仙台街探(まちたん)プラス

仙台のグルメ・カフェ・イベント・etc.街の話題をご紹介。プラス岩手、山形、福島の街ネタも。

仙台城下町”辻標”八十八か所巡り㉑ 東六番丁から小田原付近。

2023年12月12日 | 仙台城下辻標八十八か所巡り

30番辻標「花京院通(かきょういんどおり)/東六番丁(ひがしろくばんちょう)」は、宮町入口、東六番丁小学校の角に設置されています。小学校の改築工事中で、クレーンで資材の移動や、大型トラックの出入りが頻繁です。

花京院通は、西は外記丁から東は、東七番丁、車通に続く東西の通。

東北電力本社ビルがある通りです。花京院通にある光禅寺の西北に、かつて修験道の”花京院”がありましたが、明治期に廃寺に。寺名だけが通名に残るのは、定禅寺通などいくつかほかにもありますね。

東六番丁は、東照宮造営のため、もともとは清水小路の北端、六道の辻(JR東日本東北支社の東向付近)から今の仙台駅構内の敷地を経て、宮町の南端に続いていました。

旧市内の北東部の住宅街から中心部に続く重要道路、車列が途切れません。

70番辻標「小田原袖振丁(おだわらそでふりちょう)/小田原遣水丁(おだわらやりみずちょう)」は、東六番丁教会を右折し、T字路付近に設置されていましたが、住宅開発などで、現在は撤去されている模様。現地で確認できませんでした。

小田原袖振丁は、T字路を左折した通りの名称。通りと通りに挟まれた形が、振袖の袖下に似ているため。また一説には、振袖姿の娘に化けた狸が袖を振ったからの説もあり、面白いです。

小田原遣水丁は、東六番丁と小田原車通を結ぶ通り。かつて、東六番丁西側の屋敷内に池があり、東側の屋敷に水を導き入れたのでこの名があるとされています。細い路地で区切られ、今も昔も大通りから奥まった静かな住宅街です。

88番辻標「小田原八丁(おだわらはっちょう)」は、常盤木学園の敷地内に設置されています。元禄年間、城下拡張に伴い、町割りされた侍丁で、車通、山本丁、金剛院丁、広丁、大行院丁、清水沼通、牛小屋丁、蜂屋敷の八つの総称です。

かつて北端は、小田原田圃と呼ばれ、田んぼが広がり、松尾芭蕉の歌枕にも記されています。以前あったビール工場やゴルフ練習場は、都心に近い住宅地として開発されました。

この界隈には、宮町につづく通りとして、味噌醤油店や酒屋、一歩入ると、趣きのある住居、そして常盤木学園に通じる道には、

銘菓「仙台まころん本舗」があります。

もともとはイタリア生まれの”マカルン”が由来で、日本人好みに味を変え今に至るそうです。

業務用で300円というので購入、丁寧なつくりで、アーモンド、落花生の味わいが日本生まれで、口に合いますね。

仙台駄菓子の「日立家」の本社工場もこの通りにありました。

いろいろ歩いて”街探”すると発見があるものです。

仙台まころん本舗のHPは、makoron.co.jp

参考資料・引用

「辻標」 仙台市文化財パンフレット第三十五集 編集発行 仙台市教育委員会文化財課

「仙台城下の町名由来と町割」定価1,500円(税別) 著者 古田義弘 発行所 本の森

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仙台城下町”辻標”八十八か所巡り⑳ 交通の要衝「根岸・宮沢」と東街道「越路・獅子落坂」付近。

2023年12月06日 | 仙台城下辻標八十八か所巡り

郷土史家の菅野正道氏が、河北新報に連載している「せんだい故事祭菜」で、

宮沢橋の「鎧淵」について寄稿されていたので、ちょうどタイミングよく、

辻標「根岸・宮沢」と「越路・獅子落坂」の2か所を”街探”しました。

74番辻標「根岸(ねぎし)/宮沢(みやざわ)」は、

ご存じ、根岸交差点に設置されています。新宮沢橋の建設中でもあり、

また仙台中心部から南部、名取方面に抜ける幹線道路です。

「根岸」は、かつて竜の口渓谷から広瀬川の西南部名取川にも

通じる広いエリアを指していました。

経ヶ峰や、大年寺山の山麓、山の"根岸"ということです。

仙台開府以前から「東街道」が通っていたとされています。

「鎧渕」の標柱は、一段降りた河川敷きの散歩道に設置されていました。

この地は、興亡を繰り広げた歴史上の重要拠点、

南北朝時代、そして1189年に源頼朝が、藤原氏を滅ぼした奥州合戦にさかのぼります。

幾多の戦いが、宮沢橋付近で繰り広げられ、「鎧渕」と呼ばれるようになったとか。

(詳細は、11月21日河北新報朝刊に掲載)

