虎ノ門ニユースを見ていると百田氏が1960年(昭和35年)安保のときはどうだったのか、私は5才程度でわからないという話をしていた。私は丁度高1のときで朝礼のとき校庭で樺美智子が反対運動で死亡したと聞いた記憶がある。
当時は神戸から東京には夜行列車銀河で8時間かかっていた。東京では東大、日大、関西では京大、同大がメインで安保反対という学生運動がさかんであった。今考えると安保改定でアメリカに日本への防衛義務を約束させたのだから締結してよかったと思うがマルクスとか良し悪しは別にして知識吸収に貪欲な時代であったと思う。今ようやく共産党、社会主義というのは社会悪で悪人が作る社会、暴力団組織とわかってきた。
考えてみれば学生運動はこの時1回限りで以後今日まで記憶がない。当時の学生は誰かに煽動されたのだろう。
昭和35年といえばまだ我が家には電話はなく、電話はタバコ屋の赤電話というのが普通。電気釜はまだない、電気冷蔵庫はまだなく商店には氷で冷やす氷冷蔵庫があった、もちろんない店もある。風呂は五右衛門風呂で石炭、木材で沸かしていた。家はまだ平屋が多く我が家も当然平屋。2階建てはかなりリッチな家庭。自動車は社長が外車の中古が普通。道路は国道1合繊のみセメント舗装であとは地道でよくて小石の敷き詰め、普通はアメが降れば水溜り多数で自動車は時速40km程度、それ以上出せばバウンドで舌を噛み切る恐れがある。
大学進学は公立がもちろん上位で東京は日比谷高、小山台、浦和高、関西は神戸高、北野、三国丘高などで開成、灘などはかろうじて私立ではまだましという程度、以後公立で越境入学禁止などで私立が伸び始めたという事情がある。
経済界も経団連など絶えず紙面にものり経済界、政界にも影響力があった。当然土光敏夫など企業は、労働者重視という立場を貫く経営者が多く労使一体という考えが主流、日産の経営危機から外人を招いたこととバブル崩壊などで経営者の思想がゴーンなどアメリカ、フランスなどの外人経営者の思想に影響されてしまったことで日本のよさが失われよう最悪の状態に陥りかけている。日本のピンチの時代だ。
つづく
当時は神戸から東京には夜行列車銀河で8時間かかっていた。東京では東大、日大、関西では京大、同大がメインで安保反対という学生運動がさかんであった。今考えると安保改定でアメリカに日本への防衛義務を約束させたのだから締結してよかったと思うがマルクスとか良し悪しは別にして知識吸収に貪欲な時代であったと思う。今ようやく共産党、社会主義というのは社会悪で悪人が作る社会、暴力団組織とわかってきた。
考えてみれば学生運動はこの時1回限りで以後今日まで記憶がない。当時の学生は誰かに煽動されたのだろう。
昭和35年といえばまだ我が家には電話はなく、電話はタバコ屋の赤電話というのが普通。電気釜はまだない、電気冷蔵庫はまだなく商店には氷で冷やす氷冷蔵庫があった、もちろんない店もある。風呂は五右衛門風呂で石炭、木材で沸かしていた。家はまだ平屋が多く我が家も当然平屋。2階建てはかなりリッチな家庭。自動車は社長が外車の中古が普通。道路は国道1合繊のみセメント舗装であとは地道でよくて小石の敷き詰め、普通はアメが降れば水溜り多数で自動車は時速40km程度、それ以上出せばバウンドで舌を噛み切る恐れがある。
大学進学は公立がもちろん上位で東京は日比谷高、小山台、浦和高、関西は神戸高、北野、三国丘高などで開成、灘などはかろうじて私立ではまだましという程度、以後公立で越境入学禁止などで私立が伸び始めたという事情がある。
経済界も経団連など絶えず紙面にものり経済界、政界にも影響力があった。当然土光敏夫など企業は、労働者重視という立場を貫く経営者が多く労使一体という考えが主流、日産の経営危機から外人を招いたこととバブル崩壊などで経営者の思想がゴーンなどアメリカ、フランスなどの外人経営者の思想に影響されてしまったことで日本のよさが失われよう最悪の状態に陥りかけている。日本のピンチの時代だ。
つづく
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