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日本人として日々の暮らしの中で思うこと、知りたかったこと

清や朝鮮は日本がいなければ間違いなくロシア領になっていただろう(インドネシアのムルポト将軍)

2020-06-08 14:14:09 | 韓国・北朝鮮
インドネシアのムルポト将軍が日本の代わりに以下のようなことを話されている。

1973 年 4 月、マニラで開催された ASEAN 諸国の安全保障会議で、韓国代表が「日本帝国主義が 30 年間も韓国を侵略したために、防衛体制が確立できなかった。その責任は日本にある」との演説に対しての発言だったそうだ。

「みずから戦わなかったくせに、責任を日本に押しつけるとは何事か。もしアジアに 日本という国がなかったと仮定してみよ。1899年の義和団事件以来、ロシアは満州に 大軍を駐留させ、韓国をねらっていた。韓国が戦わないから日本が戦った。これが日露戦争だった。

韓国は日本が負けると思って、裏ではロシアとつながっていた。

もし日本が戦わなかったら韓国はロシア領となっていたことは間違いない。

ロシア領となったのは韓国ばかりではない。

もし日本がなかったら、中国の北半分はロシアが支 配し、揚子江以南はイギリス・フランスが支配しただろう。・・・中華を誇る清国が不甲斐なく負けたから、日本が大東亜戦争を戦わざるを得なくなった。


責任は中国にある。そもそもアジアで戦ったのは日本だけではないか!もし日本という国がなかったら、アジアは半永久的に、欧米植民地勢力の支配下に、置かれていたはずである」 

軍人ならではの的確な情勢把握です。


大東亜戦争について日本が果たした役割を現代日本人の一般的な理解(自虐史観による刷り込み)とは、アジア諸国のみならず、欧米諸国(連合国側の)すら全く異なるようです。


米国の中では主にマッカサー元帥が本心を正直に語って下さっています。


それから現代韓国、北朝鮮の方々に読んでほしいのが、下のようなもの。
どなたか、これをハングルに翻訳して彼らにも伝えて頂きたい。

「韓日合邦建議書」(声明文)
日本は日清戦争で莫大な費用と多数の人命を費やし韓国を独立させてくれた。また日露戦争では日本の損害は甲午の二十倍を出しながらも、韓国がロシアの口に飲み込まれる肉になるのを助け、東洋全体の平和を維持した。韓国はこれに感謝もせず、あちこちの国にすがり、外交権が奪われ、保護条約に至ったのは、我々が招いたのである。第三次日韓協約(丁未条約)、ハーグ密使事件も我々が招いたのである今後どのような危険が訪れるかも分からないが、これも我々が招いたことである。我が国の皇帝陛下と日本天皇陛下に懇願し、朝鮮人も日本人と同じ一等国民の待遇を享受して、政府と社会を発展させようではないか


という内容。

この「韓日合邦を要求する声明書 」「韓日合邦建議書(かんにちがっぽうけんぎしょ)」は1909年12月4日に韓国内の親日政治団体である「一進会」が声明書を皇帝純宗、韓国首相李完用、韓国統監曾禰荒助(日本側)、に送られたもの。


日本人の血税でインフラ整備された上、戦時中空襲に合わなかった朝鮮半島と、朝鮮半島への35年もの間国庫から1割ともいわれる予算を投じ、戦争で生産が低下して更に空襲で焼け野原になった日本の敗戦直後の国民一人当たりのGDP比ですら1:3以上の差があったのだから、併合前の1910年以前の当時に日韓の差はどれほどであったか。


日本と当時の朝鮮半島のGDPの差がどれくらいあったかという数字の資料はないが、以下のサイトなども参考になると思う。人口の半分といわれる両班階級の人々というのは仕事を卑しいものと考え、生産人口ではなかったそうなのだ。そして、それ以外の庶民階級の人々の識字率は0%に近く、まことに酷い有様で、だからこそ、「一進会」の人々が切実に日本に助けてほしいと要求したのだ。


他のアジアの国々は、日本が欧米列強と戦って、植民地から解放してもらったあと、日本に直接助けてくれ(併合してくれ)などとは言わずに、戦後も日本からの謝罪や賠償を要求するのではなく、(日本は個々の国々に賠償していますが)民族としての誇りをもって、自力で近代化を少しずつ進めてきた国々でした。


参考:




