仙台街探(まちたん)プラス

仙台のグルメ・カフェ・イベント・etc.街の話題をご紹介。プラス岩手、山形、福島の街ネタも。

地域魅力再発見「Fun,Fan,Find青葉徒城路で学ぶ・体験する」準備見学会に参加②

2024年07月25日 | 歴史散策

青葉区中央市民センターで地域魅力再発見事業「Fun,Fan,Find青葉徒城路で学ぶ・体験する」ツアーの現場見学会に参加しました。30代~40代小学生のお子さんを含む家族を対象に地域への愛着をもってもらう交流促進事業の一環です。今日のテーマは「仙台の街の成り立ちをたどる」、伊達武将隊の”松尾芭蕉”さんがガイド役で、きびしい暑さの中、西公園、大町周辺を”街探”しました

西公園北側から歩道橋を渡り、お花見広場に戻ってきました。桜岡大神宮の北側に松尾芭蕉の句碑があります、”伊達武将隊松尾芭蕉”さんもPR

桜岡大神宮は、伊達政宗が伊勢神宮より分霊勧請したのが始まり。社殿や境内も規模は大きくないですし、森に囲まれたわけでもありませんが、逆に開放感あふれるお社で、爽快感に包まれます

神社仏閣は、意外と移転を繰り返します、藩政時代でも街づくりの拡大にともない、こちらも例外では、ありませんでした

有名な臥龍梅です、”松尾芭蕉”さんによれば、伊達政宗が朝鮮より持ち帰ったもので、仙台城から若林城へ、その後ここ西公園に分植されたようです

彫刻のある町づくりを目指し、仙台市内には、24か所、著名な彫刻家の作品が屋外に設置されていますが、芸術作品鑑賞の巡り歩きも面白そうですね

西公園のはちみつプロジェクトは今年も採取され、市内の洋菓子店などで活用されています、ほんとうの地産地消です

地下鉄東西線が顔を出し、車両が広瀬川を渡ります、子供たちにうけそうです

仙台城への登城路、辻標「大坂」で、”松尾芭蕉”さんから説明

ここから大町通を東へ進みますと、ご存じ「芭蕉の辻」に到着、旧奥州街道との交差路でもあります

”松尾芭蕉”さんが指さす方向に、野中神社」があります

青葉通りを越えて国分町通りと一番町通りの間の路地の一角に野中神社の赤い鳥居が見え、よく通る場所でしたが、入るのは初めてです

逆L字で境内を進みます

ビルに囲まれた神社が現れます。伊達政宗が仙台城下を造る際、区割りに使った縄を奉納、この地に野中神社を祀り、城下の中心としました

”松尾芭蕉”さんもここは大事ですねと、まったく知りませんでした

きっちり参拝しました

みなさんの願い事、叶いますように

サンモール商店街にでるとまた一段とにぎやかになります

アイドルも盛り上げています

南町通りを越えると、人手が増えてきます、「大日如来」もお祭りでした

歴史ある「タゼン」さんもお祭りを盛り上げています、職人による銅製品の製作現場を公開しています

現代風な作品づくりにも挑戦されていますね

市内中心部でこれだけの祭が開催されているのはほんとうに貴重です

タワマンのすぐそば、”芭蕉”さんの話にも力が入ります

このあと「壱弐参横丁」に入ります、すでに七夕飾りで通路は華やかに・・・。

横丁内、飲むことはできませんが、有名な井戸の冷たい水で手洗いし、少し涼しくなりました

知っているようで意外と知らない西公園・大町エリア、親子で楽しめ、地域に関心を深める講座を目指し、さらなる魅力探しに引き続き”街探”する予定です

パート①はこちらへ

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地域魅力再発見「Fun,Fan,Find青葉徒城路で学ぶ・体験する」準備見学会に参加①