「宮沢」は、かつて茂ケ崎山(大年寺山)の宗禅寺付近を指していました。

大年寺の寺守だった宮沢某が由来とされています。

仙台藩開府当初は、南から城下に入るには、

この宮沢の渡戸(橋)を渡りましたが、再三流され長町渡戸ができて廃されます。

新宮沢橋の橋脚が一部完成していますが、橋が架かると景色が一変するでしょうね。

車の流れも286号線(広瀬河畔通り)ではなく、

新宮沢橋を渡り、仙台駅東側につながると、交通事情は大きく変わります。

44番辻標「越路(こえじ)/鹿落坂(ししおちざか)」は、

鹿落坂を登り切った蕎麦店「鹿落堂」の向かい側に設置されています。

「越路」は、仙台開府以前、江戸から城下に入るには、

名取郡から大年寺山山麓の根岸を回って愛宕山の七曲りを上がり、

鹿落坂を下って広瀬川を渡ったようです。

当時広瀬川に橋はかかっていませんでした。

このルートが”東街道”だったという説があります。

難所というほどではないかもしれませんが、

”路を越える”ということで、大変な苦労もあったのでしょう。

「鹿落坂」は、鹿落観音堂付近から霊屋橋付近までの坂です。

鹿子清水、篭鹿袋(こめがふくろ)などその地名の通り、

越路・八木山が鬱蒼とした森だったころ、鹿やイノシシが数多く生息、

巻狩の場でした。今は都市化が進んでいますが、時折、鹿ではなく、

熊が出没するように、自然はそんなに変わらないですね。

数年前に、蕎麦店「鹿落堂」ができて、県外ナンバーの車も多くみられるようになりました。

店に入るときは、十割蕎麦の単品と決めています。

今日も、広瀬川越しに仙台市内を望みながら蕎麦をいただきました。

参考資料・引用

「辻標」 仙台市文化財パンフレット第三十五集 編集発行 仙台市教育委員会文化財課

「仙台城下の町名由来と町割」定価1,500円(税別) 著者 古田義弘 発行所 本の森

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仙台城下町”辻標”八十八か所巡り⑲ 閑静な住宅街 土橋通と角五郎丁を”街探”

2023年11月29日 | 仙台城下辻標八十八か所巡り

引き続き、大学病院付近から大崎八幡宮付近を”街探”しました。

土橋通と角五郎丁の二つの辻標をご紹介。

39番辻標「土橋通(どばしどおり)/十二軒丁(じゅうにけんちょう)」は、

仙台厚生病院の左隣の大きなマンションの南側に設置されています。

「土橋通」は、北三番丁付近から48号線を横切って、

北八番丁に至る通りです。北三番丁と中島丁の間は沢で隔てられ、

東西の往来が不便でしたが、寛永から明暦年間に、

近隣の侍屋敷から人馬を出し合い、底樋を設置し、

深い谷沢に土橋を渡したのが土橋通の名称の由来とか。

「十二軒丁」この辻標から交差点を越え、こばと保育園を通り、

48号線に直進する通り。その名の通り、

武家屋敷が十二軒並んでいたことに因みます。

上級侍屋敷エリアだったので、敷地も九百坪程度の屋敷面積だったのでは、

との推測もありますが、いまは、マンションが立ち並ぶ閑静なエリアですね。

28番辻標「角五郎丁(つのごろうちょう)/中島丁(なかじまちょう)」は、

澱橋に下り降りる途中、尚絅学院中高の南側、澱橋丘庭の前に設置されています。

中島丁は、尚絅学院の北側、かつての12軒丁との間に深い谷”へくり沢”があり、

広瀬川に向かって一段低いエリアで、”中島”のようになっていたので、

中島丁とよばれるようになりました。

へくり沢が散歩道になっているようなので、近々”街探”してみます。

角五郎丁は、この辻標から聖ドミニコ学院付近までの通り。

かつての広瀬川の渡しの渡守角五郎の名から丁名が出来たという珍しい由来です。

昔は御職人の町で、のちに御旗本足軽の丁となりました。

また、幕末には、講武所が設置されていましたが、

現在、跡地には、公務員宿舎となっています。

この付近では、広瀬川澱緑地や角五郎歩行者専用道路が整備されています。

春夏秋冬と風景が変わるのを実感できる貴重なエリアです。

市内ビル群を望みつつ散歩してみたいそんな場所ですし、

仙台名物”芋煮会”には最高の場所ですね。

このエリアも含めて、広瀬川の遊歩道を北から南へ縦断してみようかと思います。

 

参考資料・引用

「辻標」 仙台市文化財パンフレット第三十五集 編集発行 仙台市教育委員会文化財課

「仙台城下の町名由来と町割」定価1,500円(税別) 著者 古田義弘 発行所 本の森

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仙台城下町”辻標”八十八か所巡り⑱ 知事公館に仙台城の遺構、新坂通と支倉通。