「合邦建議書」を双方の国会で承認閣議決定されたことで日韓併合となったのであって、日本が武力で「植民地支配した」などというのは全くのでたらめなのだ。


戦後の「自虐史観」はGHQが反米にならぬように、日本統治時代に敷いた「プレスコード」で言論統制されて、日本が掲げた「大東亜共栄圏」という欧米列強からアジアの植民地を開放して、アジア諸国で栄えようという思想を、日本によるアジア侵略、日韓併合を日本による朝鮮半島の植民地政策なとと置き換えられて刷り込まれたものなのである。


その証拠に東南アジアの国々や連合国側の人々ですら、「日本は侵略者ではなく解放者だ」と語っている。


コラム 82- 世界各国の大東亜戦争に対する評価からそのまま引用:
引用元:

 <タイ国元首相ククリット・プラモード> 
タイ国の元首相であったククリット・プラモードは、1955年12月にタイ国で最も権威のある「サイヤム・ラット」紙に、「12月8 日」という題で、次のように発表しています。 

日本のおかげで、アジア諸国はすべて独立した。日本というお母さんは、難産して 母体をそこなったが、生まれた子供はすくすくと育っている。

今日、東南アジアの諸 国民が、米・英と対等に話ができるのは、いったい誰のおかげであるのか。 それは 身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったためである。12 月8日は、我々にこの重大な思想をしめしてくれたお母さんが一身を賭して重大な決意をされた日である。 我々は、この日を忘れてはならない。」 


<マレーシアの元外務大臣ガザリー・シャフェー> 
1988(昭和 63)年7月19日、赤坂プリンスホテルにおける懇親会の席上において、 日本の某代議士が先の大戦について謝罪したのを受けて、マレーシアの元外務大臣ガザリー・シャフェー氏が次のように述べています。

 「どうしてそういう挨拶をなさるのですか。あの大戦で日本は良くやったではないで すか。マレー人と同じ小さな身体の日本人が、大きなイギリス人を追っ払ったではあ りませんか。その結果、マレーシアは独立できたのです。大東亜戦争なくしては、マ レーシアもシンガポールも、その他の東南アジア諸国の独立も考えられないんです よ。」 


<マレーシアの元上院議員ラジャー・ダト・ノンチック> 
1988(昭和 63)年、マレーシアの元上院議員ラジャー・ダト・ノンチック氏は、「日本の人たちへ」と題して、次のように述べています。

 「私たちアジアの多くの国は、日本があの大東亜戦争を戦ってくれたから独立できたのです。日本軍は、永い間、アジア各国を植民地として支配していた西欧の勢力を追い払い、とても白人には勝てないと諦めていたアジアの民族に、脅威の感動と自信を 与えてくれました。永い間眠っていた“自分達の祖国を自分達の国にしよう”という心を目醒めさせてくれたのです。

私たちは、マレー半島を進撃して行く日本軍に歓 呼の声を上げました。敗れて逃げていく英軍を見たときに、今まで感じたことのない 興奮を覚えました。しかも、マレーシアを占領した日本軍は、日本の植民地にしないで、将来のそれぞれの国の独立と発展のために、それぞれの民族の国語を普及させ、 青少年の教育を行ってくれたのです。

私もあの時に、マレーシアの1少年として、ア ジア民族の戦勝に興奮し、日本人から教育と訓練を受けた 1人です。 私はいまの日本人に、アジアへの心が失われつつあるのを残念に思っています。

これからもアジアは、日本を兄貴分として、共に協力しながら発展してゆかなければならないのです。 ですから、今の若い日本人たちに、本当のアジアの歴史の事実を知ってもらいたいと 思っているのです。 

先日、この国に来られた日本のある学校の教師は、『日本軍は マレー人を虐殺したにちがいない。その事実を調べにきたのだ』と言っていました。 私は驚きました。私は、『日本軍はマレー人を 1 人も殺していません』と答えてやりました。日本人が殺したのは、戦闘で戦った英軍や、その英軍に協力した中国系の抗 日ゲリラだけでした。

そして、日本の将兵も血を流しました。 どうしてこのように 今の日本人は、自分達の父や兄が遺した正しい遺産を見ようとしないで、悪いことばかりしていたような先入観を持つようになってしまったのでしょう。これは本当に残 念なことです。」 


<東京裁判の最高責任者マッカーサー> 
東京裁判の最高責任者であったマッカーサーが、1951 年5月3日に、米国上院軍 事外交合同委員会において、次のように証言しています。 

