仙台街探(まちたん)プラス

仙台のグルメ・カフェ・イベント・etc.街の話題をご紹介。プラス岩手、山形、福島の街ネタも。

「定義古道」を歩く歴史探訪に参加、古碑を巡る魅力にハマりました

2024年11月20日 | 歴史散策

泉区を中心に神社仏閣や古碑など歴史的遺産を巡るサークル「いずみ郷土史探訪会」主催の「定義古道(滝の上~下道)を歩く」イベントに参加、すっかり古碑を探る魅力にハマりました

集合は、極楽山西方寺(定義如来)の駐車場、西方寺にお参りし、バスで一旦2つほど停留場を仙台方面にもどり、そこから古道に入り、また西方寺にもどる行程です。

今回、「いずみ郷土史探訪会」としては、泉区を飛び出し、青葉区に遠征となりましたが、それには理由があります。根白石はかつての奥州街道沿いの集落、定義如来信仰の参詣者が定義に向かう中継地点、定義道と呼ばれた古道がいくつもあり、県北、岩手方面からの参詣者も多かったそうです、たしかに昔は、泉区も青葉区もありませんからね・・。

平日の10時前、さすがに参道には、人気はありませんが、あの三角あぶらげの「定義とうふ店」には、オープン前にもかかわらず人が集まりだしています

シックな感じの「はやとみ」さんを過ぎ、

旅館「定義館」の奥に大きなイチョウ、

左手に、早坂家本家氏神社があり、参拝、定義如来西方寺を代々お守りしてきたのが、早坂家本家です

いよいよ西方寺御廟貞能堂へ、まずは山門

「六角堂」は、昭和2年に茅葺から建て替えられましたが、こんな杉の大木があったんですね

裏手にまわり、連理のけやき、縁結びのご神木です

続いて、本堂へ

ステンドグラスでできた大天蓋です、きれい

五重塔は、昭和61年に、本堂は平成11年に完成、年月を経るといい意味で渋みがでてきます

「定義とうふ店」にもどり、三角油あげを予約、なんでも午後になると売り切れになることもあるそうで、すでに実食中の方も多数。

ここからが本番です、バスで一旦、仙台方面に2つほどもどり、右手にそれて

大倉川渓谷の橋を渡ります

しばらくすると高森石碑群があります

すぐ近く、滝の上バス停前に下平石碑群があります

ユニークな石碑がいくつも

その姿・表情を見るだけでも楽しいものです

この先、いよいよ定義古道(滝ノ上口)の林道に入ります

林道を進みます

たしかにかつての古道の痕跡のように道々に古碑が連なります

一部倒れたままの石碑もあります

実は今回の歴史探訪会を開催するにあたり、「いずみ郷土史探訪会」では、事前に古道路を確認されていたとのこと、頭が下がります

あまり歩く人もなく、知る人ぞ知る道です

定義峠付近の石碑

ここから西方寺が望めます、参拝者も安堵したことでしょうね

定義側の古道入口付近、下道石碑群Aです

高見沢石碑群です

目の前が定義駐車場の下道石碑群Bです

「定義古道」というあまり聞きなれない道、でも確かに信仰厚い寺社仏閣があれば、古代中世から現在とは違う道筋があったのは容易に想像がつきます。古道を巡る楽しみにハマってしまいました

寺岡市民センター内サークル

「いずみ郷土史探訪会」に感謝です

 

 

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関山街道作並地区を巡る探訪会で「坂下境目番所跡」や「熊沢大滝」を巡りました

2024年07月27日 | 歴史散策

あまり聞き覚えのない「関山街道開削受難の地」「熊沢大滝」を巡る関山街道フォーラム協議会主催の探訪会があるというので、思い切って参加しました、熊が住宅地に頻繁に出没する昨今、単独で森に入るのは危険、まして「熊沢大滝」といかにも熊に合いそうですので、団体行動は安心、助かります

