真我のプロカンについて、個人的に思っていることを、勝手に綴ります。
どうしても陥りやすいポイントがいくつかあると思う。
真我のプロカンとは、相手の言葉と心の奥にある、相手の真我を鏡で返すことだと思っています。
真我カウンセラーは相手の真我の「鏡」でしかない。
ということは、カウンセラー側の気持ちとか喜びとか、カウンセラーが学びになったとか、カウンセラーの心にあるものを混ぜてはいけないと思う。
あくまでも100%相手のことだけを返していく。カウンセラーの気持ちは全く関係ない。
カウンセラーが鏡になりきれず、カウンセラーの気持ちや価値観を混ぜてしまうと、それがいわゆる「かぶせ」になってしまうのだと思う。
また、カウンセラー側が、相手に放ったカウンセラー自身の言葉を、「これは完璧な真我のオウム返し」「この言葉は失敗」と評価することもおかしい。
もしそれを評価することができる人が居たとしたら、それが完璧な真我のオウム返しかどうかを決めるのは、カウンセラーからの言葉を受けとる相手であり、カウンセラーが決めることではないと思う。
カウンセラーが「この言葉は完璧な真我のオウム返し」「この言葉はうまく言えなかった。」と自分の言葉ばかりに注目していたら、相手の話も聞けない。相手の心も聴こえない。もちろん相手の神も見えない。相手の真我も見えてこない。
自分の観念を横に置いて、100%相手の心、言葉、真我に集中することが大事ではないかと、ふと思いました。
ありがとうございました。
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