とした検証結果を発表したことについて、記者会見で、「なぜこのタイミングなのか。事前説明もない。極めて不愉快だ」と述べ、不快感を表明した。
前原氏は「大臣(政権)が変わって10日もたたない時期に(検証結果を)出してくるのはどういうことなのか」と指摘。さらに「当時の大臣に事前に説明がないことも、極めて不愉快な思いだ」と述べた。

2011年11月、関東地方整備局事業評価監視委員会は学識経験を有する者の意見聴取、関係住民の意見聴取、パブリックコメントなどを行い、八ッ場ダム建設事業の検証に係る検討報告書[34]を作成。検討報告書の総合的な評価を以下のとおりである。

○検証対象ダムの総合的な評価

検証対象ダムの総合的な評価を以下に示す。

1 洪水調節、新規利水について、目的別の総合評価を行った結果、最も有利な案は現行計画案(八ッ場ダム案)である。

2 また、流水の正常な機能の維持の目的について、目的別の総合評価を行った結果、八ッ場ダムによる利水放流を考慮する場合に最も有利な案は現行計画案(八ッ場ダム案)であり、八ッ場ダムによる利水放流を考慮しない場合に最も有利な案は「ガイドライン案」である。

3 1及び2の結果を踏まえると、流水の正常な機能の維持の目的について、最も有利な案は現行計画案(八ッ場ダム案)である。

4 これらの結果を踏まえると、総合的な評価の結果としては、最も有利な案は現行計画案(八ッ場ダム案)であると評価した。

★天橋立の名木伐採★忍びないが…倒木恐れで伐採

2012年09月22日 | ★出来事★
忍びないが…天橋立の松の名木、倒木恐れで伐採

 日本三景・天橋立(京都府宮津市)にある松の名木「船越の松」(樹齢約650年、高さ24メートル)が衰え、倒れる恐れがあるとして京都府丹後土木事務所は20日、上部の枝を伐採する作業を始めた。

 天橋立の松並木(約8000本)で最も古い木。府は7年前から倒木防止用のワイヤで支えていたが、今年4月に樹木医が診断したところ、幹の空洞化や根腐れが進み、より抜本的な対策が必要と判明した。

 同事務所は、曲がった幹を下から支える柱2本を新たに設置。重量を軽くして安定性を高めるため、上部に広がっている枝を伐採することにした。

 同事務所の沢田政則管理室長は「昔から親しまれてきた松の枝を切るのは忍びないが、これで生きながらえてくれたら」と話した。
 日本三景・天橋立(京都府宮津市)にある松の名木「船越の松」(樹齢約650年、高さ24メートル)が衰え、倒れる恐れがあるとして京都府丹後土木事務所は20日、上部の枝を伐採する作業を始めた。読売新聞 9月21日(金)





















船越の松:天橋立の最長老、府土木事務所が補強 /京都

 宮津市の天橋立で5日、樹齢650年といわれる「船越の松」を補強する工事が始まった。根が空洞化して倒木の危険が高いため、支柱を入れて太い枝も切り落とす。天橋立を象徴する最古級の松。府は希望があれば落とした枝の活用も検討するという。

 05年にワイヤーで引っ張ったが傾きが止まらず、幹の亀裂が目立つ。樹木医は「相当危険な状態」と診断した。5日は府丹後土木事務所の職員らが、天橋立を抜ける府道をまたぐ形で2本の支柱を埋め込んだ。同事務所は「昔から親しまれた松なので切ってしまうのは忍びない。安全性を高め、できるだけ長く残せるようにしたい」としている。

 風で揺れると根本の負担が大きいので、19、20日には太い枝を切り落とす。通常は粉砕して処分するが、地元の団体や学校などで活用の声があれば応じるという。毎日新聞 2012年09月06日 地方版