集合場所は、広瀬市民センター、そこから車に分乗し、山形との県境のスノージェットのある付近の駐車場に移動します、柵を越え、沢伝いに「坂下境目番所跡」を目指します

沢を越えてほぼ平行して国道48号線が走ります

少し開けた場所にでると、

「関山街道開削受難の地」碑がありました、明治13年、旧関山隧道の工事中に起こった爆裂事故で23名の方が亡くなり、その後、慰霊碑が建てられました

藩政時代も国境でもあり、坂下境目番所が置かれていました

また、広瀬川の源流地点でもあります

このあたり、沢を隔ててすぐ国道48号線ですが、渡れる場所がありません、やはり手前のスノージェット駐車場が一番近いです、右手奥方面が山形側です

「峰渡り」として、昔から仙台と山形との重要な峠越えの道です、関山街道フォーラム協議会では、毎年4月29日前後に先人に学ぶ峠越えの「峰渡り」を実施しているとか、体力を鍛えて是非参加してみたいものです

このあといよいよ「熊沢大滝」に向かいます、一旦仙台方面にもどり、除雪ステーションから左手に折れ、橋を渡ります

この道「熊沢林道」といって定義山に抜ける道ですが、この先一般車は入れません

手前から左手の沢伝いに上流へ向かうと

滝らしきものが見えてきます

どんどん進みます

水量豊富、ここが「熊沢大滝」です

滝の方から吹き抜ける風が涼しい、気分爽快です

さらに幻の滝があるというので、一旦戻り、右手に折れ渓流伝いに進みます

勢いよく滝が流れてます、周りには幾筋も岩の切れ込みがあり、大雨になれば、水が流れ込む場所なのでしょう。

沢伝いに戻るとこんな場所ににも粗大ごみがあるとは・・・。

48号線を温泉街に戻ります、紫陽花がきれいな場所の山側に「湯神神社」があります

恋人の聖地としてPRしています

作並温泉の縁起では、奈良時代の「行基」や鎌倉時代の「源頼朝」の名前がでてきますが、はっきりしているのは、江戸時代に岩松旅館の初代が温泉地を整備したこと、そういえば川沿いの露天風呂にいく長い階段に苦労の跡が偲ばれますね

この神社の先を進むと、

「作並二ツ岩」がありました

周囲を巡るミニトレッキングコースのような感じです

歴史ある街道筋には、まだまだ魅力あふれる逸話や仙山線など歴史遺産がありそうです

国道48号線、関山街道の魅力を発信している関山街道フォーラム協議会のHPは

関山街道フォーラム協議会 (sekiyamaforum.com)

 

 

 

 

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地域魅力再発見「Fun,Fan,Find青葉徒城路で学ぶ・体験する」準備見学会に参加②

2024年07月25日 | 歴史散策

青葉区中央市民センターで地域魅力再発見事業「Fun,Fan,Find青葉徒城路で学ぶ・体験する」ツアーの現場見学会に参加しました。30代~40代小学生のお子さんを含む家族を対象に地域への愛着をもってもらう交流促進事業の一環です。今日のテーマは「仙台の街の成り立ちをたどる」、伊達武将隊の”松尾芭蕉”さんがガイド役で、きびしい暑さの中、西公園、大町周辺を”街探”しました

西公園北側から歩道橋を渡り、お花見広場に戻ってきました。桜岡大神宮の北側に松尾芭蕉の句碑があります、”伊達武将隊松尾芭蕉”さんもPR

桜岡大神宮は、伊達政宗が伊勢神宮より分霊勧請したのが始まり。社殿や境内も規模は大きくないですし、森に囲まれたわけでもありませんが、逆に開放感あふれるお社で、爽快感に包まれます

