11月1日、お昼に突然の訃報。生き仏で6年間過ごした人がホントの仏になった。葬儀も済み帰宅してから自分の周りで母の気配を感じる。霊感の強い人ではないのに。まだ家族の周りを漂っているのだろう。生き仏の時に話せなかったこと、行けなかったところ、感じられなかったものたちを俯瞰していることだろう。あっけなく逝ってしまってから、因果のようなものを感じている。人の生き様が子々孫々まで繋がれて行くことを。
哀しみから悲しみについに代わってしまった。
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11月1日、お昼に突然の訃報。生き仏で6年間過ごした人がホントの仏になった。葬儀も済み帰宅してから自分の周りで母の気配を感じる。霊感の強い人ではないのに。まだ家族の周りを漂っているのだろう。生き仏の時に話せなかったこと、行けなかったところ、感じられなかったものたちを俯瞰していることだろう。あっけなく逝ってしまってから、因果のようなものを感じている。人の生き様が子々孫々まで繋がれて行くことを。
哀しみから悲しみについに代わってしまった。
病気でも生きているのと いなくなってしまうのとでは違うものです。
遠く離れて暮らしていると 何も出来ず 後悔します。せめて、元気な時には 出来るだけ電話したり手紙を書いたりしたいものです。なかなか会いに帰ることはできないので。
気持ちは 近くでも遠くでも同じなんだけど。