写真1~3・天橋立
写真4~7・船越の松 昔からこの地を「船越」と称していることから命名された名松。 古名松
写真8~10・双龍の松 二頭の龍が天へ昇る様を表す様に立つ。 平成6年命名(平成16年台風により倒木)
何れも2009年6月21日撮影。

★釣り★アユ解禁…相模川に太公望続々

2012年06月01日 | ★出来事★
神奈川県の相模川で1日、アユ釣りが解禁された。中流域にある相模原市緑区では、地元や東京都内などから訪れた太公望約100人が夜明けから一斉に釣り糸を垂れた。

同県内水面試験場によると、今年は春先まで寒さが続いた影響で、アユの遡上(そじょう)は4月上旬と例年よりも半月近く遅れ、体長も12~15センチとやや小ぶりという。

約2時間で12センチのアユ2匹を釣り上げた同区南橋本の栗下豊広さん(70)は「動きが鈍く、今年はあまり良くない」と苦笑い。近くで友釣り用のおとりのアユを販売する笹野淳子さん(64)は「水温が上がれば育ちが良くなり、動きも活発になります」と話していた。【高橋和夫】
文・毎日新聞 6月1日(金)より。




















アユ(鮎)は、サケ目・アユ科に分類される魚。川と海を回遊する魚で、日本では代表的な川釣りの対象魚であり、重要な食用魚でもある。地方公共団体を象徴する魚として指定する自治体も多い。稚魚期を降海し過ごすアユ( Plecoglossus altivelis altivelis )は、琵琶湖産コアユと区別するため、海産アユとも呼ばれる。

かつてはキュウリウオ科として分類されていたが、Nelson(1994)は一種のみでアユ科・アユ属とする分類を提唱しており、統一見解は見出されていない。

特徴
成魚の全長は30cmに達するが、地域差や個体差があり、10cmほどで性成熟するものもいる。若魚は全身が灰緑色で背鰭が黒、胸びれの後方に大きな黄色の楕円形斑が一つある。秋に性成熟すると橙色と黒の婚姻色が発現する。口は大きく目の下まで裂けるが、唇は柔らかい。歯は丸く、櫛(くし)のような構造である。

北海道・朝鮮半島からベトナム北部まで東アジア一帯に分布し、天塩川が日本の分布北限。遺伝的に日本産海産アユは南北2つの群に分けられる。中国では、河川環境の悪化でその数は減少しているが、2004年に長江下流域でも稚魚が発見された報告があるなど、現在も鴨緑江はじめ、東部の各地に生息している。また、中国では浙江省などで放流や養殖実験が行われている。台湾でも中部の濁水渓以北で生息していたが、現在は絶滅が危惧されている。

生活史
アユの成魚は川で生活し、川で産卵するが、生活史の三分の一程度を占める仔稚魚期には海で生活する。このような回遊は「両側回遊」(りょうそくかいゆう)と呼ばれる。ただし、河口域の環境によっては、河口域にも仔稚魚の成育場が形成される場合もある。

9月-2月頃、親のアユは川の下流に降り、砂や小石の多い浅瀬で集団で産卵する。水温15℃から20℃で2週間ほどすると孵化する。孵化した仔魚はシロウオのように透明で、心臓やうきぶくろなどが透けて見える。

孵化後の仔魚は全長約6mmで卵黄嚢を持つ。海水耐性を備えているため仔魚は数日のうちに海あるいは河口域に流下し、そこでカイアシ類などのプランクトンを捕食して成長する。全長約10 mm程度から砂浜海岸や河口域の浅所に集まるが、この頃から既にスイカやキュウリに似た香りがある。この独特の香りは、アユの体内の不飽和脂肪酸が酵素によって分解された時の匂いであり、アユ体内の脂肪酸は餌飼料の影響を受けることから、育ち方によって香りが異なることになる。水質の綺麗な中流域では、夏季には鮎の密度が高いと、川原が鮎の芳香で満たされる事がある。一般的に水質が良い河川のアユはスイカの香りで、やや水質が落ちてくるとキュウリの香りとなってくることは友釣りをする釣り師の常識であるが、友釣りをしない人にはほとんど知られていない。