神社仏閣は、意外と移転を繰り返します、藩政時代でも街づくりの拡大にともない、こちらも例外では、ありませんでした

有名な臥龍梅です、”松尾芭蕉”さんによれば、伊達政宗が朝鮮より持ち帰ったもので、仙台城から若林城へ、その後ここ西公園に分植されたようです

彫刻のある町づくりを目指し、仙台市内には、24か所、著名な彫刻家の作品が屋外に設置されていますが、芸術作品鑑賞の巡り歩きも面白そうですね

西公園のはちみつプロジェクトは今年も採取され、市内の洋菓子店などで活用されています、ほんとうの地産地消です

地下鉄東西線が顔を出し、車両が広瀬川を渡ります、子供たちにうけそうです

仙台城への登城路、辻標「大坂」で、”松尾芭蕉”さんから説明

ここから大町通を東へ進みますと、ご存じ「芭蕉の辻」に到着、旧奥州街道との交差路でもあります

”松尾芭蕉”さんが指さす方向に、野中神社」があります

青葉通りを越えて国分町通りと一番町通りの間の路地の一角に野中神社の赤い鳥居が見え、よく通る場所でしたが、入るのは初めてです

逆L字で境内を進みます

ビルに囲まれた神社が現れます。伊達政宗が仙台城下を造る際、区割りに使った縄を奉納、この地に野中神社を祀り、城下の中心としました

”松尾芭蕉”さんもここは大事ですねと、まったく知りませんでした

きっちり参拝しました

みなさんの願い事、叶いますように

サンモール商店街にでるとまた一段とにぎやかになります

アイドルも盛り上げています

南町通りを越えると、人手が増えてきます、「大日如来」もお祭りでした

歴史ある「タゼン」さんもお祭りを盛り上げています、職人による銅製品の製作現場を公開しています

現代風な作品づくりにも挑戦されていますね

市内中心部でこれだけの祭が開催されているのはほんとうに貴重です

タワマンのすぐそば、”芭蕉”さんの話にも力が入ります

このあと「壱弐参横丁」に入ります、すでに七夕飾りで通路は華やかに・・・。

横丁内、飲むことはできませんが、有名な井戸の冷たい水で手洗いし、少し涼しくなりました

知っているようで意外と知らない西公園・大町エリア、親子で楽しめ、地域に関心を深める講座を目指し、さらなる魅力探しに引き続き”街探”する予定です

パート①はこちらへ

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地域魅力再発見「Fun,Fan,Find青葉徒城路で学ぶ・体験する」準備見学会に参加①

2024年07月23日 | 歴史散策

青葉区中央市民センターで地域魅力再発見事業「Fun,Fan,Find青葉徒城路で学ぶ・体験する」ツアーの下見会に参加しました。30代~40代小学生のお子さんを含む家族を対象に地域への愛着をもってもらう、交流促進事業です。今日のテーマは「仙台の街の成り立ちをたどる」、伊達武将隊の”松尾芭蕉”さんがガイド役で、きびしい暑さの中、西公園、大町周辺を”街探”しました

※市民会館の南側にレンガ造り下水道の入り口があり、広瀬川に続いています、もとは四谷用水の一部でした

行程は、地下鉄大町西公園駅、大町交番前公園に集合、西公園を北上し、市民会館付近を巡り、南下して、大町交番前に戻り、右手大町方面へ向かいます。芭蕉の辻からサンモール一番町の野中神社、柳町大日如来に参拝します

スタートしてすぐ源吾茶屋」です

以前訪問、その時のブログは こちらです

一気に北上し、市民会館南側の仙台市のレンガ下水道入口で、”松尾芭蕉”さんが仙台市の担当の方にヒアリング、なんと毎月1回、一般公開されているそうです、是非チェックを

