仙台街探(まちたん)プラス

仙台のグルメ・カフェ・イベント・etc.街の話題をウオーキングしながらご紹介。プラス岩手、山形、福島の街ネタも。

仙台城下町”辻標”八十八か所巡り㉘ 大きく変貌した仙台駅東口に藩政時代の記憶

2024年06月12日 | 仙台城下辻標八十八か所巡り

 仙台駅から北東へ歩いて15分ほど、鉄砲町和光公園内に、51番辻標「鉄砲町(てっぽうまち)/明神横丁(みょうじんよこちょう)」が設置されています。

「鉄砲町(てっぽうまち)」は、藩政時代、城下の東口に位置し、鉄砲足軽組が置かれたことに由来、二十人町の北側、小田原車町からかつて榴ヶ岡にあった釈迦堂下までを鉄砲町と呼んでいました、総勢百四十人近い足軽が居住し、それぞれ組ごとに屋敷割され、信仰する神社を中心に結束をはかっていました

東口の再開発で大きく変貌しましたが、ここ鉄砲町和光公園は、神社と共に地域に親しまれています

「明神横丁(みょうじんよこちょう)」は、鉄砲町と二十人町を南北に結んでいる横丁名で、グーグルマップにも表示されます、大坂の陣から凱旋した鉄砲町の足軽が町内の守り神とし勧進した和光明神がのちに和光神社と改められ、横丁に明神の名が残されました

公園の西端には、アンティーク雑貨カフェ 「TiTi(ティティ)」があります

「TiTi(ティティ)」を訪問した時のブログは こちらです

 

参考資料・引用

「辻標」 仙台市文化財パンフレット第三十五集 編集発行 仙台市教育委員会文化財課

「仙台城下の町名由来と町割」定価1,500円(税別) 著者 古田義弘 発行所 本の森

 

 

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仙台城下町”辻標”八十八か所巡り㉗  仙台藩を支えた城下の東端「原町」と四本の横丁

2024年03月15日 | 仙台城下辻標八十八か所巡り

国道45号線(仙塩街道)が榴ヶ岡公園北側で右にカーブする場所を起点にして、原町本通りが45号線と並行して宮城野区役所方面に向かって続いています。一方通行の約1.5km直線道路が商店街です。開いている店はだいぶ少ないですが、よく整備された道かと思います。商店街の入り口に道標があります。

頑張っている原町商店街のHPは  こちら

平日の昼過ぎ、少し閑散としていました。

入口から100mほど、左手に仙台三十三観音の十番札所「千手観音堂」があります。

境内の大銀杏に誘われて参拝しました。

商店街に入って400mほどの左手マンションの入り口に、

59番辻標「原町(はらのまち)/大源横丁(だいげんよこちょう)」が設置されています。

「原町」は、いにしえは、歌枕の”宮城野”の原野に臨む原町が原点でもあり、藩政時代には、財政を支える米蔵や材木蔵が置かれたり、仙台城下東の宿駅でもあったりと、歴史的にみても興味の尽きない重要なエリアです。

「大源横丁」は、明治38年に地元の慈善家で、呉服商の田右衛門の篤志に開通した道。今は公園になっている清水沼と原町をむすぶ生活路として重宝されました。名前から2文字とって命名されています。また、大町にあった大内屋の八代目で数多くの社会的貢献をされています。

実は、この原町本通りには、横丁が4本あります。1本がこの大源横丁で、三本は遠藤横丁、岩井横丁、佐々木横丁です。遠藤横丁は、旅館、岩井横丁は、酒屋、佐々木横丁は、質屋に由来します。いずれも宮城野原に向かう農道でした。

遠藤横丁には、標識らしきものは発見できませんでした。

商店街が続いています。

どういうご商売だったか、昭和の建物発見。

岩井横丁の標識があります。

佐々木横丁の標識発見。

きれいに整備された原町カッコウ公園です。因みに仙台市の鳥は「カッコウ」だそうです。

歴史ある町原町の代表格、それはこちらの1836年創業の「鳥山米穀店」ですね。17軒あった米穀商のひとつ、よく保存され、いまも営業されています。

商店街の東端に、「道しるべ石」が建っています。

 

仙台城下の東端で、東西南北への重要な道しるべだったんですね。

仙台市内がどんどん都市化され、藩政時代はもちろん、明治大正昭和の遺物が消されていく中、こちらの商店街には、歴史的遺物や寺社もあり、祭など通じて頑張ってほしいものです。

 

参考資料・引用

「辻標」 仙台市文化財パンフレット第三十五集 編集発行 仙台市教育委員会文化財課

「仙台城下の町名由来と町割」定価1,500円(税別) 著者 古田義弘 発行所 本の森

 

 

 

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仙台城下町”辻標”八十八か所巡り㉖ 「石切町」は青葉城石垣の石工の町、すずめ踊りのルーツ!?