2024年07月23日 | 歴史散策

青葉区中央市民センターで地域魅力再発見事業「Fun,Fan,Find青葉徒城路で学ぶ・体験する」ツアーの下見会に参加しました。30代~40代小学生のお子さんを含む家族を対象に地域への愛着をもってもらう、交流促進事業です。今日のテーマは「仙台の街の成り立ちをたどる」、伊達武将隊の”松尾芭蕉”さんがガイド役で、きびしい暑さの中、西公園、大町周辺を”街探”しました

※市民会館の南側にレンガ造り下水道の入り口があり、広瀬川に続いています、もとは四谷用水の一部でした

行程は、地下鉄大町西公園駅、大町交番前公園に集合、西公園を北上し、市民会館付近を巡り、南下して、大町交番前に戻り、右手大町方面へ向かいます。芭蕉の辻からサンモール一番町の野中神社、柳町大日如来に参拝します

スタートしてすぐ源吾茶屋」です

以前訪問、その時のブログは こちらです

一気に北上し、市民会館南側の仙台市のレンガ下水道入口で、”松尾芭蕉”さんが仙台市の担当の方にヒアリング、なんと毎月1回、一般公開されているそうです、是非チェックを

同様のレンガ下水道はここもあわせて3か所残っているそうです、空襲などで市内中心部の貴重な建造物はほとんど破壊されているので、レンガ造りは貴重ですね。

早速中に入り、螺旋階段を降りると

レンガ下水道への入り口です、見学できるように一部削ったものです

上を見れば明り取り、SL広場からは見下ろせます

先発隊が説明を受けています

定禅寺通りを流れてきた下水が、ここで90度曲がり、

南蒲生下水処理場に向かいますが、一定量を越えた分が、広瀬川にそそぎます

映画「ゴールデンスランバー」の舞台にもなりました

いや~いい経験でした

このあと向かい側、御菓子司「売茶翁」に向かいます

創業明治12年の落ち着いた建物の「売茶翁」と”松尾芭蕉”さん、いいショットです

夏の和菓子、涼し気でいいですね

お店まわりの仏様など雰囲気を感じます

美味しそうな和菓子です

市民会館裏手から広瀬川西側を望みます、参加者の方から夕焼けがきれいだとのお話もあり、いつかチャンスがあれば・・。

蒸気機関車「C60 1号機」は、C60型で全国に1両だけ残されたSLです、地上と地下にそれぞれ残された貴重な遺産ですね

すぐ近くに、”ブルージャイアント”の石碑があります、宮城・仙台からは、漫画・アニメの作者を多く輩出していますね。

広瀬川東岸の高台から西側を望みます

西公園川沿いを”松尾芭蕉”さんと共に南下します

はて、この石は・・・。”信女”とあり、戒名の一部ということ、墓石?、木の根元これ一基だけ?

やたら蝉の声するので、ふと上を見ると木はもちろん、葉っぱにも抜け殻がいっぱい

西公園プレーパーク周辺は、かつて市民図書館があったところで、目の前に池があり、格好の遊び場でした。藩政時代ここは、武家屋敷で、古い地図には、池の様子が描かれています。

知っているようで意外と知らない西公園・大町エリアです

パート②はこちらへ

 

 

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仙台空襲から79年、戦災復興展に行ってきました

2024年07月12日 | 歴史散策

今の若い人たち、子供たちには、とても想像できないでしょうが、1945年7月10日、米軍による仙台空襲で約1400人の方がなくなり、市内中心部はほとんど焼け野原となりました。記憶と記録を後世に残すため、「仙台市戦災復興記念館」が建設されました

7月6日から14日まで「戦災復興展」が開催されています、しばらくぶりにやってきました

開催の挨拶に続き、「伊達政宗公のまちづくり~城下町仙台のヒミツ」と題し、ブラキムラでお馴染みの木村浩二さんの記念講演がありました

講演の主旨は、仙台の街は、①明治維新でそれまで藩政時代の名残を残しつつ、大きく変貌していく

②大正から昭和の初めにかけて経済の拡大と共に建設ブームが起こる

③戦後、仙台空襲後、新しい街づくりと再開発が進み、街が一変していくというものでした

常設展の展示物はまさしく、仙台空襲の記憶と3つの視点による街の変化でした

企画展では、井上きみどりさんの漫画パネル「戦争中の子どもの生活」は、すばらしいものでした。月2回の夕刊の掲載は、何気ない日常の細やかなの感情の移り変わりを漫画にし、いつも楽しみにしています。