「日本は絹産業以外には、固有の産物はほとんど何も無いのです。 彼らは綿が無い、 羊毛がない、石油の産出が無い、錫が無い、ゴムが無い。その他実に多くの原料が欠 如している。そしてそれら一切のものがアジアの海域には存在していたのです。もし もこれらの原料の供給を断ち切られたら、1千万から1千2百万の失業者が発生するであろうことを彼らは恐れていました。 

したがって、彼らが戦争に飛び込んでい った動機は、大部分が、安全保障の必要に迫られてのことだったのです。」 

<下線部分の原文> Their purpose, therefore, in going to War was largely dictated by Security. すなわち、下線部分で強調されているように、このマッカーサー自身が、大東亜戦 争は日本にとって、自衛のための戦争であったということを述べているのです。 また、1950(昭和 25)年10月、マッカーサーは、トルーマン大統領に対し、「東京裁判は間違いであった」とも陳述しております。 


(注)自らの思ったことを正直に発言してくださった、そのために絶大な人気であったマッカーサー元帥の米国内での評価が萎んでしまい、大統領になりそこなったともいわれています。彼は日本での経験から、率直に曇りのない目で日本を見てくださったのだと思います。


<アメリカ、コロラド大学ジョイス・C・レブラ教授> 
アメリカ、コロラド大学ジョイス・C・レブラ教授は、「東南アジアの解放と日本の 遺産」と題し、次のように述べております。 

「日本の敗戦、それはもちろん東南アジア全域の独立運動には決定的な意味を持っ ていた。いまや真の独立が確固とした可能性となると同時に、西洋の植民地支配の復 活も、許してはならないもう1つの可能性として、浮かび上がってきたのである。

民族主義者は、日本占領期間中に日本軍により身につけた自信、軍事訓練、政治能力を 総動員して、西洋の植民地支配復帰に対抗した。 そして、日本による占領下で、民族主義、独立要求はもはや引き返せないところまで進んでしまったということを、イギリス、オランダは戦後になって思い知ることになるのである。・・中略・・更に 日本は独立運動を力づけ、民族主義者に武器を与えた。

日本軍敗走のあとには、2 度と外国支配は許すまいとする自信と、その自信を裏付ける手段とが残ったのである。 東南アジアの人々はいまや武器を手にし、訓練を積んでおり、政治力、組織力を身に つけ、独立を求める牢固たる意志に支えられていた。」


 <インドのパール判事> 
これは、東京裁判の判事であったインドのパール博士の言葉であります。 

「時が、熱狂と偏見をやわらげたあかつきにはまた、理性が、虚偽からその仮面を剥 ぎとったあかつきには、そのときこそ、正義の女神は、その秤を平衡に保ちながら、 過去の賞罰の多くに、その所を変えさせることを、要求するであろう。」 

パール博士は、東京裁判で11名の判事のうち、唯一国際法学者の資格を持った判 事で、同裁判の国際法上の無効性と、日本の無罪を終始主張した判事であり、裁判が 終わってから、パール博士の東京裁判における立証の正当性と、国際法理論に対する 見識が高く評価され、選ばれて戦勝国が作った国際連合の司法委員会の委員長に就任 し、その要職を全うした人であります。 


<ドイツのボン大学オットー・カロン教授>
 ドイツのボン大学教授をしていたオットー・カロン氏は、大東亜戦争の敗戦後の日 本について次のような讃辞を述べています。 

「私は戦争に敗れた日本をいっそう尊敬する。心ある外国人は敗戦によって日本の本当のよさを知り、日本をあらためて見直した。・・・中略・・・敗戦の混乱の中で、 国論を1つにまとめて、一定の方向に指導することは不可能に近い。これが世界の歴 史が教えている通常の悲劇である。ところが日本の場合はどうか!

事実は意外な姿になって現れた。全国民の思想を玉砕から降伏へと、一時にして転換せしめ、整然とし て世論がまとまった。このような不思議は、世界の歴史に類例はない。その不思議な 力は天皇の放送であった。それを国民は整然と聞き分けた。これは厳然たる歴史の事 実である。 この陛下と国民とは自ら意識すると否とに関わらず、客観的にはただ誠 に偉大というほかはない。『日本人よ、よくぞでかした!』と私は讃辞を贈りたい。 