同様のレンガ下水道はここもあわせて3か所残っているそうです、空襲などで市内中心部の貴重な建造物はほとんど破壊されているので、レンガ造りは貴重ですね。

早速中に入り、螺旋階段を降りると

レンガ下水道への入り口です、見学できるように一部削ったものです

上を見れば明り取り、SL広場からは見下ろせます

先発隊が説明を受けています

定禅寺通りを流れてきた下水が、ここで90度曲がり、

南蒲生下水処理場に向かいますが、一定量を越えた分が、広瀬川にそそぎます

映画「ゴールデンスランバー」の舞台にもなりました

いや~いい経験でした

このあと向かい側、御菓子司「売茶翁」に向かいます

創業明治12年の落ち着いた建物の「売茶翁」と”松尾芭蕉”さん、いいショットです

夏の和菓子、涼し気でいいですね

お店まわりの仏様など雰囲気を感じます

美味しそうな和菓子です

市民会館裏手から広瀬川西側を望みます、参加者の方から夕焼けがきれいだとのお話もあり、いつかチャンスがあれば・・。

蒸気機関車「C60 1号機」は、C60型で全国に1両だけ残されたSLです、地上と地下にそれぞれ残された貴重な遺産ですね

すぐ近くに、”ブルージャイアント”の石碑があります、宮城・仙台からは、漫画・アニメの作者を多く輩出していますね。

広瀬川東岸の高台から西側を望みます

西公園川沿いを”松尾芭蕉”さんと共に南下します

はて、この石は・・・。”信女”とあり、戒名の一部ということ、墓石?、木の根元これ一基だけ?

やたら蝉の声するので、ふと上を見ると木はもちろん、葉っぱにも抜け殻がいっぱい

西公園プレーパーク周辺は、かつて市民図書館があったところで、目の前に池があり、格好の遊び場でした。藩政時代ここは、武家屋敷で、古い地図には、池の様子が描かれています。

知っているようで意外と知らない西公園・大町エリアです

パート②はこちらへ

 

 

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仙台空襲から79年、戦災復興展に行ってきました

2024年07月12日 | 歴史散策

今の若い人たち、子供たちには、とても想像できないでしょうが、1945年7月10日、米軍による仙台空襲で約1400人の方がなくなり、市内中心部はほとんど焼け野原となりました。記憶と記録を後世に残すため、「仙台市戦災復興記念館」が建設されました

7月6日から14日まで「戦災復興展」が開催されています、しばらくぶりにやってきました

開催の挨拶に続き、「伊達政宗公のまちづくり~城下町仙台のヒミツ」と題し、ブラキムラでお馴染みの木村浩二さんの記念講演がありました

講演の主旨は、仙台の街は、①明治維新でそれまで藩政時代の名残を残しつつ、大きく変貌していく

②大正から昭和の初めにかけて経済の拡大と共に建設ブームが起こる

③戦後、仙台空襲後、新しい街づくりと再開発が進み、街が一変していくというものでした

常設展の展示物はまさしく、仙台空襲の記憶と3つの視点による街の変化でした

企画展では、井上きみどりさんの漫画パネル「戦争中の子どもの生活」は、すばらしいものでした。月2回の夕刊の掲載は、何気ない日常の細やかなの感情の移り変わりを漫画にし、いつも楽しみにしています。

常設展を見ていきます

明治の初め頃には、まだ城下町の雰囲気が残っていました

明治後年、大正に入ると、交通機関が発達してきます

昭和に入ると、ビル建設ラッシュですね

宮城県庁はなつかしい、まだ記憶の中にきっちりあります

いよいよ、仙台空襲の記録です、B29の爆弾は、ガソリンをジェル状にしたものが、詰められていましたので、日本の家屋はひとたまりもありません

市内中心部は一面焼け野原です

政宗が造った初期の仙台の街のエリアはほとんどが焼失してしまいます

カラー化された写真はやはり説得力があります

中学生は、授業の一環でしょうか、一生懸命メモを取っています、次代に記憶を引き継いでほしいものです

防空壕のジオラマです、かなり方が、避難した防空壕でなくなりました

市内にまだ数か所、防空壕が残っているそうです

戦後の混乱期です

2両編成の仙石線、屋根や窓はあふれ出た人で一杯です

戦後の復興計画で、また仙台が大きく変わりました

道路拡張で市内の大通りの基盤が形成されました

なつかしい仙台市電、1976年まで走っていました

地下の展示コーナーでは、月刊誌「りらく」に掲載された空襲経験者の証言シリーズが展示されています

また東北大学に残された戦争に関する資料も展示されていました

街歩きをしていると、近代的なビル群とマンションに囲まれた仙台にややもすると味気ない思いにとらわれてしまいますが、どの場所にも記録と記憶があり、いろいろ想像してみるとまた見方が変わります。期間中、様々なイベントが開催されていますので是非、足を運んでみてはどうでしょうか

仙台市戦災復興記念館のHPは  https://www.hm-sendai.jp/sisetu/sensai/

 

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