今日、投稿させて頂いたブログを少し加筆修正しましたので、再度ブログアップします。
基本、文章の内容は一緒ですが、私なりにどうしても強調したい所を色文字にしたり、太字にしたり、下線を引いたりしました。
なお、私はあくまでも佐藤学長の1受講生に過ぎず、私個人の解釈を述べているだけですので、疑問、質問は、提唱者である佐藤学長にご質問頂くのがベストだと思いますが、私宛にご質問頂いた場合は、佐藤学長もご覧になられている、このブログ上で、私なりの回答はさせて頂きます。
よろしくお願いいたします。
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前回より続きます。
佐藤学長の提唱される『満月の法則』
その急所である『満月という前提』という言葉。
満月の法則を極めていくには、たった1つ、この『前提』という言葉を極めていくだけで良いと私は思います。
いや、極めるなんて、難しい言葉を使う必要は無い。
『満月という前提を置く』
『満月という前提に立つ』
『満月という前提にする』
『満月という前提を意識する』
色々、言葉を変えて表現しましたが、これ『だけ』で良いのです。
満月という『前提』だけで良い。『前提』オンリーonlyで良いのです。
満月の法則を看破する上で、他の言葉は一切要りません。不要です。
ここで、前回書いた、佐藤学長と受講生の全く噛み合わない会話をもう1度再現します。
受講生:『満月を見ようとするが、満月が見えません。三日月にしか見えません。どうしたらいいでしょうか?』
佐藤学長:『満月を見ようとするんじゃない。満月なんです!。』
このやりとりの中に、私たちがこの肉体を持つ三次元の世界の中で、真理を体現していく急所が見え隠れしています。
この噛み合わない会話をつなぐのが、『満月という前提』という言葉なのです。
ここで、絶対外せないポイントを書かせて頂きます。
私たちには『三日月しか見えない。満月は絶対に見えない』という事です。
言い換えると、私たちの認識からは、実相は捉えられない。
私たちの有限の心からは、無限の世界は捉えられない。捉えようがない。
という事です。
仕事に行かなければ行けないので次回に続きます。
また、今回のブログも加筆修正しながら更新しますので、よかったらご高覧頂ければ幸いです。
ありがとうございました。
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