これは日本の誇りであるとともに、人類の誇りである。これこそは、日本の美しい歴 史に養われた偉大な民族性の実証であろう。」


 <アメリカの外交官ジョージ・ケナン> 
アメリカの外交官ジョージ・ケナンは、「日米戦争の帰結として」と題して、「中国 や朝鮮半島における日本の存在を駆逐したが、結局我々は『日本が直面し、かつ担っ てきた問題と責任を引き継ぐ』ことになった。」と戦後、述懐しており、戦争をする相手を、アメリカは間違えた旨の発言をしています。 

また、マッカーサーの占領政策について、それは日本を共産主義者の乗っ取りに任 せるために、日本社会の弱体化を画策している、そんな不思議な目的のためになされているとしか見えない、と批判しました。 


当時からこの方は今の世界情勢を言い当てておられたようです。日本の現状もよっぽど理解なさっておられます。一般の日本人はもはやすっかり牙を抜かれた状態です。自分が殺されそうになるまで殴り返せないというのが憲法9条なのですから。


よその国で人権弾圧が起こっていても、我関せずです。むしろ弾圧している親玉を国賓として招こうとする輩すらいます。これはあまりにも酷い二股外交です。人権という最上位の価値よりも経済を重視しているというのも情けない。


<インドネシアのムルポト将軍> 
1973 年 4 月、マニラで開催された ASEAN 諸国の安全保障会議で、韓国代表が「日本 帝国主義が 30 年間も韓国を侵略したために、防衛体制が確立できなかった。その責 任は日本にある」との演説に対し、インドネシアのムルポト将軍は次のように述べま した。 

「みずから戦わなかったくせに、責任を日本に押しつけるとは何事か。もしアジアに 日本という国がなかったと仮定してみよ。1899年の義和団事件以来、ロシアは満州に 大軍を駐留させ、韓国をねらっていた。韓国が戦わないから日本が戦った。これが日露戦争だった。

韓国は日本が負けると思って、裏ではロシアとつながっていた。もし 日本が戦わなかったら、韓国はロシア領となっていたことは間違いない。ロシア領と なったのは韓国ばかりではない。もし日本がなかったら、中国の北半分はロシアが支 配し、揚子江以南はイギリス・フランスが支配しただろう。・・中華を誇る清国がふがいなく負けたから、日本が大東亜戦争を戦わざるを得なくなった。


責任は中国にあ る。そもそもアジアで戦ったのは日本だけではないか!もし日本という国がなかった ら、アジアは半永久的に、欧米植民地勢力の支配下に、置かれていたはずである」 


<オランダ・アムステルダム市長> 
1991 年、オランダ・アムステルダム市長は、日本の傷痍軍人会代表団が、オランダ を訪問した際に、市長主催の親善パーティで、次のような歓迎の挨拶を述べました。 
「あなた方日本は、先の大戦で負けて、私どもオランダは勝ったのに、大敗しました。 今、日本は世界 1、2 位を争う経済大国になりました。

私たちオランダは、その間屈辱の連続でした。すなわち、勝ったはずなのに、貧乏国になりました。戦前は、アジ アに本国の36倍もの面積の植民地インドネシアがあり、石油等の資源産物で本国は 栄耀栄華を極めていました。

今のオランダは、日本の九州と同じ広さの本国だけになりました。あなた方日本は、アジア各地で侵略戦争を起こして申し訳ない、諸民族に大変迷惑をかけたと自分を蔑み、ペコペコ謝罪していますが、これは間違いです。 

あなた方こそ、自ら血を流して東亜民族を解放し、救い出すという人類最高の良いことをしたのです。

なぜなら、あなたの国の人々は、過去の歴史の真実を目隠しされて、 今次大戦の目先のことのみ取り上げ、或は洗脳されて悪いことをしたと、自分で悪者になっているが、ここで歴史を振り返って、真相を見つめる必要があるでしょう。 本当は私たち白人が悪いのです。

100年も200年も前から、競って武力で東亜民族を征服し、自分の領土として勢力化に置きました。植民地や属領にされて、永い間奴隷的 に酷使されていた東亜諸民族を解放し、共に繁栄しようと、遠大にして崇高な理想を掲げて、大東亜共栄圏という旗印で立ち上がったのが、貴国日本だったはずでしょう。 

本当に悪いのは、侵略して、権力を振るっていた西欧人のほうです。日本は敗戦した が、その東亜の解放は実現しました。すなわち、日本軍は戦勝国のすべてを、東亜か ら追放しました。その結果、アジア諸民族は各々独立を達成しました。 日本の功績 は偉大です。血を流して戦ったあなた方こそ、最高の功労者です。自分を蔑むのを止 めて、堂々と胸を張って、その誇りを取り戻すべきです」と、参加者全員、思いがけ ない市長の発言に感動したそうです。


