仙台市の”辻標”八十八か所巡り。引き続き、市内中心部をめぐりました。相変わらず日差しが強い中、歩くのは大変ですが、広瀬川西岸2か所の辻標を確認しました。
77番「川内大工町(かわうちだいくまち)/川内中ノ瀬町(かわうちなかのせまち)」
西道路を直進、仲の瀬橋を渡ると、仙台二高があります。その東側に走る通りのうち、橋より北側が、「川内大工町」。その名の通り、仙台城等の建築にあたった大工衆が住んでいたとされています。
「川内中ノ瀬町」は、仲ノ瀬橋のたもと、川内に入る玄関口に広い中州が中ノ瀬と呼ばれ、この地名がついたといわれています。
橋のたもと下に設置されているので、見落としてしまいます、要注意です。
※偶然ですが、辻標の右手に8月28日放送の「帰れマンデー見つけ隊」でもサンドウイッチマンが訪れた「定進堂」さんがあります。
逆に、橋の上に設置されているのが、宮城県味噌醤油工業協同組合による「仙台みそ発祥の地」の碑です。これによると当初は、花壇の「御塩噌蔵」で仙台みそが製造されていましたが、近隣火災の類焼により、この地に移設されたとのことです。味噌は、当時、保存食糧として軍事物資であり、重要視されていました。
71番「行人坂(ぎょうにんざか)/澱橋通(よどみばしどおり)」
「行人坂」は、仙台城二の丸の東側、千貫沢の北から川内山屋敷へ続く坂。坂を登り詰めたところに、庵を結んだ行人の塚があったことが由来。現在は扇坂と呼ばれていますが、二の丸登城口であった本来の扇坂は、千貫沢の南側にありました。いまは廃道ですが・・・。
目の前は、東西線「仙台国際センター駅」です。
川内キャンパス方面です。この道路の南側に、今もたしかに沢があり、広瀬川にむかって流れています。
東西線「仙台国際センター駅」の南東に沢の出口が見えます。
この階段が仙台城”扇坂”の名残かと一瞬思いますが、東北大学萩ホールへの裏道です。
川内と広瀬川対岸を結ぶ橋は、いくつか架けられましたが、洪水で流されたものも多いです。仙台城と大崎八幡宮を最短で結ぶの澱橋。行人坂の袂から澱橋に向かう道を「澱橋通」といいました。
地下鉄東西線ができて、川内地区は一変しましたね。「仙台国際センター」駅、「川内」駅、「青葉山」駅と東北大学の各学部が集まり、まるで未来都市のようです。
参考資料
「辻標」 仙台市文化財パンフレット第三十五集 編集発行 仙台市教育委員会文化財課
「仙台城下の町名由来と町割」 著者 古田義弘 発行所 本の森