常設展を見ていきます

明治の初め頃には、まだ城下町の雰囲気が残っていました

明治後年、大正に入ると、交通機関が発達してきます

昭和に入ると、ビル建設ラッシュですね

宮城県庁はなつかしい、まだ記憶の中にきっちりあります

いよいよ、仙台空襲の記録です、B29の爆弾は、ガソリンをジェル状にしたものが、詰められていましたので、日本の家屋はひとたまりもありません

市内中心部は一面焼け野原です

政宗が造った初期の仙台の街のエリアはほとんどが焼失してしまいます

カラー化された写真はやはり説得力があります

中学生は、授業の一環でしょうか、一生懸命メモを取っています、次代に記憶を引き継いでほしいものです

防空壕のジオラマです、かなり方が、避難した防空壕でなくなりました

市内にまだ数か所、防空壕が残っているそうです

戦後の混乱期です

2両編成の仙石線、屋根や窓はあふれ出た人で一杯です

戦後の復興計画で、また仙台が大きく変わりました

道路拡張で市内の大通りの基盤が形成されました

なつかしい仙台市電、1976年まで走っていました

地下の展示コーナーでは、月刊誌「りらく」に掲載された空襲経験者の証言シリーズが展示されています

また東北大学に残された戦争に関する資料も展示されていました

街歩きをしていると、近代的なビル群とマンションに囲まれた仙台にややもすると味気ない思いにとらわれてしまいますが、どの場所にも記録と記憶があり、いろいろ想像してみるとまた見方が変わります。期間中、様々なイベントが開催されていますので是非、足を運んでみてはどうでしょうか

仙台市戦災復興記念館のHPは  https://www.hm-sendai.jp/sisetu/sensai/

 

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藩政時代の記憶「木流堀」沿いを散策、水の流れはどこへ・・・?

2024年07月08日 | 歴史散策

藩政時代の記憶「木流堀(きながしぼり)」について、新聞や、月刊誌「りらく」などで取り上げられていて、歴史・遺構巡り好きには気になる場所です。「木流堀」は、仙台城下の家臣に支給する燃料用の木材を運ぶための水路として開削されました。名取川から広瀬川までの約6km、深さ1mほどの水路でしたが、現在は、農業用水路、大雨対策などの排水路の役目を担っています

日差しが強いので、山田インター近くの公共施設から自転車でスタートしました、往復約15kmゆっくり2時間半の行程です。ここは名取川、南部道路に近接する取水門です

すぐ近くに水路に下りられる場所があり、農作物の洗い場だったりするのでしょうか。また「木流堀」沿いになにか休憩場所となるカフェはないかと調べると、cafe「くれよん」がありました、スタートしたばかりですのでまた別の機会に寄ってみます

「成就院」も古くからあるお寺です

水路の先に、大年寺山テレビ塔が見えます

明治以降、木材運搬から農業用水として、そして戦後には治水対策として改修が進められ、名取川からの水は、この笊川と合流し、ふたたび名取川にもどります

「木流堀」の水の流れはどうなっているのか、広瀬川へとは逆向き、新笊川に向かっています

どこかに水の流れの分岐点があるはず・・・。

「多賀神社」の裏手、西多賀2丁目付近の小川は、青がメインで新笊川方面、黄色が微かに広瀬川方面に流れています、この付近が分岐点のようですね、都市化が進む市内中心部の「木流堀」沿い、広瀬川にそそぐ水量を減らすことが重要でした