■自虐史観
東大や京大などの若く優秀で純粋な学生に、様々な機会を用いて左翼思想で洗脳を行って「自虐史観」が刷り込まれてしまったことなども、彼らがむこう側に加担することなどが多く、戦後の日本の長い間の問題を放置させる結果となってきたのだ。


宇都宮健児弁護士とは、私のいとこが熊本高校時代の同級生であったので、一度直接お目にかかったことがあるのだが、飾り気のない純朴な感じのする方でした。ストレートで東大に入り、大学に行かず駒場寮で司法試験の勉強をされ、3年時に合格なさったので、(それ以上両親に負担にならないよう)中退なさったこと、ご両親が大分で農業をなさっており、自分もいずれ田舎にもどるかもしれない、などと話されておられました。


都知事選に再び出馬なさるそうですが、どうか、日本と中国、南北朝鮮との関係、アジア諸国との関係に関しては見誤らないで頂きたいと思います。小池都知事が再選なさる可能性が高いのでしょうが。


日韓併合は併合に反対していた伊藤博文を暗殺して韓国側の要求で行われたというのが、今の韓国人にとっては悔しいのであろうが、歴史的な事実なのである。


■明治の近代化後、帝国海軍の旗となっていたのが旭日旗

中央におられるのは英国のエリザベス女王陛下の伯父上のエドワード8世が1922年に来日なさったときの船上パーティーでの余興の写真である。

このとき、エドワード8世陛下は英国王族としては初めて靖国神社にて降神の祝詞に続いて玉串を捧げてくださり、「観桜会」にも参列して下さっているのだ。


■日本の第一次世界大戦での任務
日本は第一次世界大戦のときには、英仏とともに戦っており、英国海軍の要請により巡洋戦艦「伊吹」を欧州に護衛のために派遣しており、更に日本海軍はインド洋方面でもドイツ東洋艦隊の「エムデン」対策のため、巡洋戦艦「伊吹」を船団護衛で協力していた。


■日韓併合に話をもどすと・・
日清戦争(1894年7月25日~1895年4月17日) 後の「下関条約」(1895年4月)によって清朝中国から独立を果たしたものの、朝鮮半島には産業基盤が何もなく、外貨を獲得するために大韓皇帝太宗の后である閔妃が様々な権益を欧米諸国に売り渡してしまい、日本軍守備隊、領事館警察官、日本人壮士(大陸浪人)、朝鮮親衛隊、朝鮮訓練隊、朝鮮警務使らに暗殺されるという事件が起こった。


そのあと皇帝太宗が在韓ロシア公館に1年余り亡命するという事態(露館播遷1896年2月11日 ~1897年2月20日 )に陥り、韓国はロシアの「半植民地状態」となってしまう。


韓国がロシアに併合されることを防ぐため、日本は日露戦争(1904年2月8日~1905年9月5日)で戦い、日露戦争後には外交的に無力な大韓帝国を「保護国」下におき近代化の助けをするために監督下に置いた。


あくまで、保護国として、韓国併合に反対していた朝鮮総督府の初代総監伊藤博文を、1909年10月26日安重根によって暗殺されるという事件が起こった。安重根は伊藤暗殺の直後になぜかロシア語で、「コレヤ! ウラー! コレヤ! ウラー! コレヤ! ウラー!(Корея! Ура! / 韓国万歳)」と大声で三唱して叫んだのだそうだ。 


伊藤を実際に暗殺したのは実は安重根の拳銃から発砲された銃弾ではなく、伊藤を呼び寄せたロシア側の特務機関の人間がハルピン駅の2階から発砲した銃であったという説などもある。(これに関しては諸説があるので省略)


伊藤博文暗殺事件の2か月あとの1909年12月4日に韓国内の親日政治団体である「一進会」が「韓日合邦を要求する声明書 」「韓日合邦建議書(かんにちがっぽうけんぎしょ)」という声明書を皇帝純宗、韓国統監曾禰荒助、首相李完用に送った。


