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高槻市で江戸時代から続く伝統産業・寒天づくりが最盛期を迎え、同市内で唯一製造を行う「株式会社タニチ」の製造工場では令和6年2月8日(木曜日)、ところてんをよしずを敷いた台の上に並べる「天突き」が行われ、寒空の下、昔ながらの天日干しの光景が広がっています。
高槻市の寒天づくりは、天明7、8(1787、8)年頃、同市出身の宮田半平が、伏見から製造方法を学んで郷里に持ち帰ったことから始まったとされています。同市は、原料や製品を運ぶための交通の便がよく、中でも原・塚脇地区などの山間部は、水・燃料・季節労働者が容易に確保できて、冬の乾燥した寒い気候や乾燥に必要な広い土地などの生産条件に恵まれていたため、江戸時代後期には国内屈指の生産量を誇りました。「寒天の里」として栄え、大坂の豪商・尼崎又右衛門の管理下で長崎から海外まで輸出されていました。
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