「多賀神社」、参拝する機会がなかったのでちょうどいい機会です

仙台市内でもっとも古い神社とされています

仙台市の保存樹木「シラカシ」の大木がランドマークでしょうか

さらに堀を進むと

西多賀1丁目付近で、R286を越えます

この先、泉崎2丁目付近で案内板①が設置されています、排ガスでだいぶ汚れていますが

この付近で八木山方面からと、さらにこの先の東北工大長町キャンパス入口とで、小川が2本、木流堀に流れ込んでいます、結構な水量ですので河川改修は必要だったんですね

二口街道沿いを進みます、2つ目の案内板②です

堀は鹿野1丁目付近で、R286を越え、広瀬川へと・・

河原町のツインタワーマンションが見えてきました

仙台南高校沿いに広瀬川へと進みます

案内板③三つ目、設置年がそれぞれ違うのが面白いですね

山形に向かう二口街道の案内図があります、たしか長町駅前が二口街道のスタートだったと記憶していますが・・・

この案内図を見て納得、大きな街道には、入口は何本もあって不思議ではありません

広瀬川との合流地点、ここにも案内板④が設置、計4か所目です、①と④が同じ内容でした

広瀬川への注ぎ口では、水鳥、大きな鯉の群れがいて、そしてその先にツインタワーマンション。「木流堀」は、燃料となった材木を流す役目から、都市化と治水対策、自然環境の保全と役割は大きく変わりました。歩くと結構な距離ですが、自転車だと半日でOK、皆さんも是非その水の流れ、歴史の流れを辿ってみて下さい。

 

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「壺碑」国宝へ、多賀城創建1300年 政庁跡周辺を巡る②

2024年07月01日 | 歴史散策

身近な観光地には、いつでも行けるということであまり行きません、多賀城碑「壺碑」にやってきたのは、何年ぶりでしょうか、今回、国宝に選定され、あらためてその価値を再認識しました

県内には現在、国宝は、大崎八幡宮、瑞巌寺本堂、庫裏及び廊下、古文書二件、慶長遣欧使節関係資料の六件ですが、多賀城碑「壺碑」は2001年の慶長遣欧使節関係資料以来、実に23年ぶりの選定だそうです。

いろいろ真贋について論議されていましたが、やっと歴史上の価値が認められました

伊達藩二代目藩主忠宗の頃、土中より発見され、その後松尾芭蕉も訪れています。先人西行法師も訪れた壺碑の前で、芭蕉は、感動のあまり落涙してしまいます

右手に、「多賀城あやめ園」があり、少し前には、あやめ祭りが開催され、大いに賑わいました。地形的に一段低くなったこのあたりは湿地帯、芭蕉が訪れたのは、旧暦5月、もしかしたら芭蕉もあやめを見ていたかも・・・。

ハナショウブです

「多賀城あやめ園」では、あやめ、花菖蒲、カキツバタ、菖蒲などがみられるそうですが、素人には、なかなか区別がつきません。今年は、流れる水の量が少なく、花が咲かないエリアもあるようです

壺碑、あやめ園を後にし、いよいよ政庁跡の北東、塩釜街道沿いの「陸奥総社宮」

塩釜方面から山の手沿いに塩釜街道を仙台方面に抜ける時、たしかに古いお社があるのは知っていましたが、今回初めて参拝しました

両側の神名額には、陸奥の国の大社十五、小社八十五の神社名が列記されています、縁起ははっきりしない部分があるようですが、陸奥国多賀城との関係が強く、歴代の国司が奉賛していたそうです。国司は、任地国内の諸社に拝することが仕事のひとつだったので、一か所にまとまっていると参拝しやすいですね

近隣の諸社のほこらも多数

知っているようでまったく知らなかった「陸奥総社宮」、多賀城政庁跡、壺碑などと共に、

周辺整備され、注目されるエリアになってきました

多賀城創建1300年、今年から来年にかけて、周辺と合わせブレーク寸前、この機会に周辺散策してみてはいかがでしょうか。

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