稚魚期には、プランクトンや小型水生昆虫、落下昆虫を捕食する。体長59~63mmになると鱗が全身に形成され稚魚は翌年4月-5月頃に5-10cm程度になり、川を遡上するが、この頃から体に色がつき、さらに歯の形が岩の上のケイソウ類を食べるのに適した櫛(くし)のような形に変化する。川の上流から中流域にたどり着いた幼魚は水生昆虫なども食べるが、石に付着するケイソウ類(バイオフィルム)を主食とするようになる。アユが岩石表面の藻類をこそげ取ると岩の上に紡錘形の独特の食べ痕が残り、これを特に「はみあと(食み跡)」という。アユを川辺から観察すると、藻類を食べるためにしばしば岩石に頭をこすりつけるような動作を行うので他の魚と区別できる。

多くの若魚は群れをつくるが、特に体が大きくなった何割かの若魚はえさの藻類が多い場所を独占して縄張りを作るようになる。縄張りは1尾のアユにつき約1m四方ほどで、この縄張り内に入った他の個体には体当たりなどの激しい攻撃を加える。この性質を利用してアユを掛けるのが「友釣り」で、釣り人たちが10m近い釣竿を静かに構えてアユを釣る姿は日本の夏の風物詩である。

夏の頃、若魚では灰緑色だった体色が、秋に性成熟すると「さびあゆ」と呼ばれる橙と黒の独特の婚姻色へ変化する。成魚は産卵のため下流域への降河を開始するが、この行動を示すものを指して「落ちあゆ」という呼称もある。産卵を終えたアユは1年間の短い一生を終えるが、柿田川などの一部の河川やダムの上流部では生き延びて越冬する個体もいる。

日本では、1987年にアユの冷水病が確認されている。

名前
香魚、年魚、アイ、アア、シロイオ、チョウセンバヤ(久留米市)、アイナゴ(幼魚・南紀)、ハイカラ(幼魚)、氷魚(幼魚)など、雅語的表現や地方名、成長段階による呼び分け等によって様々な別名がある。

アユの語源は、古語の「アユル」から来たものだとされている。アユルとは落ちるという意味で、川で成長したアユが産卵をひかえて川を下る様からつけられた呼び名である。

現在の「鮎」の字が当てられている由来は諸説あり、アユが一定の縄張りを独占する、つまり占めるところからつけられた字であるというものや、日本書紀にでてくる話に神功皇后が今後を占うために釣りをしたところ釣れた魚がアユであったため占魚とあてられたものがある。

古くは1年しか生きないことに由来する「年魚」、体表の粘膜に香りがあることから「香魚」、鱗が細かいことから「細鱗魚」などがあてられていた。アユという意味での漢字の鮎は奈良時代ごろから使われていたが、当時の鮎はナマズを指しており、記紀を含め殆どがアユを年魚と表記している。現在の鮎が一般的に書物などにあてられたのは平安時代・室町時代ごろからとされる。

中国で漢字の「鮎」は古代日本と同様ナマズを指しており、中国語では「香魚(シャンユー、xi?ngyu)」が標準名とされている。地方名では、山東省で「秋生魚」、「海胎魚」、福建省南部では「溪鰛」、台湾では「[魚桀]魚」(漢字2文字)、「國姓魚」とも呼ばれる。

ちなみに俳句の季語として「鮎」「鵜飼」はともに夏をあらわすが、春には「若鮎」、秋は「落ち鮎」、冬の季語は「氷魚(ひお、ひうお)」と、四季折々の季語に使用されている。

★金環日食★東京で173年ぶり

2012年05月21日 | ★出来事★
東京で173年ぶりの金環日食/東京

金環日食は、太陽と月と地球が一直線に並ぶことで太陽が細いリング状に輝く珍しい現象。日本で見られるのは1987年の沖縄以来25年ぶり、本州で見られるのは129年ぶり、東京で見られるのは173年ぶりとなる。