2024年02月26日 | 仙台城下辻標八十八か所巡り

八幡一丁目交差点から北上し、カーブを右に曲がると石橋があり、このたもとに、

38番辻標「石切町(いしきりまち)/覚性院丁(かくしょういんちょう)」が設置されています。

「石切町」周辺は、1660年寛文年間には、石切御職人の住居エリアでした。また、八幡町に至るこの道は、城下と石巻や山形を結ぶ要路だったようです。石切御職人の子孫「小梨石材店」が往時を偲ばせます。

橋は、左手から右手に流れるへくり沢の上にかけられていました。

「覚性院丁」は、土橋通から石切橋までの間を呼んでいました。もともと覚性院は、東六番丁小学校の地にありましたが、東照宮造営にあたり、一時東照宮の仮宮とされ、この地に移されました。のち明治の初めに廃寺になりましたが、地域住民の方々は、春日神社の整備と共に地域の名称として誇りを持たれています。

石切橋の左手に「瀬田谷不動尊」がありますが、逸話・縁起らしきものが見当たりません。

そう言えば、春日神社のへくり沢散歩道案内板④に手がかりがありました。仙台城築城に貢献した石工たちがこの「瀬田谷不動尊」や「大崎八幡宮」で奉納した「ハネコ踊り」「仙台雀踊り」のルーツというのです。諸説いろいろあるのでしょうが、さもありなんですね。

参考資料・引用

「辻標」 仙台市文化財パンフレット第三十五集 編集発行 仙台市教育委員会文化財課

「仙台城下の町名由来と町割」定価1,500円(税別) 著者 古田義弘 発行所 本の森

 

 

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仙台城下町”辻標”八十八か所巡り㉕ 「榴ヶ岡」は歌枕にも詠まれたツツジの名所。

2024年02月15日 | 仙台城下辻標八十八か所巡り

61番辻標「榴ヶ岡(つつじがおか)/二十人町(にじゅうにんまち)」は、榴ヶ岡の婦人会館・NPOプラザ入口付近に設置されています。

もっとわかりやすく言うと、榴ヶ岡公園の北西角の向かい側、電柱と電柱の間です。

「榴ヶ岡」は、古くは、歌枕にも詠まれたツツジの名所、また、源頼朝の平泉攻めに備え、藤原泰衡は陣を置いた場所ともいわれています。藩政時代にはこの付近には米蔵もありました。

”名称榴ヶ岡”の碑もあります。

元禄の頃には、藩主伊達綱村が、馬場の両サイドに、京都からシダレザクラなど千本取り寄せ植え込み、その後開放しています。仙台の桜の名所ですね。公園内の歩兵第四連隊の兵舎は、県内最古の木造洋風建築で、現在、仙台歴史民俗資料館として活用されています。

「二十人町」は、二十人衆と呼ばれた足軽鉄砲組が置かれたことに由来します。名掛丁の東端、旧小田原車町東角から榴ヶ岡までの通りを指しています。

通りの中ほどに矢先神社が祀られていて、この境内が砲術の稽古場でもありました。またこの道筋は、まっすぐ仙台城大手門に通じる道筋でもあり、町割りを鈎型にしたり、道幅を狭くするなど、城下町特有の街づくりをしています。明治以降は、少しずつ商店街を構成しつつも、戦後の再開発で仙台駅東側は、風景が一変しました。

参考資料・引用

「辻標」 仙台市文化財パンフレット第三十五集 編集発行 仙台市教育委員会文化財課

「仙台城下の町名由来と町割」定価1,500円(税別) 著者 古田義弘 発行所 本の森

 

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仙台城下町”辻標”八十八か所巡り㉔ 細横丁は藩政時代、幅3ⅿの”本当の細横”でした。

2024年02月09日 | 仙台城下辻標八十八か所巡り

冬の晴天、ほんとうに寒いですが、歩くには夏の暑さよりはマシですので、中心部を引き続き”街探”しています。

17番辻標「北三番丁(きたさんばんちょう)/細横丁(ほそよこちょう)」は、木町通小学校の南、北三番丁公園の南東角地に設置されています。

「細横丁」が、晩翠通と呼ばれるようになって久しいですが、年配の方には、やはりまだ”細横”がしっくりきそうですね。藩政時代は、大町三丁目から北五番丁までは、幅3mの細い通りの侍屋敷で、仙台藩最初の学問所が、北三番丁西南角にありました。明治以降各種小売店が並び庶民のマチとなり、明治29年に日本聖公会の教会が設置され、名物となりました。

「北三番丁」は、西は土橋通南端から上杉山通りを越えて、宮町まで武家屋敷がならんでいました。この付近にも堀が作られ、四谷用水から分水された水で、町を潤していました。

かつての東北地方整備局の跡地には、タワマンができて、1Fにはイオンが出店。北山トンネルができて、泉方面からの車が仙台中心部に流れ込み、南北を結ぶ幹線道路になりました。

参考資料・引用

「辻標」 仙台市文化財パンフレット第三十五集 編集発行 仙台市教育委員会文化財課

「仙台城下の町名由来と町割」定価1,500円(税別) 著者 古田義弘 発行所 本の森

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