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高智晟著『神とともに戦う』(8)
「いつかは腹いっぱい、飯を食いたい」。これこそ、父が果たせなかった悲願であった。
1975年、我が家は父を失うとともに、換金できる物は全て失ってしまった。元々びた一文もないほど貧しかった家に残されたのは、多額の借金である。それはまさに、母の全てに襲いかかった巨大な災難のようであった。
父の死後、38歳の母はすさまじい悲しみを背に、手探りで我々7人兄弟を育てた。それは母の一生で、最も困難な時だったといってよい。私たち兄弟の記憶では、空が白んで自分たちが起きると、母の寝床はいつも空だった。母はきっと、「自分が朝から晩まで目いっぱい働かなければ、この一家は生きて行けない」と確信していたはずだ。
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