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先日、おじいちゃんとおばあちゃんに会ってきました。
すごく久しぶりだったので、会った後は、会ってきて良かったと思いました。
今日は、私のおじいちゃんについて書きたいと思います。
私が生まれて物心つくころから住んでいた家には、お仏壇がある部屋があり、上の方を見渡すと賞状がたくさん飾られていました。
私が小さい時からずっと飾ってあるものなので、気にも留めずに毎日暮らしていました。
賞状がなんだかもわからない頃から、私がその部屋におじいちゃんと居合わせる度に、おじいちゃんは、その賞状について私に自慢話をしてきました。
私は小さかったので、おじいちゃんが何を言っているのかさっぱり分かりませんでした。
「あの部屋におじいちゃんと居合わせると、あの日で焼けた古い紙を自慢してきて、またよくわからない話が始まるので、あの部屋におじいちゃんがいる時に行くのは避けよう。」と少々疎ましくさえ思っていました。
小学校に上がったあたりで、賞状は、なにかすごいことをした人に贈られるすごい紙なのだという事が分かりました。
その時私はmおじいちゃんは、何かすごいことをした人なのかなと思いはしたものの、その程度で、あの部屋でおじいちゃんとい合わせると決まって話す自慢話がどうしても好きじゃなくて、自分から話を聞こうともしませんでした。
そんな幼かった頃から数十年が経ち・・・そのたくさんの賞状は、地域の防犯に貢献して公共団体や警察からおじいちゃんに贈られた賞状であることがわかりました。
戦争から帰って来たおじいちゃんは、ある会社の警備員として働いていたそうです。
仕事以外でも地元の防犯と安全のために危険を犯しながらも社会貢献をしていたそうです。
そんな生活の中でたくさんの賞状をもらっていたのです。その部屋には、飾りきれない賞状も実はお仏壇の部屋の棚にたくさんしまってあるそうです。
月日が経って、私は、その一枚一枚の賞状に込められた秘話を知りたくなりました。
しかしながら、知りたくなった頃には、既に時が遅いことが人生には往々にしてあることを私は、痛感しました。
私のおじいちゃんは、もう私の事もわからなくなってしまっているからです。
あの時、おじいちゃんのことを疎ましいと感じていた幼少の頃の自分を責めてもなにも始まりません。
私は、もうおじいちゃんと話すことが出来ないので、ただただ悔しいだけです。
あんなにたくさん時間を一緒に過ごしたのに、おじいちゃんの人生のことについてほぼ何も聞くことをしなかった自分は一体何をしていたのでしょうか。
先日おじいちゃんの寝顔を見ながらそんな風に思っていました。
おじいちゃんは、怒るととても怖かったけれど、普段は、とても優しくて私をいろいろな所に連れて行ってくれました。
特に印象深く心に刻まれているのは、春から夏にかけて田んぼや用水路に二人で出かけて行ってザリガニやフナなどの小魚を一緒にあみを持って取りにいったことです。ザリガニや魚を取るのが大好きだった私に、おじいちゃんは、いつもいろいろなわざを使って大量にそれらを取ってくれました。
一緒に出かける時もおじいちゃんがこぐママチャリの後ろについた子供用の座席に座った私は、おじいちゃんの背中を見ながらわくわくしながら田んぼに向かっていきました。
おじいちゃんは、体力があったので、自転車のスピードも他の家族がこぐスピードよりもはるかに速くて田んぼの中の道をどんどん進んでいきました。
おじいちゃんがこぐママチャリの後ろに乗って感じる風や、たんぼの匂いとかが今でも記憶の片隅に残っていて、あの時のことを思い出させてくれます。
あの時何気なかったおじいちゃんとの時間をここまで愛しく感じる私自身を思うと年を取ったのだと思います。
あの頃元気だったおじいちゃんには、もう会うことが出来ないのですが、今私自身の中にもおじいちゃんを感じることが出来る瞬間があります。
おじいちゃんは、地域の防犯を通して社会にたくさんの貢献をしていました。
私も全く違う角度ですが、何らかの形で社会に貢献したいと思って英会話サークルを主体に活動しています。
英会話サークルに燃えている時や、今後の展開を真剣に考えてどういうアクションが必要なのか考えている時、
おじいちゃんが地域の防犯を真剣に考えていたような思考と似たようなレベルの思考になっているのでないかと感じることがあるからです。
私が社会に貢献できる活動をしたいと思ったのは、そもそもおじいちゃんから来ているのではないかとすら感じています。
私の中におじいちゃんが生きていると感じる度に私はおじいちゃんの孫で良かったと思います。
私のルーツは、間違いなくおじいちゃんから来ています。
私は、おじいちゃんとじっくり話す機会を逃してしまって後悔していますが、
その後悔を今の自分の生活に生かしたいと思っています。
周りに感謝しながら、今を精いっぱい生きることがきっと今の私に必要な事なのだと思います。
当たり前のことは、当たり前だと思ってしまいがちですが、おじいちゃんとの経験を胸に生きて生きたいと思っています。
おじいちゃん、また会いに行きます。孫より。