同地では7時40分頃から日食が始まり、およそ5分間ほどリング状の日食が確認できた。

次回の金環日食は18年後の2030年6月1日、北海道で観察できる見通し。東京で見られるのはおよそ300年後と予測されている。




























日食(本来の用字は日蝕)とは太陽が月によって覆われる現象である。朔の時に起こる。

種類

月の地球周回軌道および地球の公転軌道は楕円であるため、地上から見た太陽と月の視直径は常に変化する。月の視直径が太陽より大きく、太陽の全体が隠される場合を皆既日食(total eclipse)という。逆の場合は月の外側に太陽がはみ出して細い光輪状に見え、これを金環日食(または金環食。annular eclipse)と言う。

皆既日食と金環日食、および後述の金環皆既日食を中心食と称する。

中心食では本影と金環食影が地球上に落ちて西から東に移動しその範囲内で中心食が見られ、そこから外れた地域では半影に入り太陽が部分的に隠される部分日食(partial eclipse)が見られる。半影だけが地球にかかって、地上のどこからも部分食しか見られないこともある。

場合によっては月と太陽の視直径が食の経路の途中でまったく同じになるため、正午に中心食となる付近で皆既日食、経路の両端では金環日食になることがあり、これを金環皆既日食(hybrid eclipse)と呼ぶが、頻度は少ない。

また日の出の際に太陽が欠けた状態で上る場合を特に日出帯食、逆に欠けた状態で日の入りを迎える場合を日没帯食と呼ぶ。この場合、いずれも食の最大を迎える前と食の最大を過ぎた後に分類される。

観測

皆既日食の際、普段は光球の輝きに妨げられて見ることができないコロナや紅炎の観測が可能になり太陽の構造・物理的性質を調べる絶好の機会となり、太陽のみならず恒星一般の研究にも大きな役割を果たす。

月の表面にある起伏の谷間から太陽の光が点々と見える状態になることがある。これを、原理を解明したフランシス・ベイリーの名を取ってベイリー・ビーズ(ベイリーの数珠)といい、古くから月に起伏がある証拠とされてきた。

また太陽がすべて隠れる直前と直後(より正確には直後のみ:直前はリングにあたるコロナが見えないので)には太陽の光が一ヵ所だけ漏れ出て輝く瞬間があり、これをダイヤモンドリングと言う。

皆既日食が起こると空がかなり暗くなり星の観測も可能な状態になる。そのわずかな時間を利用して1919年、一般相対性理論の検証がアーサー・エディントンによって行なわれた。

皆既日食中に太陽周辺の星を観測すると、星からの光は太陽の重力場を通ってきて屈曲することになる。一般相対性理論で予想される方向と実際に観測された方向とを比較することで、一般相対性理論の確かさが確認された。

観測の時の注意点

日光には、有害な紫外線などが含まれるため、日光を肉眼で直接観測すると日食網膜症を引き起こし、網膜のやけどや後遺症、ひどい場合には失明を引き起こすことがある。すすのついたガラスや黒い下敷き、カラーネガフィルムによる遮光では不十分であり、日食グラスや遮光フィルターなどの専用の器具で観測しなければならない。その上で直射日光が目に入らないようにするために、一旦太陽に背を向けてグラスやフィルターを目に当ててから、太陽に向かって振り向くという動作をしなければならない。

上記のように適切な専用機器を使って正しい観測方法を行ったとしても、長時間の観測によって日食網膜症を引き起こすこともあり、1分観測するごとに2~3分程度の休憩を取ることがベストだとされており、市販されている日食グラスにもその旨の警告がなされている。

