本日9月20日は秋彼岸入りだそうです。そもそも彼岸とは仏教用語で、四苦八苦を経験するこの現世を此岸(しがん)とし、煩悩を解脱した涅槃(ねはん:安楽の世界)の理想の境地を言うそうです。なかなか宗教の言葉はありがたみを誇張するきらいもあり凡人には難解です。この時期に合わせて咲くヒガンバナ(曼珠沙華)が畑の土手に咲いていました。この状況の季節を著す言葉で「行合(ゆきあい)の稲」というそうです。昨日の夕方NHKの天気予報で解説していました。「去る季節と訪れる季節が一つの空で行合う頃」という意味だそうです。こちらはなかなか風流な言い回しです。
このヒガンバナを見るとつい口ずさむのは、「赤い花なら 曼珠沙華 阿蘭陀屋敷に 雨が降る・・・・」由利あけみさんと春日八郎さんの「長崎物語(ジャガタラお春)」ですが、小さいころに幾度となく耳にしたことがあります。なんで耳にいつまでも残っているのか、私の子守役だった大阪の姉ちゃんに電話しました。戦中の食料困難で今は亡き、従兄の「ソウイチ」という3歳の子がこの歌を歌うと、可愛いしぐさで上手に踊ったそうで、そのことを幾度となく聞かされ、耳に残っているのではということでした。叔父はわたしの名付け親でもあり、自分の家みたいに出入りしていて、家族の一員として聞いた謂れ(いわれ)因縁となっているのでしょう。ちょうどその時分私の兄「一清」も3歳で亡くなっています。電話の向こうで辛い時代を思い出し、姉ちゃんは涙ぐんでいます。歌を最後まで続けます。「濡れて泣いてる ジャガタラお春 未練な出船の ああ鐘が鳴る ララ鐘が鳴る」南無阿弥陀仏・・・・今日は「彼岸入り」、これまでのご縁や感謝を感じて、浄土世界の両親やご先祖と幾多の縁者の方たちのことをすこし考えてみます。
今日20日からは天気の悪い日が続くとのことで、秋晴れのチョウが元気よく舞う昨日、前回チヨット早かった落花生の収穫に出かけました。
夏の花ヒマワリにやってきたヒメアカタテハ
こちらは秋の秋桜にやってきたツマグロヒョウモンチョウ。ヒメアカタテハと羽の先の模様が微妙に違っています。
十日前に孫たちが持って植えたカライモ(さつまいも)も元気です。
カラスの悪戯から守っていたシートをはがします。
昨年は落花生の葉がほぼ枯れだしたころ収穫したのですが、茎から地中におろしたひげから離れた実に、カビができたりしていくつかだめになりました。今回は葉が枯れだす前で絶好の収穫タイミングでは・・・・
離れた実も少なくベストタイミングでした。
一休み、持参した水の補給です。
ひげから離れた実は次の世代を残そうと芽吹いています。
一休み、やはりわたしは畑仕事は嫌いなのか、喜びの収穫時とはいえすぐにバテてしまいます。
この畑で一番大きな株です。一株に20-30の実がついています。
あと鍬で5堀ほどですが・・・・あまりの暑さにまた一休み。
やっと終わりました。ここの畑にはマリーゴールドを大事に育てています。ほんとかどうかわかりませんが、害虫は日の花を嫌うそうです。毎年植えることなく、いろんなところに芽を出してくれます。
おかげさまの4Kgほどの収穫となりました。
小さな実は塩ゆで用に、ピンクのざるの大きな実は煎っていただきます。塩ゆではネットでは圧力釜利用のレシピが多いのですが、やはり少しの硬さもほしいので、大きな鍋で20分ほど湯掻きました。硬さと塩気もグッドですぐに冷凍保存しました。煎り豆用は何日間が天日で干した後、瓶に保存して食べる数だけ取り出しフライパンで煎ります。煎り豆は塩っ気がないのですが絶品です。
昨日の夕方ここ糸島二丈の農道で、タイのタクシー・トゥトゥクを見ました。昔ダイハツ「ミゼット」という軽の三輪自動車「オート三輪」がありましたが、このミゼットがタイなど海外へ渡り、現地のニーズに合わせてカスタマイズされたそうです。ネット情報だと日本では百数十万円で買えるそうです。窓もドアもない爽快スタイルでギンギラギンのボディー、レトロ感満載の車体ですが、後ろから見ているとサスペンション(路面からの衝撃や振動を吸収して車体を安定させる装置)のひどさで、くるまに弱い人はすぐ酔いそうです。
「こいから あめんひがつづっち ゆうもんやっで せしこっ だっきしょ ほいけ いんもんそ」
これから 雨の日が続く というので 急いで 落花生を 掘りに 行きましょう。