2023年11月24日 | 仙台城下辻標八十八か所巡り

週末の天気が大荒れということで、最高の青空の下、

大学病院付近から大崎八幡宮付近を”街探”しました。

新坂通と支倉通の二つの辻標をご紹介。

16番辻標「新坂(にいざか)/新坂通(にいざかどおり)」は、

知事公館を下った曲がり角に設置されています。

知事公館の門は、仙台城の寅の門を大正年間に移築されたもの。

数少ない貴重な仙台城の遺構です。敷地内の洋館は、

これも大正年間に第二師団長の官舎として建てられたものだそうです。

左に下った曲がり角に設置。

新坂通は、この辻標からまっすぐ北上し、北山輪王寺まで通じていました。東北大学医学部が出来て、寸断されていますが、侍屋敷、寺屋敷、足軽など区画を分けて町割りされていました。

新坂は、水害でたびたび流される支倉橋に代わり、

元禄年間に澱橋が新たに設置され、支倉町方面に通じる道を、

川沿いの岩崖を切って急な坂を作ったのが始まり。

 

かつてはもっと急坂だったようですが、いまでも車は、アクセルをふかします。

下っていく途中に、いまは、使われていないような?水門の施設があります。

「へくり沢」の水門なのか近々確認してみようかと思います。

さらに進むと「澱不動尊」があります。

「澱不動尊文永十年板碑」があります。この板碑(供養碑)は,

昭和11年に澱町で確認され,町内会により保存管理されています。

仏教信仰を示す歴史資料となっています。銘文から、

文永10年(1273)に建てられたことが分かり,仙台市内で最も古い板碑です。

12番辻標「支倉丁(はせくらちょう)/支倉通(はせくらどおり)」は、

西公園通り、ツルハドラッグ支倉店を左に曲がった先の角に設置されています。

支倉丁は、北一番丁の西、広瀬川の断崖の上をほぼ東西に沿う町。

因みに、支倉常長の養父の屋敷が、この地にあったのが町名の由来とされています。

支倉通は、支倉町の西角から大学病院を貫き、北九番丁角の

恩慶寺に至る通りでしたが、のちに北山付近まで延長されました。

この町の断崖を降りてかつて支倉橋があり、広瀬川を渡って

川内の元支倉丁に通じる幹線道路でした。

洪水で流され、澱橋ができたとのことです。

支倉丁、支倉通、元支倉と、町名の由来でつながっていることが再認識されました。

 

参考資料・引用

「辻標」 仙台市文化財パンフレット第三十五集 編集発行 仙台市教育委員会文化財課

「仙台城下の町名由来と町割」定価1,500円(税別) 著者 古田義弘 発行所 本の森

 

 

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仙台城下町”辻標”八十八か所巡り⑰ 北目町通りと東三番丁。

2023年11月19日 | 仙台城下辻標八十八か所巡り

北目町通りと東三番丁の二つの辻標をご紹介。

18番辻標「北目町(きためまち)/北目町通(きためまちどおり)」は、

トラストタワーの南西角向かいコンビニ跡前のポスト脇にあります。

簡単にいうと、「村上屋餅店」の目の前です。

「北目町」は、柳町から上染師町に至るまでを北目町といいました。

柳町の大日如来から五橋中までの通りの名称です。

開府前からの古い町で、勢至観音様を守護仏とした二十三夜堂があります。

「北目町通」は、トラストタワーから東二番丁通を越え、

横一線に河北新報社、JR東日本、北目町ガード下をくぐり、東九番丁の報恩寺に至る通りです。

北目町「村上屋餅店」には、市内はもちろん、遠方からもお客様が絶えません。仙台の新名所ですね。

2番辻標「東三番丁(ひがしさんばんちょう)/鉄砲横丁(てっぽうよこちょう)」は、

中央警察署東側、五橋公園の角に設置されています。雨水対策の工事中です。

「東三番丁」は、宮城県庁前から清水小路、五橋まで通じていました。

明治期に宮城学院、河北新報社ができました。かつては弁護士、医者の多い屋敷町で、

戦後は、闇市時代から続く仙台朝市が市民の台所ですね。

「鉄砲横丁」は、五橋公園前から西に延びて東二番丁を横切り、

北目町を西に進んで東北大学の敷地に至る通り。

かつて北目町南角に鍛冶屋があったことが名前の由縁とされています。

道は、東に延長され、清水小路東華学校前(現在のJT仙台ビル付近)に通じていました。

 

五橋公園は、仙台駅から歩いて7~8分、駅前の喧騒がうそのような静けさです。

結構広いので、子供連れの家族も安心ですね。

昼時には、ランチ持参のサラリーマンもちらほら。

いろいろなグループの集合場所にもなっていますね。

※東華学校は、明治19年、同志社の新島襄により設立されています。6年で閉校になりますが、

存続続ければ、教育界はもちろん、東北地方全体への人材輩出など大きな影響を与えたでしょうね。

参考資料・引用

「辻標」 仙台市文化財パンフレット第三十五集 編集発行 仙台市教育委員会文化財課

「仙台城下の町名由来と町割」定価1,500円(税別) 著者 古田義弘 発行所 本の森

 

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