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先日、おじいちゃんとおばあちゃんに会ってきました。
すごく久しぶりだったので、会った後は、会ってきて良かったと思いました。
今日は、私のおじいちゃんについて書きたいと思います。
私が生まれて物心つくころから住んでいた家には、お仏壇がある部屋があり、上の方を見渡すと賞状がたくさん飾られていました。
私が小さい時からずっと飾ってあるものなので、気にも留めずに毎日暮らしていました。
賞状がなんだかもわからない頃から、私がその部屋におじいちゃんと居合わせる度に、おじいちゃんは、その賞状について私に自慢話をしてきました。
私は小さかったので、おじいちゃんが何を言っているのかさっぱり分かりませんでした。
「あの部屋におじいちゃんと居合わせると、あの日で焼けた古い紙を自慢してきて、またよくわからない話が始まるので、あの部屋におじいちゃんがいる時に行くのは避けよう。」と少々疎ましくさえ思っていました。
小学校に上がったあたりで、賞状は、なにかすごいことをした人に贈られるすごい紙なのだという事が分かりました。
その時私はmおじいちゃんは、何かすごいことをした人なのかなと思いはしたものの、その程度で、あの部屋でおじいちゃんとい合わせると決まって話す自慢話がどうしても好きじゃなくて、自分から話を聞こうともしませんでした。
そんな幼かった頃から数十年が経ち・・・そのたくさんの賞状は、地域の防犯に貢献して公共団体や警察からおじいちゃんに贈られた賞状であることがわかりました。
戦争から帰って来たおじいちゃんは、ある会社の警備員として働いていたそうです。
仕事以外でも地元の防犯と安全のために危険を犯しながらも社会貢献をしていたそうです。
そんな生活の中でたくさんの賞状をもらっていたのです。その部屋には、飾りきれない賞状も実はお仏壇の部屋の棚にたくさんしまってあるそうです。
月日が経って、私は、その一枚一枚の賞状に込められた秘話を知りたくなりました。
しかしながら、知りたくなった頃には、既に時が遅いことが人生には往々にしてあることを私は、痛感しました。
私のおじいちゃんは、もう私の事もわからなくなってしまっているからです。
あの時、おじいちゃんのことを疎ましいと感じていた幼少の頃の自分を責めてもなにも始まりません。
私は、もうおじいちゃんと話すことが出来ないので、ただただ悔しいだけです。
あんなにたくさん時間を一緒に過ごしたのに、おじいちゃんの人生のことについてほぼ何も聞くことをしなかった自分は一体何をしていたのでしょうか。
先日おじいちゃんの寝顔を見ながらそんな風に思っていました。
おじいちゃんは、怒るととても怖かったけれど、普段は、とても優しくて私をいろいろな所に連れて行ってくれました。
特に印象深く心に刻まれているのは、春から夏にかけて田んぼや用水路に二人で出かけて行ってザリガニやフナなどの小魚を一緒にあみを持って取りにいったことです。ザリガニや魚を取るのが大好きだった私に、おじいちゃんは、いつもいろいろなわざを使って大量にそれらを取ってくれました。
一緒に出かける時もおじいちゃんがこぐママチャリの後ろについた子供用の座席に座った私は、おじいちゃんの背中を見ながらわくわくしながら田んぼに向かっていきました。
おじいちゃんは、体力があったので、自転車のスピードも他の家族がこぐスピードよりもはるかに速くて田んぼの中の道をどんどん進んでいきました。
おじいちゃんがこぐママチャリの後ろに乗って感じる風や、たんぼの匂いとかが今でも記憶の片隅に残っていて、あの時のことを思い出させてくれます。
あの時何気なかったおじいちゃんとの時間をここまで愛しく感じる私自身を思うと年を取ったのだと思います。
あの頃元気だったおじいちゃんには、もう会うことが出来ないのですが、今私自身の中にもおじいちゃんを感じることが出来る瞬間があります。
おじいちゃんは、地域の防犯を通して社会にたくさんの貢献をしていました。
私も全く違う角度ですが、何らかの形で社会に貢献したいと思って英会話サークルを主体に活動しています。
英会話サークルに燃えている時や、今後の展開を真剣に考えてどういうアクションが必要なのか考えている時、
おじいちゃんが地域の防犯を真剣に考えていたような思考と似たようなレベルの思考になっているのでないかと感じることがあるからです。
私が社会に貢献できる活動をしたいと思ったのは、そもそもおじいちゃんから来ているのではないかとすら感じています。
私の中におじいちゃんが生きていると感じる度に私はおじいちゃんの孫で良かったと思います。
私のルーツは、間違いなくおじいちゃんから来ています。
私は、おじいちゃんとじっくり話す機会を逃してしまって後悔していますが、
その後悔を今の自分の生活に生かしたいと思っています。
周りに感謝しながら、今を精いっぱい生きることがきっと今の私に必要な事なのだと思います。
当たり前のことは、当たり前だと思ってしまいがちですが、おじいちゃんとの経験を胸に生きて生きたいと思っています。
おじいちゃん、また会いに行きます。孫より。
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