原因

太陽は黄道を1年で1周し、月は白道を約1か月で1周する。もし黄道と白道とが一致していれば朔(新月)には必ず日食が、望(満月)には必ず月食が起こることになる。しかし実際には黄道と白道とは約5度の傾きでずれているため、日食や月食が起こるのは太陽・月が黄道・白道の交わる点(月の昇交点・降交点)付近にいる時に限られる。

太陽が交点付近にいる期間を食の季節と言い、食はこの期間以外には起こらない。

食の季節は通常は年2回だが、3回ある年もある。これは交点が太陽の動く方向と逆向きに動いているためであり、その周期は約19年である。食の季節には日食が少なくとも1回、多い時には2回起こる。よって日食は年に2 - 4回は起きることになり、まれには5回起こる(1935年)。逆に、食の季節であっても月食は起きないこともある。

しかし日食は月の影に入った地域でしか観測できないため、地球全体で見れば日食は頻繁に起きていてもある地域に限定すると日食が観測されるのは少ないことになる。月食は月食が発生している時に月が見えていれば必ず観測できるので、一般には月食の方が頻繁に起きていると認識されていることが多い。

ある日食から18年と10日(閏年の配置によっては11日)と8時間たつと、経度にして120度西の地点でよく似たタイプの日食が起こることが知られている。この周期は「サロス周期」と呼ばれ、紀元前から日食の予想に使われていたといわれている。




★トピックス★今日、とうきょうスカイツリー駅除幕式

2012年04月20日 | ★出来事★
★トピックス★今日、とうきょうスカイツリー駅除幕式






とうきょうスカイツリー駅は、東京都墨田区押上一丁目にある東武鉄道伊勢崎線(東武スカイツリーライン)の駅である。前名称は業平橋駅(なりひらばしえき)。駅番号はTS 02。

旧貨物ヤードの跡地を中心に東京スカイツリーの建設を含めた再開発事業(東京スカイツリータウン)が行われており、東京スカイツリー開業を直前に控えた2012年(平成24年)3月17日に業平橋駅から改称した。

なお、地元の親しみやすさを維持するため、改称後は「旧業平橋」の名称も併記している。

築堤上に島式ホーム1面2線を有する地上駅。駅東方には留置線があり、特急形車両などの整備や通勤形車両の留置が行われている。

かつて、ラッシュ時に運行される10両編成の準急列車の折り返しや分割・併合をしやすくするために、当駅ホームを10両編成分の有効長を持つ2面4線に改築する計画があった。しかし、輸送量の減少や、押上駅の開業による半蔵門線・東急田園都市線への直通運転の開始などを理由に、計画は白紙となった。

2012年時点ではホームから東京スカイツリーを見学することができるが、東武鉄道ではLED式注意喚起装置や保安員の配置により、ホームから身を乗り出しての写真撮影などをしないように呼びかけている。

上述の駅名変更に合わせ、コンコースの拡幅や改札口の増設、エレベーターの移設・大型化などを含む駅のリニューアル工事を実施している。2011年8月11日にそれまで浅草寄りにあった改札口が少し東側へ移設し、さらに2012年2月11日からホーム中央に移設された。この改札口は、東京スカイツリータウン開業時に東京ソラマチと直結する予定である。なお、同年4月のリニューアル工事完成後は、浅草寄りの改札口も再設置される予定である(写真は4月20日午前10時、完成除幕式の様子)。

入学式

2012年04月10日 | ★出来事★


我が子の小学校入学式には、万難を排し出席された事と存じます。
中学・高校と成ると、都合が付けば出席すると言う様に変わるようです。
近年の都内の大学入学式には小学校以上に父兄の出席が増え、自校の講堂や体育館では狭くて収容しきれず日本武道館などで挙行する大学が増えました。

特に東京以外からの入学者の両親や兄弟姉妹に祖父母などが東京見物を兼ねて出席と言うケースが多い様です。
入学者一人に5~6人と言うもの珍しく有りません。春爛漫の4月9日北の丸公園をウオッチングしてみました。