それによって日本が毎年国家予算の1割ともいわれる血税を朝鮮半島に投入し、両班階級以外の大多数の庶民の識字率0%であったところに、学校をつくり日本と同じように義務教育制度を定め、文字を教え、鉄道を敷き、道路をつくり、港をつくり、病院をつくり、農業技術を改良させて農地を整備し、栄養状態や衛生状態が改善したことで、1910年当時1312万人ほどであった朝鮮半島の人口が、1944年には2512万人と約2倍に増えたというのが日韓併合時代の35年間であったのだ。


戦後の特に現在の韓国人は感情論的に日韓併合を「違法なもの」であると考えており、「国を日本人によって奪われた」と脳内で歴史改竄しているので、彼らにとって日本は「千年恨」の対象、潜在的な敵国なのだ。


虚構の反日教育で日本に対して政府レベルで「千年恨」を語るような民度の低い国を助けても無駄である。

虚構の反日教育をやめて、客観的な歴史を学んで、彼らが真に日本の友人になれる日が来るまでは我々は彼らに対してはおそらく1910年から遡れば、これと同じだけか、それ以上の時間の経過が必要と思え、後百年以上は距離を置いておくのが賢明だと思う。



引用:








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2 コメント

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こんばんわ (井頭山人(魯鈍斎))
2020-06-11 20:55:17
お元気でご活躍の事と思います。
コロナ肺炎の影響で、県外はおろか近場さえも殆ど出掛けて居りません。マスクは段々に値崩れを起こして手に入るようになって来たようです。一月にひどい風邪を引きましたが、それはコロナではなかったようです。まあインフルエンザA型との判定でした。今回のテーマ「日本が無ければ清・朝鮮はロシア領になっていた」は、当時の状況からすれば当然の事ですね。モンゴル人の王朝である元が、ヨーロッパに迫ってハンガリーからチェコ、そしてポーランド・ドイツ近くまで押し寄せました。当時ロシアはモンゴルの軛を経験していたはずです。ロシアの始まりはルーシーという極小さな公国にあたりに始まるが、征服王が次々と出現して東へ東へと不凍港を目指して征服していった。18世紀19世紀と領土的野心を続けてとうとうウラジオストック(私はロシア語が出来ませんが、ウラジオストックとは東方を征服しろという意味なのだそうです)にまで進出してきました。朝鮮半島はロシアの占領予定地であったし、清もロシアの軍門に下る可能性は大でした。一層の事そうなった方が好かったかも知れませんが、そうなると日本が危なくなる。そうすると20世紀の歴史はすこし異なる展開を見たかも知れません。マッキンダーの地政学ではハートランド(東ユーラシア)を征服する者が世界を征服する。という考えらしい。然し何れにせよ、清と朝鮮が今もってして後進国であるのは、中華思想に色濃く染色されているためだと思います。中華思想と云うのは我々が文明的にも、自分たちが最高であり、世界で一番であるという優越感が、現実を知るに及んで深い劣等感となり、それがまた倒錯感情となって発露したものであるという事なのです。彼らが世界中で馬鹿にされるのは、それらの根拠のない幻想的な優越感にしがみ付き、自分自身を映す鏡を持たないと云う所にあります。ある意味では彼らを支えている物は、過去が素晴らしかったという現像ですから、過去に帰れというわけで、未来への創造的な発想が生まれない所にある病理です。彼らは息の長い探求と云う物を軽く見て、根源的な創造が出来ないところにある。韓国のインフラは皆日本の技術の借りものだし、志那の生産設備も同様です。不足すれは技術は盗めばいいという事に成ります。是では21世紀の文明国にはなりえません。
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>こんばんは (kamakuraboy)
2020-06-11 21:30:26
井頭山人さん、コメントをありがとうございます。1月のお風邪がインフルエンザA型だったのは不幸中の幸いでしたね。どうかこの先も外出の際などは、十分ご用心なさってくださいませ。

「ハートランド(東ユーラシア)を征服する者が世界を征服する」という考えが「マッキンダー地政学」なるものの発想なのですか。どうりで、米国は韓国や北朝鮮に対してはかなりの忍耐で接しているはずですね。朝鮮戦争の米兵の犠牲者の血を無駄にしたくないということでもあるのでしょうし。

ロシアにとっても、西よりも、東の再開発を経済の目玉にしたうようですが、「ウラジオストックとは東方を征服しろという意味」というのは全く知りませんでした。だから、北方四島が戻ってこないはずですね。

中国の中華主義というのはご指摘のように「根拠のない幻想的な優越感にしがみ付き、自分自身を映す鏡を持たない」状態であるがゆえの発想ですね。
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